星巡りの結末 十四 操り人形

  ◆ ◆ ◆ ◆


「三根岸さーん!!聴こえてますかーー?返事してくださーい!!」

 問志は淀んだ萌葱、否、沼色の触手に引き摺り込まれた三根岸へ届くように、大声で彼の名を呼びながら廃虚のような空間の中を進んでいく。吸い込む空気は、重く甘く、肺の底に溜まっていくようだった。途中で三根岸の被っていた帽子は見つかったものの、肝心の本人の姿は見当たらない。


 鬼がいる筈の最後の部屋は、最早部屋とは呼べるものではなかった。

 青黒い床は泥濘ぬかるみ、一歩踏み出す度僅かに靴底が沈む。光源にあたる何かは存在するようだったが、その光は天井から地上へ向かって垂れ落ちる無数のとばりさえぎられ、地面へと届く頃には、周囲をくまなく見渡す為の光量としては少々頼りない程度に抑えられてしまっている。


 帳というと聴こえはいいが、実際のソレは長い長い髪が幾重いくえにも折り重なってできたものか、機織り前の糸の束と言った方が正しいものだった。水気を帯びたそれらの隙間から、花弁の先を薄紅に染める蓮に似た花が顔を覗かせている。


 何処からともなく嗅ぎ馴染みのない甘い匂いが漂う小さな樹海は、今まで通過してきた空間とは一線をかくす死の気配を放ちながら、問志と槐を迎え入れていた。


「あーあー、どこもかしこも溶けかけ腐りかけじゃねぇノ」

 槐が歩く度に足元の床から汚泥じみたものが跳ね、彼の白い外套がいとうを汚す。

 槐は片手に傘、もう片手に問志の腕を掴んで進んでいた。歩く速度の決定権を槐に握られて問志は動きにくいことこの上なかったが、それとなく離そうとする度に拘束が強固になっていくので諦めた。


「……これってやっぱり、伽藍化が進んでいるんですか?」

「サあ、伽藍化が進む前を不肖たちは知らナいからな。元からこういうモノじゃないとは言い切れない、が」


 槐の言葉が明らかに途中で止まる。不審に思った問志が槐を見ると、彼は髪の森の奥を凝視していた。

 問志も釣られて同じ方向を向く。すると、泥濘む地面に白いものが転がっていた。

「……ヒトの形をしているように、見えます」

 目を凝らせば凝らすほど、それは明らかに人の形をしていることがわかる。体躯からして三根岸ではない。もしかしてこの空間を産んだ鬼だろうか。

 ____まさか、自分達より先にこの場所へ迷い込んだ見知らぬ誰かの成れの果てではないだろうかと、問志の脳裏に嫌な可能性が浮かぶ。

 そしてそれは、槐も同じだったようで。


「人間の死体だったら随分話が違ってくるぜ。伽藍化が進んでいても人を殺していなきゃあ、あの坊主もまだ庇いようがあるかもしれねぇが、手遅れだったらどう足掻いてもこの鬼の討伐を止められナい。それにしてはちっとばかし見覚えがあるが……」

 人型の正体を、その安否を確認するために、二人は速足でそれに近づいていった。


 蟻地獄の底で獲物を引き寄せるえさのように、その人型はなだらかな坂を下った丁度谷にあたる部分に転がっていた。いくら薄暗いとはいえ、目と鼻の先まで近づけばそれの正体を暴くことは容易だった。


 そうして二人は、の正体を知った。

 繊細なレースのあしらいがふんだんに施された白いドレスとヴェールは、泥で染まりぼろきれ同然に。

 割れてしまった丸い頭部を守る深い沼色の髪は彼女の身長よりもずっと長く、胴体に空いた大穴から、その身体の内側にも詰め込まれていることがわかった。


 ____彼女は、白い肌を持つ等身大の人形だった。それも頭部に二つの角を持った、美しい鬼の人形だ。そのかんばせは微笑みこそ浮かべているものの生気はなく、光の灯らない硝子玉の眼は、虚空を見つめている。


 槐は人形の側にしゃがみ込み、何かを探すようにして、割れた身体の隙間から内部を覗き込んだ。

「恐らく、伽藍化が進行する前まではがナカに詰まっている髪を媒介にして、操り人形みたいに扱ってタんだろ。写真で見たときは此奴こいつくだんの鬼だとばっかり思っていたが、引っ掛かったな」

「写真とは?」

「ああ、お嬢さんは見てなかったか。あの坊主の部屋のアルバムに、コイツが写った写真があったのさ。もっとも、服も髪も泥塗どろまみれなんかじゃなかったし、身体もひび一つない。あんまり綺麗に楽しそうに笑っテたから、人形だとは気づかなかった」


「それなら、本体は何処に?三根岸さんもまだ見つけられていません」

 問志が辺りをぐるりと見渡せど、周囲は髪のとばりに覆われるばかりである。

 しかしふと、問志の視界のすみで何かが調整器の灯りを反射してきらりと光った。


 思わず問志が手を差し出せば、少女の掌に落ちてきたのは深い深い夜色の欠片だった。薄く剥がされた雲母の一片に似たそれは、その内側に星を飼っているかのようにキラキラと明滅を繰り返している。

 問志がその欠片を槐にも見せようとしたところ、少女の目の前に再び夜色の欠片が上から落ちてきた。……それも一つや二つではない。


 灰のように、或いは雪のように。それらは問志の肌や槐の羽織にどんどん降りかかり少女と鬼を染めていく。

「……なぁんダ其処そこに居やがっタか」

 夜色の欠片に、槐も気づいたらしい。槐は欠片の降ってくる方向、即ち天井を見上げると口の端を持ち上げて歪ませた。

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