わすれもの 五 煙草と鬼と印


 帳場の陰からひょっこりと顔を出した人物の容姿は、些か茶煙草を扱う店の主人としては不釣り合いな幼さを持っていた。百四十センチ程の背丈にあどけなさを深く刻む丸い顔は、十二歳だと言われても違和感がない。大きな水色の瞳を伏せて火のついた茶煙草を咥える様は不良少年そのものだ。

 しかし、その仕草は妙に慣れており、風格さえ感じる。


 問志にやなぎと呼ばれたものは、眉間に皺を寄せる菊荷に対して特に不機嫌になることもなく、むしろその反応を面白がる様に口角を上げた。

「いやぁ、最近は常連様相手ばっかりだから新鮮な反応だねぇ。初めてまして、僕は柳。芥子商店街で商いをしている人畜無害な鬼の子さ」


 柳があっけらかんした態度のまま被っていた三角巾を脱ぐと、彼の頭には小さな二本の角生えていた。大人の親指ほどだった捻れた角は、覆い隠す布が外された途端に大きくなって、二十センチ程の白い木の枝が絡み合うような姿へと変化していく。


「御覧の通り人間じゃあないんだから、僕が煙草を吹かそうが酒を嗜もうが何も問題ないわけだよ」

「橙埼さん、確かに柳さんの見た目は僕より年下に見えますけれど、実は芥子商店街でも古参なんだそうですよ。真朱さんが言っていました」

「その通り。今生きてる内で芥子商店街の最古参と言えば、何を隠そうこの僕だからね。この商店街が出来たばっかりのときを見てるから…百年以上は此処に住んでるんじゃないかな」


「貴方は憑き鬼なのか?」

「いいや。僕はずっと一人でこの店を守っているよ。まっ、僕のことはいいから座って座って。いい茉莉花茶まりかちゃが入ったんだよねぇ。もし気に入ったら是非買っておくれよ」

 柳は一方的に会話を完結させてしまうと、そそくさと暖簾の奥へと引っ込んでしまった。


「...誰とも契約せずに百年以上か、随分保っているな」

「保つ?」

 菊荷は、柳が消えた暖簾を見つめながらぽつりと呟いた。言葉の意味が掴めずに問志が思わず聞き返すと、青年は少女の質問に答える様に話し出した。


「柳さんと言ったな。契約痕が確認できないから確実ではないが、話していた言葉を信じるならば、つまり百年近く誰とも契らず自我を保っていることになる。伽藍がらんにも成らず、だ。十分長く生きているだろう」

「あの、けいやくこんとは?」

「ああ、そうか。聞き馴染みがないとわからないか。人間と契りを交わした鬼、つまり憑き鬼の身体の表面に浮かぶ円状の痣のことだ。首回りや四肢に現れることが多い」


 菊荷は自身の首に人差し指を滑らせながら問志に説明を続ける。

 彼の仕草に、問志は槐の首を一回りする傷痕のような模様と、彼女の父親代わりだったミシェルの首を飾っていた四角星が横一列に並ぶ模様を思い出す。あの刺青にも似たものに名前があると問志は知らなかった。


「あと、"がらん"ってなんでしたっけ?確か、鬼特有の病気?のような?」

 菊荷の話を聞けば聞く程浮かび上がる疑問符に、問志は内心自身の知識のなさを恥じていた。


 鬼が彼女にとってごく身近な存在で在り過ぎた故の影響もあっただろうが、とある事情によって同年齢の若者よりも言語能力の取得に時間を費やしていた問志は、片親が鬼であるにも関わらず、鬼に関して最低限の知識しか持ち合わせていなかったのだ。

 尤も、実際の所は極陽國でも鬼の生態をある程度把握している人間は少数派で、それらの知識をすらすらと説明できる青年の方が特異ではあるのだが。


「あの状態を病気と評していいのかはわからないが、彼らにとっては数少ない脅威の一つだろう。伽藍がらんというのは、鬼の核である童子石どうじいしの崩壊によって記憶と人格が破綻した状態のことだ。名前の由来は、発症した鬼の童子石は内側から徐々に空洞が広がって、最期にはごく薄い外殻しか残らなくなるから、らしい。伽藍化した鬼は衝動のままに血を求めて暴れる奴もいれば、植物状態になってそのままの奴もいる」


「…うすい外殻」

 問志の脳裏に、常磐山ときわやまで自身が看取ったくだんの鬼の最期がよぎる。砕けた童子石は、卵の殻のように薄くはなかっただろうか?


「鬼が伽藍化から逃れる方法はただ一つ。人間と契約すること。だから鬼はわざわざ、”契約した人間以外の血が飲めなくなる”不利益を被ってでも人間と契りを交わす。自身の自由と天秤に掛けられるくらい、鬼にとって伽藍化は恐ろしいことなんだそうだ」

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