星巡りの結末 十九 東雲問志が出来ること

 何処かの境内の中なのだろうか、小池を挟んだ向こう岸の更に奥には、極彩色で彩られた大きな五重塔が見える。

「ここは朝草寺か? っと、人ガ来てるな」

 槐は混乱中の問志を近くの茂みへと押し込むと、抗議せんとする少女の口を片手で塞いで強制的に黙らせた。


 槐の意図がわからないまま問志は黙っていたが、そうすると自分達ではない誰かの話し声がわずかに聴こえてきた。

 槐は声をする方をじっと見つめている。

 頭を動かせない問志は、代わりに耳を澄ませた。


「あはは、本当に昼間上がってた報告と全っ然違うじゃないですか。此れの何処が怪異の影響下にある小池なんです?自然消滅でもしたんですかね?それともぼくたちに気づいて逃げてしまったとか?」


「どれだろうな。調べるにしても、無闇に規制を掛け続けるのも限界がある。上からの返答待ちには変わらない」

「それまで待ち惚けですかぁ……どうせ待ち惚けを喰らうなら、近くの喫茶店にでも入りません?」

「勤務中だ」

「お堅いなぁ。命張ってるんだから多少のことは多めに見て貰えますって」

「そういう問題じゃないだろう」


 しばらくして槐の手から力が抜け、問志は解放された。声の主たちは、どうやら引き返していったらしい。


「今の人たち、キキョウ局の人ですよね。話の内容的に」

「……十中八九そうだろうな。別の奴に見ツかる前に此処から退散するぞ」

「別に隠れる必要なかったんじゃないですか?むしろ、三根岸さんのことを伝えた方がよかったんじゃ……」

「あそことは極力関わりたクない」

「そんな勝手な」


「それに言われたろう?逢瀬を邪魔すルなって。あの鬼の状態からして、もう現世のものを怪異の中に引き摺りこむ力は残ってないさ。もしもがあるならあの坊主との契約がギリギリ間に合った場合のみ。だけどそれが成立したんなら、あれは他者を自分の中に呼び込むことはしないだろ」

「まあ、そう言われれば、そうかもしれませんが……」

「ほら置いテくぞ。本当だったらとっくに店に戻ってる時間なンだ。おひいさんが心配してる」

「っ、わかりましたよ、行きます!!行きますからっその代わり誰かに会ったら大人しく事情を説明しましょうね!!」


 結局問志は槐に言いくるめられるまま、彼の後を追うように小池を後にした。


  ◆ ◆ ◆ ◆



「……誰にも鉢合わせませんでしたね。いくらこっそり出てきたとはいえ」

「そりゃあな。封鎖前に一般人は退避させてるだロうし、今頃監視役の眼は野次馬かはたまた三流新聞の記者か、兎に角外から入ってこようトする奴らへの牽制に使われてるさ」


 こっそりと封鎖圏内からの脱出を果たした二人は、駅に向かう為に人気のない路地裏を歩いていた。槐は傘こそ差してはいるが、昼間のように後ろ歩きはしていない。


「ったく、服は泥んこのマんまだし、山葵野わさびのには明日でにもまた行かなきゃならねぇし、散々だ。血染めの次は泥染めなんて、冗談じゃない」


 槐の外套がいとうは本人の言う通り、すそを中心に泥に塗れていた。水分を含んで重たくなったそれを頑なに羽織り続ける槐の背は、心なしかいつもより曲がっている。


 ……三根岸と星の庭の安否の他に問志には一つ、気掛かりなことがあった。

 それは、問志の数歩先を先導するように歩く槐のことだった。怪異で出来た箱庭の中、その一室で合流した直後の槐は、明らかに様子がおかしかった。


 安堵と落胆、憎悪と歓喜の熱で歪んだ満月は、あの時恐らく、自分ではない誰かを見ていた。なぜならその眼は、少女を介して別の誰かに思いをせていたの鬼たちと、ひどく似通った色を持っていたから。


 あの部屋で何があったのか、何を見たのか、何を感じたのか、いつか話してくれるだろうか。……否、例えそんな日が訪れなくても、自分とえんを結んだこの鬼が、彼の望むものを得られればいいと、問志は思った。


えんじゅさん」

「どうかシたかい、お嬢サん」

「また槐さんが迷子になっちゃっても探しに行きますから、安心してくださいね」

 それがきっと、この赤鬼をしばってしまった自分に出来る、唯一のことだろう。

「……餓鬼じゃねェんだからそう何度も同じことがあってたまるか」

 槐は苦虫をみ潰したような、それでいて少し愁眉しゅうびを開いたような形容し難い顔をして、少しだけ歩みを速めた。

 その背を、問志と真鍮の海月くらげは追いかける。


 太陽はいつの間にか完全に地の底へと潜り込み、代わりに満月が静かに一人きりで輝いていた。


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