わすれもの 四 芥子商店街

 榴月堂から歩いて十分程の場所にある芥子商店街からししょうてんがいは、路面型商店街と呼ばれる部類の中規模商店街であった。中心となる道路に屋根はなく、端から端までの距離は三百メートル程ある。その道は元々この地で古くから信仰されている芥神社あくたじんじゃの参道の一部であり、また商店街の名もかの神社から漢字を頂戴して名付けられたものであった。


「槐さん、ええと同居人から聞いた話だとここに立ち寄っている筈なんですが」

 幸い、槐から教えられた店舗の場所を問志は知っていた。上京後直ぐに日用品を購入する名目で真朱と共に足を運んでいたからである。

 所々に苔むした灰色の石畳を足早で歩く二人の足が最初に止まったのは、大通り沿いに店を構える薬屋だった。内部の様子が外からでもわかるように大きな硝子戸が嵌めてある。


 「此処の薬剤師は腕がいいのよ」と真朱が話していた評価に漏れず、問志の左手の傷はこの薬屋のおかげで化膿はせず、少しずつ塞がれてきているのだ。

「…うーん。居ないみたいですね。次に行きましょうか」

 硝子戸の向こう側には薬の調合している薬剤師が一人と、その薬剤師に何やら相談している様子の女性、作り置きされた調合済みの薬を品定めする男性の三人だけで、真朱の姿はなかった。


糸魚いといさんはどういった見た目をしているんだ?教えてもらえれば俺も目ぼしい人物を見つけられるかもしれない」

 二人が早々に薬屋を後にして次の目的地へと足を運ぶ最中、菊荷は問志にそう尋ねた。


「真朱さんの容姿ですか?…そうですねぇ、深紫色の長い髪をした女性で、硝子に色のついた眼鏡を掛けてます。今日の服装はロングスカートだったかなぁ。あとは、そう!赤い組紐で作られた髪飾りをいつも身につけています。後ろ姿からだとわかりやすいと思いますよ」

「そうか、それだけわかれば十分だ。感謝する」

 そうこうしているうちに、二人は二軒目の目的地へとたどり着いた。


 二人が向かった先は此方こちらも大通りに面した文房具や紙類を扱う雑貨店であった。一足早くつるし雛が吊り下げられた店舗の入り口は狭く、建物自体が細長い構造をしているために手前側の様子はわかるが、奥に人がいるかどうかまでは店外からはわからない。

「僕が様子を見てきますから、橙埼さんは外を見ていてくださいね」

「承知した」

 問志は大通りの確認を菊荷に任せ、雑貨店の奥へと向かった。


 雑貨店の通路は外から見た通りに狭く、大人の人間が二人で並べば埋まってしまう程だった。人の通り道を極力狭めた理由は両壁に備え付けられた棚である。様々な種類の紙、それらで作られた雑貨、珍しい文房具が規則正しく、大量に陳列されている


 声を潜めがならあれが可愛らしいこれが面白いとお喋りに花を咲かせる同世代くらいの少女達の後ろをすり抜けて問志が奥を除くと、突き当たりには帳場ちょうばで会計を済ませる老紳士と店員しか居なかった。問志は老紳士が帳場から退くのを待ち、帳場に座る二十代半ば程の女性に声を掛けた。


「あの、すみません。此方に真朱さんは来ていませんでしたか?」

「あら貴方、榴月堂の。真朱を探してるの?十分位前に丁度来てたわよ」

 濃い色の着物の上から店の屋号が記された前掛けを身に着けた女性は問志のことを覚えていたようで、人懐こい笑顔を少女に向ける。

「十分前‼︎」

「柳さんの所に行くって話してたから、今から追いかけたら間に合うんじゃない?ほら、香木と茶煙草の店」

「ありがとうございますっ、お邪魔しました」


 問志は女性に礼を言うと、急いで外で待つ菊荷の元に向かった。

 大通りを行き交う人々を注意深く見ていた菊荷だったが、店内から出てきた問志にすぐに気がついて声をかけてきた。


「居たか?」

「居ませんでした!けど、十分前迄居たそうですっ。柳さんの所に行ったそうなので、今から行けばきっと追いつく筈ですから急ぎましょう!!」

 そう言うと問志は菊荷を案内するべく人込みへと混ざっていく。

「橙埼さん此方ですよ。先導しますから見失わないように頑張ってくださいねっ。僕も注意はしますけど!」

「わかったから前を向いてくれ転ぶぞ!!」


 二人がたどり着いたのは、大通りから枝分かれするように伸びている小道の一つに建つ古い建物だった。木造の民家を改築した店舗の内部を外側から伺うことはできなかったが、辛うじて磨り硝子の向こうから照明の光は確認できた。おもてには木製の立て看板が立てられており、"高級香木・茶煙草有"と白文字で書かれている。


「...営業しているのか?」

「扉に開店中って看板が掛かっていますから、営業してますよ。開けますね」


 ごめんください、と問志が硝子と格子で装飾された引き戸を引けば、僅かに白檀の香りがする店内は橙色の光で満たされていた。


 薄暗い店内を進む問志の後を追って引き戸に架かった暖簾のれんを潜った菊荷は、店内に満ちる薄白い煙の名残で霞む視界を慣らさんとして周囲をぐるりと見渡した。天井まで届く高さの飴色に磨かれた薬棚に囲まれた店の中は、外観よりもずっと手狭に感じる。部屋の中央に設置された木製のテーブルの上には、硝子の囲いに覆われた歪な形をした香木達がいくつも鎮座していた。


 その奥、細長い棚を脚にしてその上に天板を載せたような形の帳場兼デスクの傍には人影が一つ。

 二人に背を向け、茶煙草を吹かしながらはたき掃除に精を出していたこの店の主人は来客に気づいたらしく、振り向いて菊荷と問志へにこやかに笑いかけた。


「やあ、いらっしゃい。外、寒かったよね。真朱くんならまだ来ていないから、待っている間にお茶でもどうかな?」

「いえいえお構いなく。…あれ?なんで僕たちが真朱さんのこと探してるって知ってるんですか?」

「さっきにしきくんから連絡来たんだよ。真朱くんが来たら引き留めといてーって」


「錦...橙埼さん、さっきの雑貨屋さんの方が連絡してくれてたみたいです!」

「そうか、後で俺からも礼を…待て君、未成年じゃないか!!」

 問志と柳と呼ばれた存在の会話を後ろから聞いていた菊荷だったが、店主の姿を見た途端、彼は声を張り上げた。

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