わすれもの 七 鬼の警告

「…あの、お茶、美味しいです」

「それは結構。ごめんね、冷めると香り立ちが悪くなるからって、少し熱めに淹れすぎたみたいだ」

 居た堪れない空気を振り払うように問志がやや強引に言葉を引き出せば、柳はゆるく笑っていつの間にか淹れていたらしい自身の分の茉莉花茶まりかちゃをあおる。


「菊荷さんも、その、座りませんか?真朱さんからあの烏の行方を視て貰っても、捕まるのは僕らでやらなきゃあいけませんし、休憩して体力を温存しましょうよ」

「…まあ、それも、一理、あるな」


 明らかにその場を取り持つ為だとわかる問志の振る舞いに毒気を抜かれたらしい菊荷はゆったりと茶を啜る柳を一瞥すると、ぐりぐりと自身の眉間を指でほぐすような動作の後、深く息を吐いた。


 そうして彼は帳場に置かれていた湯飲みを手に取ると、中身を一気に喉へと流し込んだ。菊荷が飲み干そうとしているものと同じ急須から注がれた茶でつい先ほど舌を火傷しかけた問志は菊荷の挙動にぎょっとしたが、彼は平然と湯飲みの中身を開けてしまう。


「御馳走様です。...それと、先ほどの発言は俺が軽率でした。謝罪します」

「君、なんというか凄く思い切りが良いねぇ。そういうの嫌いじゃあないよ。僕も少し大人げなかった自覚も出てきちゃったし、…お互いさまってことにしようか」


 店内を支配していた緊張感が明確にほぐれだしたことに安堵した問志は、冷えた手の平を温めた為に僅かにぬるくなった湯飲みに口をつける。体の中から温まり始めたせいか、問志の顔色は幾分かマシになってきていた。


「それに君が警戒するのもしょうがないしね。むしろ、この位の警戒心は持っておいた方がいいよ。問志くん」

「え、僕ですか?」

 急に名指しをされた問志が返事をすると柳は警告を続ける。


「そう。君が真朱くんの下で、榴月堂りゅうげつどうで働くなら猶更なおさらさ。今後君は多くの鬼と関わる事になる。鬼の全てが君たち人間に友好的である訳じゃあないからね。危険な怪異を持つものだっている。無邪気に僕らと向き合う君を、好ましく思う鬼は勿論少なくないだろう。けれど、その隙に付け込む鬼だって同じくらい存在するんだから」


 穏やかな物言いこそ先ほどと変わりなかったが、柳の目は真剣そのものだった。

「気を付けなさい。もし君に万が一があると、真朱くんが気に病んでしまうからね」

 柳の警告に、問志は大人しく首を縦に振る。


「うんうん。君が素直な子でよかった。ああ見えて真朱くんは繊細な心の持ち主だから、気にかけてくれると助かるよ」

「柳さんは真朱さんとのお付き合いが長いんでしたっけ?」


 問志は、先日真朱に連れられて初めて柳と顔を合わせた時のことを思い出していた。その時の真朱の様子は、柳に対して随分と親しげだったと問志は記憶していた。言動が馴れ馴れしい、という訳ではなく、どちらかといえば長年の恩師に対する気軽さ、といった風であったのだ。


「そうだね、言われてみれば真朱くんと出会ってからもう八年以上は経つかな。あの子、少しの間此処で働いてもいたんだよ。商いのノウハウを学びたいって言ってね。思い出すなぁ、僕は真朱くんに接客の立ち回りから在庫管理まで手取り足取り教えた自負があるんだけれど。いつの間にかあの時の真朱くんと同じ位の年齢の女の子を、彼女が自分の店の従業員にしていると思うと、いやぁ少なからず感慨深いものがあるねぇ」


 柳は、しみじみと懐かしむようにそう言いながら飲みかけの湯飲みを帳場に置くと、また暖簾を潜って店の奥へと引っ込んでいってしまった。柳が火をつけたままの茶煙草の煙が、主人を探すように店内を旋回しては溶けて消えていく。

 

 残された二人の間に僅かな静寂が横たわる。問志は湯飲みに口を付けながらちらりと菊荷の横顔を覗き見ようとした。実の所、蜜色の肌に沈む深い深い紫水晶アメジスト色の瞳が気になって仕様がなかったのである。


 しかし、何か思うところがあったらしい青年も問志のことを気にしていたようで、二人の目線はばちりと幻聴が聞こえてくるような勢いで合わさってしまい、思わず問志の肩が跳ねる。

「……あー、その、さっきは気をつかわせたな」

「いやぁ、まあ、つかいましたけれど…ちょっとだけ」

「正直だなぁ」

 青年はほんの少しだけ脱力したように笑って、深い紫の中にほんの少しだけ光が差した気がした。


「だってこの状況で嘘ついてもしょうがないじゃあないですか」

「全くだ。そうだ、君が働く榴月堂りゅうげつどうは鬼と関わる仕事だとあの鬼が話していたな。となると、あの店は血液の売買をしているのか?」

「そうですよ。とは言っても僕は採血するための許可証を持っていなので、専ら帳場関係の雑務や備品の発注をしているのですが。それに、」


 丁度問志が”特区で作られた品物の販売代行もしています”と続けようとした時、店の引き戸ががらりと開かれ、反射的に問志と菊荷は後ろを振り返った。


「あら、問志ちゃんじゃない。貴方もお買い物?」

 そうして店内に入ってきたのは二人の探し人。艶やかな髪を赤い紐で束ね、優雅な淑女たる風格を湛えた糸魚真朱だった。


「いや、なんでも急ぎの用事があるとかって話だよ」

 真朱の声に応えたのは問志ではなく、拍子を合わせたように店の奥から姿を現した柳であった。その手には真朱の為の空の湯のみが一つ。

 彼は帳場の上に置かれたままの急須を片手で軽く揺らした後、中身を湯のみに注いでいった。


「そうなんです。急ぎで、探しものをしてもらいたくてっ」

「もしかしなくても、失せ物があるのは問志ちゃんじゃなくて其方の方ね」

 直ぐに依頼人を察した真朱は、菊荷へと視線を投げた。


 色硝子越しの瞳が、菊荷を値踏みでもするかのように頭の先から爪の先までじいっと暫く見つめていたかと思うと、眉間に皺を寄せながら僅かに首を傾げた。


「貴方まさか。……いいえ、人違いだったわごめんなさいね。それよりも、問志ちゃん」

 真朱は問志を手招きすると、店の端へと誘導して耳打ちをした。

「彼は貴方のお友達?」

「いいえ?半刻前くらいに知り合ったばかりです」

「そう…。あのね、確かにアタシは常盤山ときわやまでやった通り、失せ物探しは得意よ。だけど、アタシはアタシがああいうことが得意だって、話が広がるのは避けたいの。これからは無闇に話さないこと。いいわね?」

「よ、用心しますっ…」

「よろしい」


 真朱は問志の返事を聞くと、僅かに唇の端を持ち上げた。そして直ぐに身体の向きを変え、事の成り行きを見守っていた菊荷へと対峙する。

「さて、改めて名乗らせてもらいましょう。アタシが糸魚真朱。榴月堂の店主よ」

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