わすれもの 三 白髪の青年

 青年は自身を橙埼菊荷とうざききくかと名乗った。

 厚手で裾の長いナポレオンコートとスラックスはどちらも墨色で、それが余計に彼の白髪を際立たせている。すらりとしているが厚みのある肢体は、美丈夫という言葉がよく似合う。


 烏が逃げて冷静になったらしい彼は、静かにことの成り行きを話し出した。

なんでも、脚に貴金属を絡ませて歩きにくそうにふらふらと自分の近くに寄ってくる烏が居たものだから、菊荷は絡まったそれらを解いてやろうとしたらしい。只、ふらついていたのは烏の演技で、貴金属はかの鳥の戦利品だったのだ。菊荷が気を許した瞬間を狙って、烏は彼が首から下げていたロケットペンダントを引ったくっていったのだという。


項垂れる菊荷の顔には、疲労と焦りが浮かんでいる。


「…焦っていたとはいえ、怒鳴って悪かった」

「あぁ、特に僕は気にしてませんし大丈夫ですよ。それより、そのペンダントってやっぱりその、大事なものだったんですよね」

「そうだ」

「だからと言って飛び降りはどうかと」

「信じられないのも仕方ないが、俺は人一倍丈夫なんだ。此処から地上に落ちたとして、骨一本折れなかったろう」

「随分頑丈なんですねぇ… 」


 問志は素直に感心したと同時に、少なくない罪悪感が胸の底に溜まるのを感じた。彼の言うことが本当ならば、自分はかなり余計なことをしてしまったのかもしれない。


 そこでふと、彼女は思い出した。失せ物探しにこれ以上ない程の適任者が自身のすぐ近くにいることを。

「あの、橙埼さん。探し物を見つけるのが凄く得意な人を知っているのですが、もし良ければ紹介させてくれませんか?」


 屋上から地上を覗き込み、どうにかくだんの烏を見つけようとして諦めたらしい菊荷に問志は声をかける。問志の提案に、菊荷は小さく目を開いた。


「知り合いにそんな人がいるのか?」

「知り合い、というか雇い主というか...」

「本当に其れが可能なら、手を貸してもらいたい」

「そうしたら、螺旋階段の一番下まで降りて少し待っていてくださいね」

 問志は菊荷にそれだけ伝えると急いで自身が屋上へと移動する為に使用した階段を駆け下り、ある一室を目指した。


 問志が向かった先は真朱の自室ではなく、彼女と二週間程前に契約を交わした鬼、槐の部屋だった。

「槐さん‼︎起きてますか⁈」

「なんだぁ、急にせわしなクして。部屋の中までお嬢さんの足音聞こえてきたぞ」


 問志が槐の自室の戸を叩くと、すぐさま槐が扉の内側から顔を出した。

「あの、真朱さんって出掛けたんですよね?どこに行ったかわかりますか?」

「おひい様の行き先?あぁ、薬屋と香屋と、馴染みの雑貨屋だったような。全部直ぐ其処の商店街さ。一刻もすりゃア帰ってくるぜ?」

「ありがとうございます。急ぎなので、少し探しに行ってきますっ」

「...何するか知らねぇが、夕餉までには帰っテこいよぉ」

 槐は問志にそれだけ云うと自室の扉をパタリと閉めてしまった。


 問志は慌ただしく自室から外套を引っ掴んで着込むと、室内の階段を一階まで降りて靴を履き、外へと出た。硝子の螺旋階段の傍には、菊荷が所在なさげに立っている。


「お待たせしました。くだんの人、榴月堂ここの店主なんですけど、今は直ぐそこの商店街に出掛けててっ。行き先の目星は付いたので一緒に来てください!」

 白い息を吐きながら建物から出てきた問志を見て何かに気づいたらしい菊荷は、急かす問志を引き留めた。

「君、その前に左手を出してくれ」


 菊荷に促されるままに問志が左手を差し出すと、左手首に巻かれた包帯が緩み、たわんでいた。包帯の下は二週間前に問志が自身の手で開いた傷である。流石にもう血を滴らせることこそないが、その傷は深く未だに完治へは至っていない。


「あ、いつの間に」

「巻き直していいか。自力ではやり辛いだろう」

「それも、そうですね。お願いします」

 菊荷は問志の許可を取ると、慣れた手つきで包帯を一旦解き、結びなおしていく。その際、手首を走る刃物の痕が青年の視界に晒されたが、菊荷は何も言わなかった。其のことに、問志になんとなく安堵した。


「………」

「…………」

「…それにしても君はなんというか、随分人が良いな。知り合いでもない俺に、良くしてくれるのはありがたいが」

 先につかの間の沈黙に耐えられなくなったのは、菊荷の方だった。


「いやぁ事情も知ってしまいましたし、乗り掛かった舟って奴ですよ。それにここまで関わって無関係と言い切るのは些かきまりが悪いというものです」

 それに口にこそ出さなかったが、問志は狼狽うろたえ落ち込む菊荷に対して無性に放っていけない心地になってしまっていたのである。


「そうか、それなら遠慮なく助けてもらおう。...これでよし。キツくないか?」

 菊荷はそう言って口元を小さく引き上げた。問志の左腕の包帯は、解ける前よりずっと綺麗に巻かれ直されてある。


「はい、ありがとうございます。それにしても随分慣れてるんですね?お医者様だったりしますか?」

「いいや、肉体労働が生業だ。さっきも言った通り、俺自身は頑丈だから滅多なことじゃ怪我をすることはないけれど、職業柄俺の周りはそうもいかないからな。そうするとどうしたって救護する側に居ることが多いんだ」

「随分大変なお仕事されてるんですねぇ。…っと、そろそろ行きましょう」


 先陣を切って勢いよく歩き出そうとした問志の脚が、再びぴたりと止まる。問志は慌ててくるりと踵を返すと菊荷に向かい合い、朱色の眼を青年の菫色の眼に合わせた。

「失礼、名乗っていませんでしたね。僕の名前は東雲問志と言います」

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