比良坂の巨岩 三 常盤山に住まう鬼

 常磐山は古くからこの地で忌み山と呼ばれ、西出雲町の人間は幼少期からかの山にはなるべく立ち入らぬようにと躾けられる。しかし、その理由は語り手によって様々で、恐ろしい化け物がいるからだとか、山神様が人嫌いであるとか、逆に人好きが転じて神隠しをされてしまうからとか、とにかく挙げればキリがなかった。


 実益的な話をすれば、この山は岩ばかり転がる土地のせいか狩りをするにも獲物はみな小さく、植物もみな細々として、おまけに木々は曲がりくねって木材にも使えない。西出雲町周辺には常磐山の他にも小山がいくつか存在していたため、わざわざ恵みの少ない山へ町人が立ち入る理由もありはしなかった。


 更に山の中腹には山神あるいは化け物を奉っているとされる社が存在していたものの、十年前に起きた火事で神事を一手に担っていた一族全員が死亡してからは、余計に町の人間は皆気味悪がって避けるようになっている。


 そういった曰く付きの山を大金を叩いて購入した、元はこの地と縁も所縁のない東雲羽鐘達の立ち位置もあまりいいものとは言えず、ある程度距離を置かれていたことは想像に難くないだろう。


 なんの心当たりもなく、そもそもこの山にまだいるのかもわからない人物を一人で探し出すのは困難だと判断した問志は、町の中心部にある交番へ助けを求めるべく自宅の通話機を手に取った。


「行方不明って言ったって昨日の今日でしょう。セルマンさんも一緒なんだったら例え崖から落ちてたって無事でしょうに」

「だからこそなんの音沙汰もなしに二人ともいなくなっているのがおかしいんじゃないですか」

「いやいや、仮に”鬼”でもどうしようのない様なことが起こっていたとして、それなら余計に俺達が出ていったってしょうがないじゃないですか」


 そもそも、あんな忌み山に住んだりするから、と通信機越しの声に突き放されて問志は口を噤んでしまう。警官である四十代後半の男は生まれも育ちも西出雲町の人間で、問志に対して協力的でないことは声色だけで十分に伝わった。


 問志は彼を頼ることを早々に諦め、せめて何か足取りがわかるような話が耳に入ったら教えてもらえるようにだけ頼むと、自力で協力者を探すために一人町へと降りた。結果は散々足るものだった。誰もかれも常磐山を恐れ、または警官と同じようにミシェルが一緒なら心配ないと諭され、山に登ろうとするものはいなかった。最期の頼みの綱は羽鐘が常磐山を買い取るまで一時的にかの山の管理者となっていた町一番の地主である黒河家当主であったが、運悪く彼はその日朝から外出していた。代わりに、特に問志達を毛嫌いしている当主の母親に見つかってしまい、彼女は塩を問志に投げつけるほどであった。


 そういった経緯が手伝って、彼女は一人で深い山の中を両親の手掛かりがないものかと彷徨い続けていたのである。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 真朱は扇子を弄びながら、思考を巡らせていた。どうやら、その動作は彼女の癖らしい。

「問志さん、念のために伺いますがミシェルさんは本物ので間違いないですね?」

「そうです」


極陽國で生きる人間にとって、鬼と呼ばれる存在は隣人である。彼らは決して御伽噺おとぎばなしの中だけで生きているわけではなかった。


……但し、虚構の鬼と現実の鬼の在り方は随分と勝手が違うものではあったが。

「何か厄介事に巻き込まれているような話は聞いていませんか?この山に関係したことだけでなく、例えば仕事などでも」


「町の人に関しては厄介事以前に、僕達にはなるべく関わりたくない人の方が多いですし、何もなかったと思いますよ。仕事に関しては、どうでしょう…。羽鐘、母はあまり仕事のことを教えてくれないんですよね。作業は離れの工房でしていたので、何かの技師であること位しか知らないんです。時々数日間外出することもありましたけれど、母と父の何方かは必ず家に居ました」


「私たちのようは訪問者は?」

「時々います。今年はお二人が最初のお客様ですね」

「…ふむ。探偵でもないアタシがこれ以上推理ごっこをしても仕方ありませんし、さっさとアタシなりの方法を試したほうがいいようです。問志さん、羽鐘さんかミシェルさんが普段愛用しているものだとか大事にしているものを少しお借りできませんか?」


「母の大事にしているものなら、丁度此処に」

 真朱の求めに応じて問志が彼女に渡したのは、真鍮しんちゅうで出来た懐中時計だった。外蓋には鈴蘭の意匠が施されており、耳をすませば機械式特有の動作音が聞こえる。問志は、時折母からこの懐中時計を借りて、コチコチと鳴る機械音を聞くのが好きだった。規則正しいそれは、心臓の鼓動にも似ている。


 真朱は問志からそれを受け取ると客間の机の上に置き、先程書いていた半紙を二つに折りだす。半紙を全て折り、それらを懐中時計の上にばら撒くと彼女は静かに奇妙な言葉を唱えた。

「蜜を探すしるべは此処に。欠片は甘き糧なるもの」

 そうすると、風も無いのに半紙が生き物のようにパタパタと羽ばたき出したのだ。


 紙の蝶だ。空中を優雅に飛んでいる半紙だったものを見て、問志はそう思った。

 それらは、問志の周りを三周ほど回ると、やがて換気の為僅かに開いていた硝子窓から外へと出てしまった。問志が唖然としている間に真朱は懐中時計を少女へと返すと、椅子から腰を上げて上着を着込んだ。


「それじゃあ始めましょうか。失せ人捜しを」

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