星巡りの結末 十六 銀の指と名前

  ◆ ◆ ◆ ◆


 問志の説得によってなんとか無事に下ろされた三根岸は、比較的乾いた地面へ仰向けに寝かせられていた。あらわになった額の上を覆う青黒い痣を、どうやら鬼も覚えていたようで、

「……ああ、この痣。これは覚えている。覚えていられた。本当にあの子なんだな」と言った彼女の声は穏やかだった。


「あ、頭打ってるみたいなのでなるべく動かさないであげてください」


 髪の束を緩く伸ばす鬼をそれとなく制止して、問志は三根岸の様子を確認する。

 男の頭部からは血が滲んでいた。どうやら鬼の髪の触手によってこの空間に引き摺りこまれた際に運悪く頭を打ったのだろう。


「なぁ、いつ起きる?もう起きる??」

「頭打ってるからなぁ。無理に起こすと坊主に負担が掛かる。自力で起きるのヲ待つしカねぇよ。医者に見せに行く時間はナいだろうし、不肖としてもさっさと起きて欲しいね」

 問志と同じように三根岸の容体を確認していた槐が答えた。


 鬼はそわそわと落ち着かない様子で、それに釣られるように天井いっぱいに広がる髪だけでなく、問志達の足元も僅かに揺れているようだった。

「折角会いに来てくれたのに怪我させてしまって、私のこと、嫌いになってしまったかな?ああ、怖いな、それが嫌だったから、遠ざけたのに」

「せっかく本人がイるんだから本人に聞いておくれよ。不肖たちが答えたってしようがない」


 二十年も同じ鬼を探し続けた三根岸が彼女を嫌いになると問志には思えなかったが、それでも槐の意見には概ね賛同していた。槐の口振りに多少の癖はあれど、彼女が求めているのは初対面の自分達の言葉ではなく、彼女の大事なの言葉なのだ。


「この坊主は此処に、お宅の腹の中と現世を繋げるモノがあると言っていた。何処どこにあるか覚えテいるかい?」


「ああ、それなら私の左手薬指に触れてくれればいい。多少黒くなってしまっているけれど、まだ境界として機能する筈だからそれを使えばいい。君達からしたら、五時の方向と云えばいいかな」


 ……つまり此処は、鬼のてのひらの上だったのだ。問志は思わず辺りを見渡した。彼女の髪で出来た無数のとばりで視界が悪いとはいえ、その広さが尋常ではないことはわかる。小さな集落であれば、この掌の中にすっぽり収まってしまうだろう。

 問志が鬼の掌に乗せられたことはれで二度目だ。前回の岩の手も決して小さくはなかったが、此方こちらは規格外すぎる。

 ありの巣のように中心に向かって下り坂になっていたのも、なんのことはない。両手で水をすくう形を取れば、自ずと重なり合った部分が一等低くなる。


 きょろきょろと見渡す問志が愉快だったのか、鬼は頭上から鈴のようなこえを落としてきた。

「君達からすれば私は随分大きいのだろう?私からすれば、の全ては小さくてね。出歩けばみんな圧し潰してしまうから、此処に引きこもっているしかなかった訳だよ。私の中であれば、あの人形を依り代にして動き回れたから、沢山人を招いたものさ。もっとも、此方こちらの私を見ても尚居座ったのは、あの子くらいなものだったけれど」


 鬼はそう言いながら、今だ眠りから覚めない三根岸の額を髪のひと房で優しく撫でた。その声色は、について話していた時の三根岸と少しだけ似ている。


「君たちや兼次が此処に入ってこれたという事は、私は現世への境界を開いてしまったんだね?」

「その言イぶりじゃもう自覚もねぇんだな」

「そうだね。怪異の一番の要が自分で制御出来ていないということは、もう私の終わりは直ぐそこだ。だけど、最後にあの子が無事に成長した姿を見ることが出来たのだから、大往生できる」

「……名前も、三根岸さんに呼んで欲しいんですよね?」

「それはね。だけどそれは欲張りかな。もう時間がないのだもの」

「欲張っとけ欲張っとけ。同類のヨしみだ、その位の時間は作ってやるよ」

槐の言葉に問志も頷くと、鬼は少しだけ笑ったようだった。


「君たち、いい奴だな。ありがとう、それなら少しだけ、力を貸してもらおうかな」

その瞬間、冷たく、鋭く甲高い破滅の音が、問志と槐の鼓膜を揺らした。

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