比良坂の巨岩 六 人形の正体と解決策

 槐に促されるまま回廊を引き返した真朱は、社から出るなり外套の内ポケットから平たいシガレットケースとライターを取り出した。未だに咳は止まっていないのに、彼女はケースから煙草を一本取り出し、火をつける。

「……いないわね」

 境内を見渡しても、問志らしき影は何処にも見当たらない。真朱は煙草を呑みながら坂を下り、問志が向かっていった離れを目指した。


 真朱が工房である離れの扉を開ける頃には、すっかり咳は治まっていた。紫煙を吐き出し続ける煙草を紅い唇に挟んだまま室内へ踏み込めば、嫌でも床に空いた空洞が目につく。地下へと続く仕掛け蓋は、問志が降りていったまま開けっ放しになっていた。

「……こっちが当たりだったみたいね」

 地下へと降りた真朱が見たものは、合法非合法入り混じった品が所狭しと詰め込まれた空間であった。棚に陳列されたものの中にはまともな手段ではまず手に入らないであろうものまで納めされている。もし役人に知られれば、タダでは済まないだろう。


 肝心の問志達の安否を確認するべく真朱は洞窟の奥へと進んだが、四方は分厚い岩で塞がれていて、出入口は工房とこの空間とを繋ぐ石階段のみの様に見えた。…見かけだけは。

 真朱が咥えたままでいた煙草の煙が、岩壁の中に吸い込まれていく。その様子を、彼女はうんざりした顔で眺めていた。


「……随分面倒な術が掛けられてるじゃないの、これやったの誰よ」

 呪術に精通する真朱は、本来その先に在る筈のものが”認識”されないよう岩肌に何らかの術が施されていることを看破した。


 しかし、いくら頭で理解が出来ていても、真朱の掌には確かに岩の感触が伝わっている。解呪しなければこの先へ進むことは出来ない。

 無理に突破しようとすれば、存在しない筈の岩の重みで身体がひしゃげ、潰されるだろう。

 真朱は事態のややこしさに溜息をつきながらも、無意識に上がる口角を抑えきれずにいた。



 真朱には、長年望み続けているものがある。

 馴染みの情報筋から欧州へ留学した人間の一人に、”それ”に関する知識を得て帰国したものがいるという話を聞いた彼女は、東雲羽鐘しののめはがねという人間に辿り着いた。


 羽鐘の連絡先を手に入れた真朱は、早速彼女に連絡をとった。”貴方に作って欲しいものがある”と。

 しかし、羽鐘からの返事は〝そんなもの知らない、人違いだ〟の一点張りだった。

 痺れを切らした真朱は、問志に話した通り羽鐘へ直談判するべく、遥々はるばる 野を超え山を越えて辺鄙へんぴな田舎町までやってきたのだ。


 するとどうだろう、想定外の事態こそ起こったが、糸魚真朱いといしんしゅは東雲羽鐘が決して言い逃れできない切り札を手中に収めることに成功したのである。手紙では散々しらを切られたが、これを引き合いに出せば羽鐘は認めざるを得ない。真朱の視線が一つの黒い大きな匣に向けられた。


 その危険性と特異性により、西の果ての教会でのみ所有と技術の継承を許されている筈の、童子石を心臓に持つ美しき自動人形ブラスドーター

 匣の中で眠る羽鐘によく似た人形こそ、真朱の希望であったのだ。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 東雲問志は夢を視ていた。

 誰かに背負われ、月光を反射する白い雪で妙に明るい山道を下る夢だった。

 自分を背負っているのは一体誰なのだろうか。横顔を覗き込もうとしたが、瞼が鉛のように重くて動かない。


 背中のあるじが何か話している。自分に向けられたものだろうか。声色は、若い男子の声だ。声はきちんと聞こえている筈なのに、肝心の内容が何故だかわからなかった。


 問志が閉じようとするまぶたと格闘していると、不意に少年の足が止まり、振り向いた。

 すぐ目の前にあるはずの顔はかすみがかかったように曖昧で、ただ、血液を煮詰めたようなあかい眼だけがはっきりと、問志をとらえていた。

 少年は目を細める。



「そろそろ起きろ■■■、これはぜェんぶ夢なんだから」


 頭の芯を揺さぶる様な、突き落とされるようなこえ

 問志の意識が、急激に混濁こんだくの中から目醒めていく。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「ぉっと?!」

 ばちん!と音が鳴るような勢いで目覚めた問志の眼に映ったのは、自分の顔を除き込む赤髪の鬼の顔だった。

「っ、誰ですか?!」


 鬼に襲われたばかりの問志は警戒心から咄嗟に手元に転がっていた小石を投げつけようとするも、鬼は慌てる様子もなく少し後ろに下がって両手を上げた。

不肖ふしょうだァって名乗って、わかるかい?お嬢さん」

 その声に、問志の腕が止まる。鬼の声に問志は聞き覚えがあった。何処かで、確かに聞いた気がする。そのだけで、僅かに問志の頭が冷えて鬼の身なりを暗がりの中で注視する余裕が生まれた。


 くすんだ色の短い髪。右眼は前髪で隠れてしまっているが、左目は金の光彩の周囲を黒い強膜で囲っていて、夜空に輝く月に見える。死人のように生気のない皮膚に覆われた左の額には連なった角が三本。ここまでは、問志に覚えはない。

 されど、彼の服装には随分見覚えがあった。綿帽子に似た頭巾が付いた、雪色の外套。冬の山中では一番に見失いそうな、花嫁衣裳の色。


「....もしかして、槐さん、ですか」

「ご名答」

 赤鬼は金色の眼を細めて笑った。

「あれ、でもなんでここに?そもそもここはどこですか??お母さんとお父さんは?!」

「説明するから一旦落ち着こうぜお嬢さん」


 意識が戻ったことにより、切迫した事態である事を思い出した問志は槐に詰め寄った。狼狽ろうばいする問志をなだめ、槐は淡々と今までの経緯を語る。


「おひい様の式神が飛んでったのハ、あのさびれた社だった。一番奥に地下へ降りる通路があったからそこをくだってきたのさ。で、東雲羽鐘とミシェル・セルマンらしき奴ら以外に先客がいたもんだカら隠れて様子を伺ってた。そしたらお嬢さんが大穴ん中へ落とされチまったもんだから、不肖が引き上げてやっタんだ」


 意識が途切れる直前に感じた自身の身体が落下していく感覚が、夢のたぐいではなかったのだと問志は悟った。

「あの、助けていただいたみたいで、ありがとうございます」

「礼を言うのが少しばかり早いぜお嬢さん。不肖もお嬢さんも逃げたことはばっちり把握されてるんだ。今まさに隠れ鬼の真っ最中ナんだよ。御両所様はまぁ、殺されてなきゃあ、まだあの岩の腕に捕まったママだろうな」

 槐が口にした"殺されていなければ"という言葉に、問志は拳を握る。


「さァて、どうするかねェ。おひい様に見栄を切った手前、手ぶらじゃあ帰れねぇし、そもソもあの妙な鬼をどうにかしねぇと不肖らの命もあやういときた」

 槐はため息をつきながら岩肌に背中を預け、ずるずるとその場に座りんだ。


 二人が身を潜める空間は、岩肌をあらくくり抜いたような四畳弱の空間だった。

 かなり薄暗く物の姿形を見る分には問題ないが、色は分かりづらい。木製の格子こうしの色は朱色だろうか、上部にはしめ縄が千切れた状態でぶら下がっていた。


「…両親を拘束しているあの岩の手は、やっぱりあの鬼の力、”怪異”なんでしょうか」

「そう考えて間違いねぇな。もう一人の男ガ指図してそれに応えてた」


 怪異。

 それは鬼が鬼である証明であり、出鱈目でたらめな事象を引き起こす異端のさい。その力は一夜で一国を滅ぼしかねない危険なものから、赤子のお守にしか使い道のない些細なものまで鬼の数だけ多種多様に存在していた。

 鬼はこの怪異を持つが故に、人がまつりごとを行うこの國で恐れられ、うやまわれ、拒絶され、望まれながら今日こんにちまで存在し続けてきたのだ。


「……あの、槐さんの怪異はどういうものなんですか?」

 人並みの力しか持ち合わせていない問志では、岩で出来た手を自在に操るような存在ものに抵抗することは不可能に等しい。両親からあの手を引き剝がすことはできないだろう。


 しかし、鬼ならここにもう一鬼いる。

 怪異の才は鬼であれば程度の差こそあれ、必ず持っているものだと以前羽鐘が話していた。槐の怪異がわかればそれを利用して、あの鬼を退けられる算段をつけられるのではないかと問志は考えた。


「不肖の怪異?モノを燃やせる」

「…範囲はどの位ですか」

「不肖が視えて、不肖の焔が届くなラなんでも」

「もしかしてとても強い怪異では?」

 物体の燃焼、単純かつ強力な怪異である。

 問志は、その怪異であの厄介な岩の手を燃やしてもろくすることが可能ならば鬼を退けられるのではないかと期待した。しかし、槐の口から出てきたのはその希望を呆気あっけなく否定する言葉だった。


「ただなぁ、の不肖じゃアレを燃やすだけの劫火ごうかは出セんよ」

 槐は自身の側に転がっていたカンテラを引き寄せ、小さな白い焔を灯した。

 それだけで、狭い室内は物体の質感まで把握できる程度には鮮明になる。艶のない槐の赤い髪は、柘榴の外皮を問志に連想させた。


「精々、種火がイいところってな」

「えっと、は種火が精一杯。という事は、条件を満たせば出来るってことですよね」

 そう問いかけながら、問志は再び槐の姿を注視する。赤い髪に金色の光彩。左額に三つの角を持った鬼の容姿は、御伽噺の鬼によく似ている。

 実の所、問志は目覚めてから槐に対して妙な違和感を感じていた。彼をじっと見ていると、なんだか間違い探しをしているような気分になる。


まったくもってとおり。ならその条件、何ダと思う?」

 槐がカンテラを左右に揺らす。中の灯が漏れないか確認するような仕草だった。

 そこでふと、問志は気が付いた。


 槐が白い外套の中に着込んだ炭色のツナギが、カンテラの光を反射して異様にぬめりを帯びた光沢を放っている。

 ……自宅の客間で話した際、外套のせいで彼の全体像こそ把握出来てはいなかったが、それでも胴回りにこんな光沢などなかった筈だ。

 間違い探しの答えを得ようと多感になった神経が、鉄の香りを拾い上げる。それでやっと、問志はこの鬼の衣服を血液が濡らしているのだと思い至った。そしてその出血量が、人間であれば軽く致死量を超えていることにも。


 槐と問志の視線が、交差する。

「お嬢さん、曲がりなりにも鬼と暮らしてたんなら、不肖たちのかてがなにか知らなイわけじゃあねぇだろう?……その身体に流れる生き血全部、不肖にくれるんだっタらお嬢さんが望む全てを燃やしてやるよ」 

 鬼は、顔を歪ませて笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る