比良坂の巨岩 十 土の下の奔走

 暗い参道を、問志はカンテラの小さな灯りと槐の声だけを頼りに走る。

「っと、頭下げロ‼︎‼︎」

 怒声を上げる槐に従って問志が頭を低くし背中を丸めると、先ほどまで少女の頭があった位置で巨大な岩の手が握り拳を作っていた。


 土色の拳はあっという間に槐の焔に包まれ、パラパラと細かい岩の欠片を落とし始める。

 岩の手が崩れ落ちてくれば、只の人間ではひとたまりもない。

 岩の拳の下に潜り込むような格好になっていた問志がそう悟って慌てて飛び退いたのと、岩の拳が崩れ落ちたのは殆ど同時だった。


 地面に落ちたそれはあっという間に黒く変色し、細かな砂へと姿を変えていく。問志は、土煙を物ともせず自身へと近づく鬼を視界に捉えると、再び走り出した。


(……よし、よしっ。やっぱりそうだ)

 問志の視界のふちで幾度も繰り返されている、土色の腕たちとれを覆い尽くす白い焔の攻防。問志が誘導の為に走り始めたときこそ桜色の鬼が優勢だったが、今は槐と自身の方が優勢に立っていると問志は感じていた。


 というのも、問志は自身を鼓舞するために、かわした腕の数を頭の中でずっと数えていたが、数えた腕が増える事にその次の腕が自身に伸びてくるまでの間隔が少しずつ延びていることに気が付いたのだ。


 更に、時間の経過ごとに問志の血液を介して補充されたはくえんじゅの身体に馴染み、彼の怪異は威力を増し続けている。

 それでもなお岩の手遣いの鬼は愚直に狙いを問志に定め続けており、自身の妨害を行う槐に関しては不自然なまでに無反応であった。

(頼むからもつれてくれるなよ僕の足!!)


 問志が自身の相棒となった鬼への目印になるよう持ち続けているカンテラは手のひらの体温を吸い上げて熱を帯び、冷たい空気を吸い込みすぎた少女の白い喉は悲鳴を上げている。


 それでも問志は、少しでも止まってしまえば永遠に地上へ上がれなくなるような予感めいたものに急き立てられて必死に足を動かした。

 

 一方の槐は驚異的な怪異の力を存分に奮ってこそいたものの、地上へ鬼を誘導する問志の姿と、その少女を捕まえんと参道の至る所から伸びてくる腕の動きを把握する事に苦戦を強いられていた。


 その原因は、折り重なるように伸びる数多あまたの岩の腕のみでなく、れらが燃やされ崩れる度に舞い上がる土煙と、槐自身が生み出す白いほのおであった。只でさえ狭い通路を岩の腕と焔が覆い、更にはカンテラの灯りも土煙で霞んでしまう。


 しかし、視界を確保するために焔の威力を弱めれば、あっという間に問志が鬼の手中に収まってしまうのは火を見るよりも明らかである。

 ”岩遣いの鬼の怪異を消耗させつつ、自分達に有利な場所まで鬼を誘導する”という問志と槐の当初の狙いこそ順調に果たされつつあったが、そのじつ決して楽観視できるほどの状況でもなかったのだ。


 そうした限られた視界の中で問志を魔の手から逃がし、更に自身の記憶を頼りに地上へと導く行為は槐にとって相当な集中力を必要とするものだった。それこそ、精神的な視野狭窄しやきょうさくを引き起こさん程に。


 問志が突き当りを曲がったことで一瞬だけその姿を見失ってしまった槐は焦りを覚え、追いかける速度を上げてみちを曲がる。

 途端に槐の肌を撫でたのは、空気を押しつぶすような重たい気配だった。彼の眼窩がんかに迫るは、無慈悲な岩の腕。


 槐は砂埃と白い焔で出来た壁を押し開いて、自身を押しつぶそうと勢いよく飛び出してきた岩の手に対してまともに受け身を取ることすら出来ず、そのまま背後の岩壁へと身体を叩きつけられてしまう。


「ッう゛ぐ、っ゛」

 肺から空気が無理やり押し出され、槐の低いうめき声が狭い参道内に響く。

「槐さん⁈⁉︎」

 異変に気付いた問志が振り向くと、槐は少女が通り過ぎたみちの突き当たりの岩壁と黒い掌との間に挟まれてしまっていた。


 執拗に自分を狙っていた鬼が急に標的を変え、今まで見向きもしなかった槐を捕えたことに狼狽した問志はついに足を止めてしまう。


 槐に襲いかかった岩の手は、問志を追いかけ回していたものとはあまりにも様子が違っていた。中指の先から手首までたけは槐の身長とさほど変わらないが、表皮は乾いた土色ではなく、僅かに緑がかった艶やかな黒色をしている。

 槐が暴いた岩遣いの鬼の内側と同じ、黒曜石の塊だ。


 掌の形を形成する無数の鋭い破断面はだんめんが槐の肌に食い込み、槐がその身に蓄えた問志の血液は、裂かれた皮膚の内側から呆気なく流れ出してしまっていた。

 その様子を、桜色の鬼は立ち止まってじっと見ている。


 問志は槐に駆け寄ろうとしたが、二体の鬼の攻防に巻き込まれ只の障害物と化した参道内の鳥居がそれを阻み、許さない。

「槐さん‼︎返事してください‼︎ねえ‼︎」

 瓦礫となった鳥居の隙間から、白い焔と赤い髪、黒曜石の掌から逃れようと藻掻もがく手足はなんとか確認できるが、槐からの返事はない。

 ただ、小さくミシミシと何かが軋む音だけが問志の鼓膜を僅かに震わせる。


 その音は徐々に大きくなり、やがてバキンッと乾いた音を参道内に響かせた。






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