さがしもの 九 読書愛好者の集い

 菊荷が贔屓ひいきにしていたという本屋、つづり書店は、店からそう遠くない筈の商店街の喧騒が、幻だったのかと錯覚するほどに静かで穏やかな空間だった。


 天井に届く程背の高い本棚がいくつも立ち並び、緑と白を基調とした店内は本で出来たはやしのようで、窓際には幾つかの机と椅子が並べられ、腰を据えて読書が出来る様になっていた。

 昼下がりの太陽の光が大きな窓にめこまれた模様付きの板硝子いたがらすを介し、室内を優しく満たしている。


 個人店らしい広さの店内に今居るのは、問志と菊荷、それに、帳場ちょうばで何やら書き物をしている店主らしき若い女性の三人だけで、何処どこからか問志の知らない言語の歌が、微かに流れていた。

 自然と、二人の会話する声も小さくなる。


「こんなに小さくて可愛いのに、本当に読めるんですねぇ」

 本棚の一角に作られた豆本を集めた区画には、色とりどりの本が並んでいた。大きい部類に入るものでも問志の手の平程度の大きさしかなく、その半分以下の大きさのものも少なくなかった。


 問志は目についた一冊の豆本を手に取り、小さな本のページを、指先でつまむ様にしてめくっている。薄い紙には確かに文字が書いてあり、そして肉眼で読むことが出来た。極々小さな文字の羅列は、蟻の子供が列を成しているようだ。


 少女が手にした豆本の表紙には「マザアグウスのうた」と書いてあった。中身はの名の通り、海の向こうの国の詩を複数纏まとめたもので、其の内のいくつかは養父であるミシェルが問志に読み聞かせてくれたものも収められていた。


 豆本は他にも、植物や鉱物の図鑑から小説、面白いものでは豆本の作り方を主題にした豆本等もあり、その品揃えは実に多岐に渡っていた。


「マザアグウスか」

 問志の隣で別の豆本をめくりずらそうにしながら読んでいた菊荷も、の名前を知っているようで。

御存ごぞんじなんですか」

「……少しだけ。童謡や御伽噺はあまり詳しくないが、それの詩は推理小説にたまに出てくる」


「なるほどそれで! 推理小説、よく読むんですか?」

「まあ、それなりに」

 ジャンルこそ違うようだが、それでも人生初の同年代の読書仲間を見つけた問志は、内心浮足立つ。


「待ち合わせの時も本を読んでましたよね。もしかしてあれもですか?」

「あれは、なんだろう。怪奇小説と言った方がいいかもしれない」

「怖いやつですか?」

「怖いというか不気味というか。東雲は、そういう本が好きなのか」と、菊荷は問志が手元で開いているマザアグウスの本を指差した。」


「詩は好きですね。こう、言葉で出来た一枚の絵画みたいなところが。一番読むのは、幻想小説とか御伽噺おとぎばなしとかですかね。絵本も好きですよ」

 総じてロマンチックなものが好きなんですと、問志は豆本の表紙を指で撫でながら、はにかんだように微笑んだ。

「……別に、悪くない趣味だと思う。詩集が好きなら、この辺りにまとめて並べてあるみたいだぞ。宮沢賢字みやざわけんじとか好きそうだ」

「おっしゃる通り大好きですよ。詩もお話も!!夢の中を見せて貰っているような気分になるんですよね」


 菊荷の手が本棚へと伸び、一冊の本を引き抜いた。半透明のパラフィン紙を透かして、表紙に「中腹中也詩集なかはらちゅうやししゅう」と印字されているのか分かった。

「中腹中也、名前は知っているんですけれど、まだ作品を読んだことないんですよね」


 今度は、問志が菊荷の持つ本に注意を向ける番だった。

「……読んでみるか」と、青年から差し出された文庫本を受け取った少女は、適当なページを開いて綴られた文字の上を軽くなぞり始める。

 紙面の中に眠っていたのは、美しい言葉の糖衣をまとった何ものかであった。今まで終始楽し気だった問志の顔からすうっと、表情が消えていく。


 少しの間一言も話さずにいた問志だったが、やがて本を閉じ、小さく深呼吸をした。

「……これは買って、お家で読みます。じゃないと、読み終わるまで此処から出られなくなってしまいそうなので」


 問志は宣言通り、菊荷の薦めた詩集をその後一度も開くことなく会計を済ませた。その際、最初に手にしたマザアグウスの豆本の他に、上根雨天かみねうてんなる人物が書いた幻想小説も購入し、大層満足した様子で店を後にした。








 


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