比良坂の巨岩 十二 外套の中身
問志たちが鳥居の道を駆け回っていた一方その頃、外套の男は手頃な鍾乳石に腰掛け、分厚い紙の束を
「あの野郎、一発殴る。いや、それじゃあすまねぇな?」
「そもそも羽鐘は両腕
「脚が吹っ飛んでる癖によく言うよ。ミシェル、お前まだ軽口叩ける余裕はあるんだな」
「逆だよ。こうでもしないと意識が落ちる。君だって似たようなものだろう」
「それじゃあ三人でお話するのはどうかな?君たちは意識を保っていられるし、僕は知りたいことを知れる」
「話す訳ないだろう痴れ者め」
背中合わせの状態で話す羽鐘とミシェルの会話に割り込んできたのは、彼らを拘束し拷問した張本人だった。
いやに馴れ馴れしい男の話し方に、羽鐘は神経を逆撫でされて露骨に顔をしかめる。
「気持ち悪い奴...本当に気持ち悪い。温い泥に足を突っ込んだ気分だ」
「特に私は変態的な発言をした覚えはないのだけど」
「変態的なのはお前のその態度そのものなんだよ」
心外だなぁと言いつつも、男の視線は手元の紙束に向けられたままである。
「ま、良いんです。ご息女を人質にするのは大変反応が良かった。今サクラに探しにいって貰っていますから、僕はそれを待てばいい。彼女、問志さんでしたっけ。先程は危うく人質の役目を果てして貰う前に落ちてしまうところだったから、今後は勝手に動かないよう四肢を
「……悪知恵ばっかり働いて、肝心な部分は自力で解けもしない。お前のおつむも
「それは君の蓄えた
外套の男が気紛れに紙束から顔を上げ、羽鐘へと視線を向けた。尤も、目深に被った外套のせいで、羽鐘達からは未だ碌に顔の作りさえ満足に
「随分と辛そうだ。まあ、あれだけサクラの怪異を
男の指摘通り、羽鐘の体力と気力は限界まで消耗していた。未だ拘束されたままの彼女の顔からは血の気が失せている。
先程の罵倒が最後の気力を振り絞ったものだったのだろう。怒りを孕んで低く唸る中性的な声を発していた白い喉からは徐々に小さな呼吸音しか聞こえなくなり、敵意によってギラギラと光っていた銀の眼は曇っていく。顔を上げることすらままならず、羽鐘はついに俯いてしまった。
「……羽鐘、せめて気絶はしないで」
ミシェルの鼓舞にも、羽鐘は僅かに頷くばかりである。
「あ、それは僕も困ります。……えっ」
ミシェルは、外套の男が動揺する声をこの時初めて聞いた。突如として羽鐘とミシェルを拘束していた幾つもの岩の手が、呆気なく崩れていったのだ。
数舜先に岩の手から逃れることに成功したミシェルは、自身の身体を支えきれなくなっている羽鐘を慌てて抱き留めた。拘束から解放された二人ではあったが、ミシェルの腕の中に囲われた羽鐘が満身創痍であることに変わりなく、ミシェル自身も両脚が失われていることに変わりはない。男に反撃を仕掛けるだけの力は、もはや二人に残ってはいなかった。
「これは少し、否、かなり?予定が狂ってしまうか。四対一は流石に不利だね。……君の未来を潰すような真似は不本意なのですが、あと少しで
男は、意識の朦朧としている羽鐘に話しかけているようだった。彼は椅子代わりにしていた鍾乳石から腰を上げ、羽鐘とミシェルに近づくべく一歩足を踏み出した。
しかし、二歩目を踏み出そうとした外套の男の頭蓋の中で、鋭く大きい、渇いた音が響いた。
銃声である。
脳天を撃ち抜かれた筈の男はたたらを踏みながらも転倒は踏みとどまり、自身を撃ち抜いた弾が飛んできた方向へと顔を向けた。男の視界に、空中を舞う白い蝶が映る。
「……君は」
羽鐘でもミシェルでもない”彼女”は、障害物に隠れるでもなく何故か堂々と男の目の前に立てていた。深い
真朱は一言も発することなく、男の身体へと更に一発、二発と銃弾を埋め込んでいく。
五発目の弾が男を貫いた刹那、彼の身体からガラス板を爪で引っ掻くような不快な音が響くと、それきり男は動かなくなった。
「おいで」
呆気にとられるミシェルの肩には、いつの間にか白い蝶が止まっていた。
蝶は真朱の声に反応して静かに羽ばたき、そして彼女の手の甲に止まる。徐々にその羽ばたきは緩慢になっていき、やがて蝶は女の手の中で紙切れに還った。
「...君は、誰だい?どうしてその人を殺したんだ?」
未だ荒い息の羽鐘を庇いながら、ミシェルは目の前の女に問うた。
「人?"これ"が?」
ミシェルの問いかけに、真朱はきょとんとした調子でそう切り返した。レンズ越しにミシェルへ向けられた表情は、
「...失礼、貴方にはそう見えているんですね」
少女の面影は一瞬だった。次に真朱がミシェルに向けた微笑みは、妖艶な女性のそれである。
「どこの誰だか存じませんが、まさかこんな場所で同業者に邪魔をさせるとは思ってなかったのでしょうね」
真朱は長いスカートを引き
ミシェルと”それ”の眼が合った。其処にいたのは白い石膏の肌に硝子玉の眼球を嵌め込み、頭部を砕かれて内部の
「にん、ぎょう...?」
「
「それが理解できると云うことは、君は陰陽師だね?」
「そう思って頂いて結構です。アタシ、糸魚真朱と申します。」
「糸魚……君、あの手紙の主か!」
真朱と羽鐘の事情を知っていたらしいミシェルは、思わず声を上げた。
「あら、ご存知でしたか。そういう貴方はミシェル・セルマンさんで間違いございませんか?お嬢様、
「僕がミシェルで間違いないよ。あの子が君に助けを求めたこと自体は想像できる。......でも君が
「はい。良い返事を頂きたく、直談判に参りました。あの
「しかし、まだ娘が戻ってきていない。君の付き添いだと名乗っていた、赤い髪をした鬼もだ」
「あぁ、槐さんですね。確かに私の同行者です」
内心この場に問志と槐がいないことに疑問を持っていた真朱は、ミシェルの言葉の続きを待った。
「彼、其処に倒れている男の連れの鬼に襲われて、酷い怪我を負わされていたんだ。だけど、娘を連れて逃げてくれた」
「その連れの鬼というのが此処に居ない、ということは、二人を追い掛けていったと。なるほど、確かに二人の安否確認を
事情を把握した真朱の顔が露骨に曇る。
丁度その時。一つの巨大な鍾乳石の奥、その暗闇から人影が一つ飛び出してきた。 血と土煙とで全身を汚した少女、東雲問志だった。
「っっ、おとうさん‼︎おかあさん‼︎」
羽鐘とミシェルを見るなり彼女が上げた声は、安堵と憂いと僅かな負い目が混ざり、やっとのことで母に再会した幼子の嗚咽によく似ていた。
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