星巡りの結末 五 花咲く海月

 問志は自身の背後に浮遊している海月型の調整器、その上部に取り付けられた真鍮の輪を掴んで自身の元へ引き寄せた。そうして、ぐるん。と、調整器の上下をひっくり返したのだ。


 するとどうだろう、円状の持ち手部分と調整器本体の接合部分からかちりと音がして、そのまま持ち手は柔らかいゴム製のホースが重力に従うように真っ直ぐ床へと伸び、少女の胸下から地面に着く程の長さになった。

 それに続いて球体を覆っていた真鍮の花弁にも変化が起きる。


 金属の花弁が本体から剥がれ、中身が露出し始める。海月が逆さまになる前から本体の下で揺れていた紙垂のような金属片は蕾の内側の底から伸びていたもので、上下が逆転したことで長さを増して再び花の下で揺れている。

 そうしてあらわになったのは、、歪な六角柱の水晶に納められた白い焔だった。


 花弁の形をしていた筈の部品は大小二つの三日月のような形へと転化し、ゆっくりと水晶の周囲を廻り出した。上から見れば、白い焔を軸とする時計の長針と短針にも見えただろう。


 街灯がいとうにも酷似したそれを目にした三根岸は、感嘆とも呆れともとれる顔をしていた。

「なんというか、随分派手に組み変わる調整器じゃないか。技師の趣味かな?それとも君の注文かい?少し見せてもらってもいいかな」

「どうぞどうぞ。変形するのは母の趣味なんだと思います。僕の働いている店でも調整器は取り扱っていて、多少は他の調整器も見たことはあるんですが、やっぱりここまで見た目が変わるものって珍しいんですか?」

 別物のように姿が変化する調整器は、問志の記憶にある限り榴月堂には置いていなかった。


「ここまで見た目に変化があるのは単純に高価だから珍しいね。......おや」

 問志から渡された杖状の調整器をくるりと回し、軽く眺めていた三根岸の手が止まっる。

「どうかしましたか?」

「いや、調整器自体の作りもかなり上等だよ、これは。ウチの連中が使っていてもおかしくないくらいだ。お母様が作ったと言ったね。大事になさい」


「……ありがとうございます」

 問志はこの道具に関して、専門的な知識を持っているわけではない。しかし、間接的にでも自分の母が褒められるのは、悪い気分はしなかった。


 調整器を三根岸から返却された問志は、改めて調整器の要になっている水晶に閉じ込められた白い焔を覗き込んでみた。清水のように透明な鉱物の中で、月白色の焔が焚き物もないのに絶えず燃えている。


「正直言って、修理しろと自分の所に持ち込まれたら躊躇ちゅうちょする位には面倒な構造もしているけどね」

 顔を上げれば、三根岸は若干うんざりする様な表情だ。キキョウ局の専門家がこんな顔をするとは一体どんな構造をしているのか、少し問志は興味が沸いた。


「さて、申し訳ないが、僕にはそれは使えないから先導をお願いできるかな」

「承知しました、では」

 そうして問志は調整器を片手に、真っ暗な次の部屋へと踏み込んだ。


  ◆ ◆ ◆ ◆


 堅い地面の上を歩いていた筈の自身の足が、急に沼の中へと踏み入れたような感触になったことで身体のバランスを崩したえんじゅは、ややよろめきながら体勢を立て直し正面を向いた。

 すると目の前に広がったのは先ほどまで彼が歩いていた閑静な住宅街ではなく、八畳ほどの四角い部屋だった。


「……どこのどいつの仕業ダこれは」

 槐は露骨に顔をしかめこそしたものの驚く素振りは見せず、ただこの状況を生み出したであろう誰かと、その誰かの巣にうっかり踏み込んでしまった自身の失態に舌打ちを一つとため息を一つ。


 肺の空気をひとしきり吐き出した槐が周囲を見渡すと、ちゃぶ台の上にはいくつかのネジとゼンマイ、工具が置きっぱなしになっていた。脇には分厚い書物がいくつも積み上げられたまま埃を被っていて、綿のへたれた座布団が向かい合わせになるよう畳の上に放ってある。大きな丸い窓には星の瞬きと波紋を模した模様硝子が嵌めこまれているが、外の様子は不明瞭だ。


 槐は、本の塔から比較的埃を被っていないものに検討をつけて手に取ると、パラパラと中身を流し読んでみた。中身はアルバムだったようで、経年劣化で色褪せた写真が規則正しく収まっている。


 アルバムの冒頭は森の中の小川や夜空、活気あふれる商店街といった風景を納めたものが多く、その次に小動物や植物の写真が増えている。分厚いアルバムは四季折々の人の営みもよく映していた。槐の眼が特に注目したのは花嫁行列の写真だった。桜の薄紅と藤の花、それ以外の青々した木々で斑らに染まる山と空、遠くにぽつんと佇む音波塔を背景にして、畦道あぜみちを進む人々の様子は穏やかな幸福に満ちていた。


「……ん?」

 適当にぺーじまくっていた槐の手が止まる。西洋の花嫁の真似事をするように、レースで縁取られた白いヴェールを頭から被った一体の鬼が写真の中に納まっていたのだ。


 繊細な刺繍が施されたヴェールの間から零れる長い髪は、深い萌葱色もえぎいろひたいから二つ生えた丸みを帯びた角の先端は桃色に薄く染まり、頭部全体で蓮の花咲く沼を槐に連想させた。

 こちらに向かって微笑む鬼は随分と幸せそうに見え、随分いい写真を撮ったものだと槐は思った。


 この写真の鬼が、この空間の主であるかもしれない。可能性は十分にあると判断した槐は、更に多くの情報を求め頁をまた一枚捲った。

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