星巡りの結末 六 古い写真

 その鬼を撮影した写真はアルバムの数頁を占めており、どの写真の中でも鬼は随分と楽しげだった。


 経年劣化で色が浅くなった写真達はどれも室内で撮られたもので、その内のいくつかは内装や荷物の様子から、槐が現在進行形で物色している部屋で撮られたものだと判断できた。花嫁のようなその鬼が、この空間の当事者またはそれに近いものであると、槐はある程度疑わなくていいだろうと踏んでいた。


 槐の手が再び止まる。鬼の目に留まったのは、見知らぬ少年であった。

 背景は鬼の写真と等しい。丁度槐がしゃがみこんでいる辺りで座布団に胡坐あぐらをかいて座り、頬杖をついている。写真の中の少年は首だけをこちらに向けて、随分と不機嫌そうな表情をしている。


 最も印象的なのは、額の左側に広がる青黒い痣。伸ばしっ放しの前髪を適当に流して額を晒す少年の痣は直径四センチほどの大きさで、普段はきっとその重たげな前髪で隠しているのだろうと容易に想像がついた。あまり日に焼けていない青白い肌と相まって、随分 陰鬱いんうつそうな少年であった。

 少年の写真はたった一枚だけ。それも、鬼の写真に紛れ込ませるようにアルバムに収められていた。


 槐は積み上がった別の本にも手をつけてみたが、どれも専門的な絡繰に関する書類がほとんどでとてもではないが短時間で読めるものではなく、槐は早々に本を閉じた。


 次にやたらと引き出しの多く取り付けられた箪笥たんすに手をつけた槐は、随分長い間手入れされた様子のない、錆びた古い工具類と現像機にフイルム、それに写真機を見つけ出した。恐らく、あのアルバムに納められた写真の大半はこの写真機で撮影されたのだろう。

 槐は他の引き出しも手あたり次第開けてみたものの、中身はガラクタばかりで目ぼしいものは見当たらなかった。


 どこにもでありそうな部屋だ。強いて特徴を挙げるとするならば、四方の壁の欄間らんまに施されたわしの彫刻が目を引くくらいであった。

 きりを彫って産まれた数匹の鷲は眼球の部分に翡翠色の玉を埋め込まれていた。室内の僅かな光を反射してぬるりと鈍く光る目玉は、まるで鷲が生きて此方を監視しているように錯覚させる。


 ……これ以上此処にいても埒があかない。槐は更なる現状の進展を求めて、もっと言えばこの奇怪な場所から脱出する方法をさぐるべく、傍に在ったふすまを開けることにした。



 開け放たれた襖の奥の景色は、槐を困惑させた。

 いだ水面のようにわずかに揺れる境界の向こう、薄暗い部屋の中は、へびの巣だった。

 正確には、蛇によく似た細長く黒い生き物めいた何かが数百以上集まって、くねり絡まりうごめいている。それらが床は勿論のこと、壁を伝って天井までも覆い隠しているのだ。その部屋の奥に、出入口らしき仰々ぎょうぎょうしい扉が一つある。

 蛇が無数に蠢くその部屋は、生理的嫌悪を抱かせるのに十分なおぞましさが詰め込まれていた。


「……出来れば足突っ込ミたくねぇな」

 槐は、一度自身が開いた襖をそっと閉じた。襖を閉めてしまえばあの不気味な部屋は全く見えなくなる。しかし、逆を言えば薄い壁一枚隔てただけの場所にあの部屋は在り続けているのだ。それはそれで気味が悪い。


 槐が襖の外観を改めてよくよく見ると、先ほど開いた襖と柱を一本隔てて横に並ぶもう一つの襖、そのどちらにも下部に襖絵が描かれていた。


 四角い部屋の一辺を贅沢に使用して描かれていたのは、蓮の咲き誇る大きな池であった。淡い色を基調に描かれた美しい虚構の池は、よくよく見れば花が風に揺れ、水面には度々 波紋はもんが広がっている。


 瑞々しく無数の蓮の花が咲き誇る美しい襖絵には、絵が動く以外にも決定的な違和感があった。円形に広がる葉の上に鎮座していたのは丸い目をした蛙ではなく、先端に針の付いた長い尾をもたげ、二つのはさみを両手にたずさえたさそりだった。花や葉の大きさから推察するに、体長は六センチ強といったところだろう。


 砂漠を住処とする印象の強いこのむしは、実際の所乾いた土地以外を根城とする種類も少なくない。とは言っても、極陽國きょくようこく本島で蠍を見かけることが出来るのは、博物館に保管された剥製や、昆虫図鑑くらいなものである。

 古くからこの國に根付き愛好されている蓮の花となじみの薄い蠍が、東洋的な細い線と薄い色合いで同じ襖に描かれている様は、斬新にも見えるし、不自然にもみえる。


「……まテよ」

 ふと槐は思い立ち、後ろを振り返って先ほど自身が一度開いた方の襖をじっと見つめた。そこには蓮全体に身を絡ませながら此方を見つめる、一匹の蛇が居た。

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