比良坂の巨岩 九 作戦会議
「それで、此れからどうするんですか?」
「一旦、不肖が山の社から此処まで降りてくるために使った通路を引き返して
槐は問志の左手首を慣れた手つきで止血していた。彼自身の腹部の傷は既に塞がっており、心なしか顔色もよくなっている。
「つまり、あの鬼を誘導すると。でも鬼の方じゃなくて、外套を着た人の方が追いかけてきたりしませんか?」
「いや、それは無いと思っていい。鍾乳洞での一部始終ヲ不肖が見聞きした限り、あの男は舵取り役だ。人手があるのに、
「・・・・・・
少女は、自身の腕ではいくら抵抗してもびくともしなかった滑らかな細腕を思い出してうんざりとした。
「むしろ怪異を無駄遣いさせまくって消耗させた方が後カら不肖たちが有利になるんだから精々景気よく暴れて貰おうぜ。なんてったってお嬢さんが喰われでもしない限り、向コうが消耗した
槐が問志に提案した作戦は至ってシンプルだ。
まず問志が岩遣いの鬼の前にわざと姿を現して、鬼が自身を追いかける様に立ち回る。槐は全体像を把握しやすいように鬼の背後に陣取り、問志に襲い掛かる岩の腕を自身の怪異で燃やし無力化しつつ、少女が地上へ辿り着けるように誘導する。鬼を消耗させ、自分達にとって不利な領域を脱出してからまともに対峙しよう、というものだった。
地上へ無事に上がっても地面から伸びてくるであろう腕に注意する必要こそあるが、逆を言えば足元にさえ注意すればいいのだから
それとは別に、問志は槐に一つだけ注文したいことがあった。
「あの、槐さん。ひとつお願いがあります」
「なンだい」
「件の鬼、逆に僕らが捕まえることって出来ませんか?」
「・・・・・・それはあの鬼次第だな。お嬢さんは人質の役目が終ワるまでは少なくとも生かされるだろうが、不肖に関してはアイツらからすると生かしておく意味がまるで無い。生け捕りにするならアる程度怪異も加減しなきゃアならないが、向こうが不肖を殺す気で来るなら、手心を加えてやれるとは限らない」
「・・・・・・・出来るだけ捕まえる方向で、なんとかして欲しいです。理由はちゃんとあります」
あまり乗り気とは云えない態度の槐に、問志はなおも食い下がる。
「母はあの人達に対して、”素性も目的もわからない”と言っていました。つまりそれって、彼らの背後にまた別の誰かがいてもおかしくはないということでしょう?その辺りを、ちゃんとはっきりさせておきたいんです」
「・・・・・・もし何かしラの組織が動いてんなら、”次”が来る可能性が充分にあるから、ってことか」
「はい。これは僕の杞憂かもしれません。だけど、”次”の可能性を警戒しながら生活するのは、精神衛生上とてもよろしくない」
そもそもの話、得体の知れない者たちに襲われているこの状態は、誰であっても気味の悪いものだ。問志は羽鐘とミシェルに降りかかるであろう気苦労を、少しでも払ってしまいたかった。
「一理アるな。おひい様の用事も随分時間が掛かる要件みたいだシ、余所者の影に邪魔されるのは不肖の本意じゃアない」
槐は問志の言い分に少なからず理解を示している。少女はダメ押しでもう一つの理由も提示することにした。
「それに、鍾乳洞にいるほうが司令塔ならば、捕まえた鬼を交渉材料に出来るかもしれないな、と」
「残念だが軽率に拷問するような男にソッチの期待はしない方がいいぜ。仲間の一人二人切り捨てたっておカしくはない。そもそもあの男、鬼を仲間だと認識しテんのかね」
「・・・・・・どういう意味ですか」
槐の発言の意図がわからず、問志の眉間に皺が寄る。
「件の鬼、片腕を不肖に吹っ飛ばされても付添いの男が指示を出すまで不肖に見向きすらしなかった。自分に危害が加えられたってのに無反応なのは、命令に従順って話じゃあ済まなイだろ?」
「それは、もしかして操られているとかでは・・・・・・」
確かに問志も件の鬼を随分寡黙だとは感じていたが、そこまでとは。
「かもな。只の性分なら大したモんだよ。何方にしたってあの男は便利な道具か自立する武器くらいに思ってそうだ」
問志は酷く軽薄な態度を取り続けていた外套の男を思い出す。あの男ならやりかねないと思った。
「だったら余計に、あの鬼を必要以上に害するのは避けたいです」
「・・・・・・不肖にとっての最優先はお嬢さんと不肖の身の安全だ、此処ハ譲らない」
槐は少女を諭すように言葉を重ねると、重い腰を上げて立ち上がった。
「ダケド、他でもないお嬢さんからのお願いだ。やレるだけはやってやる。但し」
「・・・・・・ただし?」
「お嬢さんが危ナいと判断したら加減しない。あの鬼を生かしておキたいんだったら、お嬢さんはお嬢さんの身を守ってくレよ?」
「はい!!」
力の籠った問志の声が狭い岩窟内に響く。
「いい返事ダ。ほら、
それを聞いた槐は小さく口の端を持ち上げて笑うと、少女に自身が火を灯したカンテラを手渡した。
硝子の中で揺らめく焔は普段問志が台所で扱うような橙色ではなく、雪のように白い。
問志はその奇妙な焔の在り方に内心首を傾げながらもカンテラを受け取り、槐に促されるまま格子の外へと出た。薄暗い道なりに痛んだ赤色の鳥居が並び立つ様を、問志はこの世のものとは思えなかった。
老木の根のように複雑な分岐と合流を繰り返す赤い参道を、赤い眼を持つ少女は、赤い髪を揺らす鬼に先導されて進んでいく。
・・・・・・高低感覚も距離感覚も麻痺させるような造りをしているこの場所に、もし一人で取り残されてしまったら。自力で再び雪を踏みしめられる自信は、問志にはない。そんな少女の不安定な精神を、カンテラの中に納まった雪の白さを持つ焔が少なからず安定させていた。
そこでふと、問志は在ることを思いついた。
「あの、槐さん。槐さんの怪異の焔って、僕も出せるんですよね?それなら、自分で自分を捕まえようとしてくる腕を燃やしてしまった方が手間が掛からないんじゃ」
「それは止めトけ。契ったばっかで碌に慣らしもシてないし、そもそも扱い方もわかって無いだろ。人型の炭が出来てたら笑えない」
「あっ、はい」
「いい子だ。・・・・・・さて、そろそろ見つかルだろうな」
”誰に”見つかるかなど、言うだけ野暮だ。
槐は適当な鳥居目掛けて細い糸を飛ばすと、それを使って
暫くすると参道の奥の暗がりから、じゃり、じゃり、と地面を踏みしめる音が僅かに聞こえてくる。美しくも恐ろしい、桜の化身のような鬼が、もう直ぐそこまで迫っている音だ。
カンテラの取っ手を握る少女の手に力が入る。
「恐ろしいカい?」
頭上から降ってきた声に、問志は首を縦に振った。
「正直で結構。巻き込まれたのは気の毒だが、数刻前かラ不肖とお嬢さんは一連托生、運命共同体ってヤつなんだ。意地でも生かシてやるさ」
問志の緊張を解そうとするように、赤い鬼はやけに明るい調子でそう言った。
やがて、青い
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ。なぁんて、この歳で云うことがあるとは思いませんでしたよ」
童の遊びで済めばよかったのにと、問志は思わずには居られなかった。
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