星巡りの結末 十一 蛇と柘榴の眼

「こっちとあっち、空間のが違うから気を付けてね」と言って、先行したのは三根岸だった。

 彼の後を追い掛けてその身を境界へとくぐらせた問志は、自身の頭から足先へ向かい働いていた重力が、いきなり反転したことに気が付いた。

 重力に逆らえず背中から転がった問志が上半身を起こすと、そこには少し前に訪れた時と変わらない散乱した玩具と、三根岸にじゃれつく犬張子の姿があった。


 自分は一体どこからこの部屋に入ってきたのだろうかと問志が周囲を見渡すと、丁度槐が四角い擦り硝子の窓から飛び出してきたところだった。槐に器用に受け身を取って素早く立ち上がると、自身へ向かってきた犬張子を適当にいなす。


「で、ここからさっき話していた"蛇の巣"へ入るわけだ」

 三根岸が指差した先の襖は、問志と三根岸が出会った一番最初の部屋から、この部屋へと入った際にくぐった襖だった。

「三根岸さん、この先の部屋に蛇なんて居ましたっけ?」


 あの部屋に在ったのは、白い人型の部品と畳の上を泳ぐ影の魚、それに錆びた金の絡繰だった筈だ。

「最初に君と私が会った部屋のことだね?確かに私たちはこの襖を通ってあの部屋から此処に来たけれど、この襖から最初の部屋に戻ることは出来ないのさ。大きな空間を仕切っているんじゃなくて、複数の異空間を出鱈目でたらめに繋いでいる、と思って貰えたらいいかもしれない」

「随分適当にしテんなぁ」

「私も当時何度か言ったんだけどね、繋ぎ直すのが面倒だって却下された。そういう訳だから、その辺りはあまり深く考えずさっさと進もう」


 そう言いながら三根岸が順序に沿って襖を開けると、薄暗い部屋の中を大量の蛇に似た何かがうごめいていた。

 ......それを見た三根岸は、何も言わずにそっと襖を閉じる。


「おいオい、さっさと進むんじゃなかったのか?」

 槐はこの部屋の通過を躊躇した自身を棚に上げて三根岸を煽るが、男は鬼を一睨みするだけでやはり襖は閉じたままである。

「進みたいのは山々なんだけどね、正直思っていたより大分キツイことになっている」

「キツイというと?」と問志。

「見たらわかるよ」

「……わあ」

 三根岸と入れ替わるようにして問志が襖を小さく開けると、蛇に似た黒く細長い生き物の群れで、床が埋め尽くされていた。


 幸か不幸か境界を示す水面はいでおり、中に入らずとも内部の様子は比較的正確に把握できた。元々は何処かの学者でも居たのだろうか、蛇の這い回る壁にはがくに入った虫の標本が掛かっており、大きな横長の硝子棚の中にはいくつも中身のよくわからないホルマリン漬けの瓶や哺乳類の剥製が並んでいる。


 問志は棚の上に卓上鏡らしきものを見つけるもののその鏡面は何も映しておらず、代わりに自身の色と同じ黒い蛇を滾々こんこんと産み出していた。それでも部屋から溢れていないのは、鏡から出てくる蛇同士で喰い合っているからで。


 其の内の一匹が、問志の存在に気が付いた。蛇は空気の漏れるような音を出して少女を威嚇すると、勢いよく襖に向かって飛んできた。

 慌てて、問志は襖を閉める。


「......共喰いする位ですし、まあ入れば僕らも食べようとしますよね」

「いっそ数が減ルまで待ってみるかい?」

「激しく喰い合っている割には減っている様子もない。何時間掛かるかわかったものじゃない」

「あ、もしかしてあの蛇擬へびもどき、食べられたそばから鏡を通して吐き出され続けてたりしません?だったら減りも増えもしませんよね」

「鏡?何処にある?」

「え、あれ多分鏡ですよね?ちょっと暗くて見え辛いですけど」

 問志は蛇の湧き出る鏡を指差したが、依然いぜん 三根岸は首を捻ったままである。


 助け船を出したのは、槐だった。

「お嬢さん。多分あの時と一緒だ。不肖達に見えテいるのは、床が共喰いする蛇で埋まった辛気臭い部屋だ。ソの鏡は何処にある?他に何が見えている?」

「……あの時って、常磐山のときのアレですか?」

 問志の質問に、槐は無言で頷く。


「……えっと、横に長い硝子戸のある棚は見えてますか?」

「ウん」

「その上に、卓上鏡みたいな形をした真っ黒いものがあるんです。結構大きめだと思います。鏡そのものは縦長の楕円形で、一本の脚で支えられています。それで、鏡のふちに透かし彫りみたいな飾りがついています。それの鏡面だった筈の部分から、ずっと蛇が出てきています」


「オイ坊主、心当たりあルか?」

「……あったよ。形も大きさも彼女の言った通りのものが。自分の尾を喰う蛇の意匠が施してあったから珍しくてよく覚えている。この部屋で探そうとしていた鏡そのものさ」

「ならば元を辿れば怪異、もとい鬼の一部で間違いナいよな。つまりお嬢さんは、怪異の残影を視ていたって訳か。……しかしまあ、ウロボロスならそりゃあ喰ウし喰われるわなぁ」


 怪異の残影、と少女は小さく呟いた。

 それが今この場で、自分だけに視えているものの正体であることを疑う必要はないだろう。

 それなら常磐山で自身が対峙し燃やした影の虚人はなんだったのだろうと思わず考えこもうとして、問志はそれを振り払うように軽く頭を振った。今頭を使うべきことは、それではないと。


「何にせよ、蛇が減らなイ理由はわかった。此れは強行突破するしかなさそうだな?この部屋の余計なもの全部燃やしちまうのが本当は一番イイが……」

「壊すのは最低限にしてくれよ、只でさえ彼女は不安定なんだ」

「わかってルよ。不肖たちが此処から出る前に怪異が保てなくなって、閉じこめられるのはゴメンだ」

「僕らに近づけないようにすればいいだけなら、槐さんが焔を出せば避けませんか?普通の蛇みたいに」


「……やっテみるか。上手くいかなかったら無理矢理進むからな」

 そう言って槐は懐からアンプルを取り出して開けると、中に入った赤い液体__問志の血液を一滴残らずあおった。

「足ります?」

「足リてる。行くぞ」

槐は袖を捲ろうとした問志を制し、傘を開く。そうして開いたそれを盾のようにしながら、蛇ののたうち回る部屋へと足を踏み入れた。

 その瞬間、夢中になって喰い合いをしていた蛇たちは侵入者に気づいた途端に食欲の矛先を槐達に変え、皆一斉に襲いかかってきた。




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