比良坂の巨岩 四 紙の蝶と秘密の階段

 ひらひらふわふわ。やや不安定で心もとない軌道を描きながら宙を舞う紙の蝶たち。それがさも当たり前の現象だと言わんばかりの態度で外へと移動した二人を追って、問志も慌てて外へ飛び出した。


 日の光の恩恵を失いつつある冬場の山は薄暗い。雪が支配する白い世界で、同じく白い蝶は今にも見失ってしまいそうなほどあやうかった。

 蝶の群れは母の工房である離れの方向に向かう群と、自宅の脇から伸びる山道山頂の方へと向かう群に分かれていた。


「別れてんぞ。どうする」

「東雲さん、あの蝶が進んでいる方向に何があるのか教えていただいても?」

「ええと、あっちの方角には離れしかないです。そっちの道は山頂まで続く上り坂で、ここから少し歩いたところに廃れた社があるくらいですが…一体あの蝶々はなんなんですか?」


「失礼、説明をきちんとしていませんでしたね。あれは、対象と縁の深いものに引き寄せられていく式神の一種ですよ」


 真朱曰く、あれは見立てのまじないらしい。

 蝶が蜜を求め花々に吸い寄せられる仕草を疑似的ぎじてきに再現することで、探し物を行うのだそうだ。


 彼女は、陰陽師やそれに準ずる職業なのだろう。この町にはそう呼ばれるものたちはいなかったが、帝都や大都市であれば一定数存在するのだと羽鐘から聞いたことがある。

 しかし、まじないの力が本当ならば、どうして蝶は二手に分かれたのだろうか。


「この山、確かに様子がおかしいですもの。忌み山と認知されているのも頷けます。具体的に何がどうおかしいのか、と聞かれると難しいのですが。まあ二手に分かれただけ済んだのですから良しとしましょう。あちらは羽鐘さんの工房だとおっしゃっていましたね。例えば、あの中に懐中時計と対になるものや縁の深いものが収められていてそれに蝶が反応している、なんてこともあり得るでしょう。社やその上は見に行かれましたか?」


「一通りは。社の方はどこもかしこも床に穴が開いているくらい老朽化が進んでいて、僕一人では太刀打ちできずに途中で引き返してしまいましたが」

「賢明な判断かと思いますわ。ではアタシと槐で社の中を捜索することにいたしましょう。念の為、東雲さんにはもう一度離れを見てもらいたいのですがよろしいですか?蝶が何か見つけ出さないとも限りません。何もなければ社の方に来ていただければと思います」


 工房は羽鐘にとって母屋よりも重要な財産であった。いくら協力的と言えども、会ったばかりの人物を、本人の許可なくあの場所に案内するのは多少の抵抗があった問志としては、その提案を断る理由もない。しかし。

「僕はそれで構いませんが、あの社、本当に倒壊寸前みたいな場所ですよ?」


 問志は、二人の身なりを一瞥した。和傘を開き持つ槐の腕は随分と細く、生気を感じない色味をしている。上背うわぜだって問志よりかは高いが、それが余計に肉付きの悪い不健康な印象を助長させていた。

 真朱に関しても槐のように不健康に見えるというわけではないが、品の良い立ち振る舞いが板に付き過ぎて、蟲やかびうごめくあの社の中を歩き回らせるのは気が引ける。


「先ほど申した通り、アタシは意地でも羽鐘さんにお会いする必要がありますので其の為には多少の悪路など些細なことです。それに、こう見えてアタシはかく 槐の身体能力は保証しますわ」

「…そこまで仰るならお任せします、お二人ともお気をつけて」


 こうしている間にも白い蝶の模造はひらひらと自分達から離れていっている。問志は、真朱と槐に社とその付近の捜索を託すことにして、一人離れへと吸い寄せられた蝶たちを追った。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 背面の岩壁に沿うように建てられた離れは、小さいながらも頑丈な造りをしている。今朝から持ち歩いていたままの鍵を懐から取り出して引き戸を開ければ、仕切りのない部屋の中をいくつかの蝶がぐるぐると旋回していた。


 羽鐘は母屋の自室は荒らし放題なくせに、この工房だけはいつも整理整頓をきちんとしていた。問志は時折この工房を覗く度に、自室にもこの位気をつかって欲しいと思ったものである。


 しかし、今この部屋は主人が留守にも関わらず仕事で使用したのであろう工具類が乱雑に放置され、それが羽鐘とミシェルにとって不慮の出来事が起こったのであろうことを如実に表し、問志を焦燥させる。紙の蝶は未だ中空を彷徨っているだけだ。


 此処ここは羽鐘にとって一番大事な場所。真朱の言った通り、羽鐘本人ではないが縁の深い場所へ蝶たちは引きずられたのかもしれない。そう結論づけて真朱たちの後を追うべく問志が踵を返そうとした丁度その時、異変は起きた。


「……なに?」

 規則性のなかった蝶たちが一羽、二羽と地上へと落ちてきたのだ。彼らは床板の一カ所に集まり、水辺に集まる群れのように静かに羽を上下に揺らしている。

 床の下に何かあるのか。だとしても、床下収納の為の戸などは見当たらないし、両親から聞いたこともない。


 問志は、何か他に手掛かりになるものがないか慌てて周囲を見渡した。そうすると、一羽の蝶が工房内の一番奥にしつらええられた本棚に吸い寄せられているのが見て取れた。ぎっしりと本が詰め込まれ、年季の入った古い本棚だ。

 その内の一冊に、紙の蝶は止まっている。


 緑青色りょくしょういろの革に包まれたその本は随分年季の入ったもののようで、タイトルからして異国の宗教に関する本だとわかった。

 羽鐘とミシェルは異国の言葉に堪能で、問志にもほんのわずかだが心得がある。

 とにかく本を一度確認しよう。

 そう考えて問志は本棚から本を引き抜いた。否、引き抜こうとした。


 本の奥からがちりと妙な音が鳴って、そのまま取り出しきれず引っかかってしまったのだ。問志は不思議に思って再度革表紙に手を掛けようとしたが、がこんっと何か硬いものが外れる音とともに、足元から微弱な振動が身体に駆け上がってきた。


 咄嗟に周囲を見渡した問志の目に飛び込んできたのは、蝶たちが群れていた筈の床板部分に空いた長方形の空洞。空洞は徐々に広がり、一辺が一メートルもない正方形にまで広がっていく。その空洞に、くだんの蝶たちが吸い込まれていく。

 恐る恐る問志が中を覗き込むと、内部に石で出来た階段が現れていた。


「…嘘」

 茫然とする問志を余所よそに、紙の蝶たちは階段の奥、闇の中へ着々と進んでしまっている。

 …二人を呼び戻しにいけば、この蝶たちを見失う。そんな予感がした。

 問志は急いで工房の入り口に戻り、脱ぎ捨てていた自身の靴と靴棚の上に放置されているカンテラを掴むと、両親の手掛かりを追いかけるべく暗い石階段を下っていった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る