さがしもの 十三 烏面

「……とんでもないものを、観た気がします」

 問志と菊荷は、舞台の終了したテント内から退出する観客の流れに混ざっていた。

 サアカスの最中に飲むことを忘れ、すっかりぬるくなったレモネードを乾いた喉に流し込んだ問志は、未だ身体の内に籠もる熱を外へ押し出すように、大きくため息をく。


「烏面の大道芸人さん、ちゃんとした舞台で観て大正解でした。奇麗で恰好よくて、ちょっとドキドキもして!」

 本人の身体能力は言わずもがな、それを生かした舞台演出は素晴らしいもので、かの鬼が観覧券を押し付けてきた気持ちの一端も、問志は理解せざるを得ないと思った。


 問志達と同じ舞台を観ていた観客達も、口々に家族や友人同士で感想を言い合い、前口上通りだった白昼夢の余韻に浸っている。


 めかしこんだ女学生たちが、「鬼のって、産まれて初めて観たわ」「私だってそうよ。あんなに綺麗なものだなんて知らなかった」「烏面の方、男性かしら。それとも女性かしら」「そもそも人かどうかも怪しいわ」と言って、二人の隣をうっとりした様子で通り過ぎていく。

 それを耳にした問志は、菊荷に訊ねてみた。


「橙埼さん、」

「どうした」

「怪異を見ることって帝都でも珍しいんですか?」


「境遇と場所による、が、珍しいだろうな。帝都と言えど、ず鬼の数が人間に比べたら格段に少ない。怪異どうこうの前に、鬼と少しも関わらず一生を終える人間もいるだろう」


「このサアカスには結構いらっしゃいましたね」


 問志は先ほど閉演したばかりの舞台を思い返した。身体が一本の細長いリボンのようになってほどけていったもの、上半身は獅子で下半身は人間の形をしたものなど、明らかに奇術のたぐいでは済まない存在が、ちらほらと舞台には立っていた。


此処ここは特に鬼が多いと思うが、芸事で身を立てる鬼は少なくない。人間の客が贔屓ひいきの鬼に自分の血を渡す、なんてこともあるらしい」

「色んな意味で需要と供給が噛み合う訳ですか」

「そういうことだ」


 そうこうしている内に、二人はテントの出入り口あと少しの所まで進んでいた。出入口の奥から僅かに見える空は、既に薄暗い暗幕が掛かり始めている。

 その時だった。


「……あっ」と、問志が声を上げたのは。

「どうした」

「すみません、忘れ物しました。ちょっと取りに行ってくるので、僕の海月くらげ、持っててもらっていいですか」

「構わないが。俺も行くか?」

「大丈夫です!入り口で待っててください」

 問志はそう言って菊荷に真鍮海月を預けると、人の波の隙間を器用に逆流し、観客席へと戻っていった。


  ◆ ◆ ◆ ◆


「この辺りだった筈……なんだけど」と、問志は一人心もとなく呟いた。

 舞台が終わり、人気ひとけの無くなった観客席は先程までの熱気が嘘のように引いて、小さく木霊こだまするオルゴールの音色だけが響いている。


 自分が座っていた席へと戻ってきた問志だったが、座席の下や前後を見ても、目当ての茶色い紙袋が見当たらない。

 菊荷にも着いて来てもらった方が良かったかもしれないと、肩を落とした問志の背後から、「ねえ」と低い声がした。


「はい?」

 振り返ると、そこにはからすを模した仮面を被った人物が立っていた。正にそれは、先程まで問志を含む観客達を夢中にしていた彼で。

「貴方はサアカスの」

 問志は驚き目を見開いた。烏面は、問志と向き合ったまま微動だにしない。

「あの、さっきの舞台凄かったです!!っじゃなくて。すみません僕、忘れ物をして、この辺りの席に座っていたんですけど見当たらなくて」

 烏面は依然、動きも喋りもせず問志を視ている。


「もみじちゃん」と、烏面が小さく呟くのが聞こえた。

「……僕のこと、ですか?」

「…………」

「…………?」

「……………………」

「ええっと……?」

「………………眼が、もみじみたいだね」

「ああ、なるほど?」

 彼の言う通り、問志の眼は椛のように赤い。それが気になったのかと合点がいった問志ではあったが、二人の膠着こうちゃく状態は続いたままである。


「……忘れ物って、本?」

「!! そうです!!普通の本が二冊と、小さい本が一冊入った紙袋なんですが」

「じゃあ、これだ」と言った烏面からすめんの彼が手にしていたのは、見覚えのある紙袋で。

「それです!!」


 問志が烏面から紙袋を受け取って中身を確認すると、間違いなく少女がつづり書店で購入した本が入っていた。

「ありがとうございました!……よかったぁ」

 ほっと胸を撫で下ろしていた問志に、烏面は言った。


「中腹中也、好きなの?」

「今日一緒にお出かけしている人におすすめされて好きになりました!!」

「どんな人?」

「どんな……。こう、落ち着いていて、律儀な人……ですかね?」

「友達?」


 問志は少し、言葉に詰まった。彼を、自分の友達を言っていいのだろうかと。

「……そうなれれば、嬉しいなとは思いますけど」

 問志は願望を込めて烏面に答えると、少し困ったように、気恥ずかしそうに微笑んだ。相対する烏面の感情は、分厚い面の向こうに隠れてわからない。


「そっか。れるといいね」

「はい」

「……君、名前は?」

「僕ですか?東雲問志しののめといしです」

「といしちゃん」

「? はい」

「そろそろ此処ここ、掃除当番入ってくるよ」

「っと!失礼しました!失礼します!!」

 問志は慌てて本を紙袋の中に戻して軽くお辞儀すると、小走りになって出入口へと続く通路へ向かっていった。


「……またね」

 その様子を、烏面は小さく手を振りながらしばらく眺めていた。


  ◆ ◆ ◆ ◆


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