星巡りの結末 十七 破綻

 それと同時に、問志達や三根岸の周りでゆるくうごめいていた髪の束の動きが時間でも止まったようにピタリと止まる。


 ……問志は、覚えのある気配に身体の温度が数度下がったような心地がした。


 其れと同じくして、天井からぽろぽろと幾つも夜色の欠片が落ちてきた。先程まで細かく灰のように振り続けていたものとは違い、一つ一つが小石ほどの大きさまでになっている。


 不安になった問志が天井を見上げれば、黒い瞳孔めいた童子石の中心に、大きくいびつひびが入っていた。罅の隙間からは黄金色が漏れ出しており、このまま放っておけばやがてそれらも地面へと落ちてくるのは明らかだった。


 鬼は自身の身に起こったことを充分に把握していないようで、一度は硬直していた髪の束も再びゆるゆると動き出す。ただ、その動きは先ほどよりもいささかぎこちない。


「……なんだ今の音。あれ、私は何をしていたかな?眠っていて、起きたら人間と同類が居て?君たちに力を貸してもらう約束をして、そう、あの子に名前を呼んでもらいたくて、それで、…………あれ?……私の名前、なんだったっけ」


力なく紡がれたその言葉は、彼女の破綻を二人に突きつけた。

 

「……はは、どうしよう。……嗚呼、怖いな、誰か。誰か私の名を呼んで。誰でもいいから。私が消えていく。私がわからなくなっていく。嫌だ。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖怖い怖い怖い。…………なあ、誰かっ」


 鬼の慟哭どうこくに問志と槐は応えられない。彼女の嘆きに唯一応えられる男は、未だ眠りの淵から上がってこれていない。

 沼色の髪が彼女の動揺につられ戦慄おののいた。その振動によって、更に童子石の欠片の数が増えていく。最悪の悪循環が出来上がっていた。そして震えは空間、もとい彼女の肉体そのものまでに広がっていく。


「っ落ち着いてください!!」

 このままではひびが広がるばかりだ。問志は必死に声を張り上げるが、彼女のおびえは強まるばかりであった。

「こうなったら仕方がねぇ、その坊主叩き起こすぞ。それでも起きなきゃアそれまでだ。コイツ抱えて出口まで走る!!」


 三根岸の状態は、決して無理に起こすことがとされる状態ではない。しかしそれ以上に、彼女の状態は一刻を争うものだった。このまま彼女の童子石が砕ければ、彼女の内側に居る槐たちも命の保証はないのだ。


 槐は横たわったままの三根岸の上半身を支えて起き上がらせると、彼の耳元で声を張り上げた。

「おい起きろ寝坊助ねぼすけ!!お前のおひい様が手遅れになってもいいのか⁉ああ⁉」

 すると今まで反応がなかった男の眉間みけんに、うっとおしそうにしわが寄る。

 それに気づいた槐は、追加とばかりに頬を強く叩く。


「ああ、怖い、私の中がどんどん空になっていく。何か入れなくちゃ。何か詰め込まなくちゃ。足りない、そう、血が、足りないんだ。あの子が来るまで待っていなくちゃ。此処はあの子のとりでなのだから。だから、そうだよな。……じゃないなら、食べても、いいよな?」


 問志は天井から降り注がれる顔のない声が、引きったように笑う幻覚を見た気がした。


「は?」

 驚嘆の声を漏らしたの果たして誰だったのか。問志と槐達とを隔てる様に、あっけなく、地面が割れた。


 槐が三根岸を放って問志に手を伸ばすより先に、問志の周囲の地面、もとい鬼のてのひらが彼女の童子石に近づくように上へ上へと上がっていく。


「おいふざけんなソイツは不肖ノだ!!」

 槐の怒号が、地面の下方から聞こえてくる。

 今にもほのおを吐き出しそうな血相ではあったが、槐の両手は傘でも刀でもなく、三根岸の胸倉むなぐらを掴んだままだ。

「槐さんいくら起こすにしたって頭揺らしちゃあ危ないですよ!?」

「放り出さないだけマシだと思って貰いたいね!!」


 問志と槐達とを隔てる断崖だんがいの下では、鬼の髪が、さながら流れの急な大河のようにうごめいている。その中に、鬼の両の手が離れたことで髪の大河の中に落ちてしまった人形の身体が、吞み込まれていった。激流にも関わらず沈むこむことなく存在を主張する薄紅の蓮の花は、覗き込む問志を誘うように淡く発光している。


「……ああなんだ、どうにもそわそわして眠れないと思ったら、人間か」

 問志の真上。数分前と同じ声で、同じ言葉が繰り返された。

 声がした方へ問志が顔を挙げれば、童子石には先ほどまでなかった筈の大きなひびが増えていた。


 問志が見上げたすぐ目の前には、童子石によって産み出された満天の星空とそれらをつらぬく金の稲妻。そしてそれらを呑み込まんと口を広げる黒いうろが、調整器の灯りによって鮮明に少女の瞳へと映り込む。


「お嬢さん、不肖がそっちに行くまで喰われてくれルなよ!!」

 槐の声が、先程よりも下方から聞こえた気がした。槐はまだ、焔を使ってはいないようだった。

「……そうは言っても、どうしろと」

 問志の周囲にはいつの間にか、獲物を逃がさんとばかりに無数の髪が壁のように垂れ下がっている。


 少しでも問志が彼女から背を向けようものなら、途端にこれらは自分に牙をむくだろう。かといってこのまま喰われてしまえば、結果的に槐も死ぬことになる。


「こんにちは、柘榴の眼をした人。……君はあの子かな?私はね、きっともう時間がないんだ。あの子が来るまで待ちたいのだけれど、お腹が空いて仕方がないんだ。……だから、君があの子だって証明しておくれ。あの子なら、私の名前を知っている筈だから」


 その声は、これから人を喰うかもしれない存在の声とは思えない程穏やかだった。


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