第3話 白日病院
「白日病院まで、急いでもらえますか!!」
俺は家から出てすぐの大通りで、意を決してタクシーを拾った。
あの電話から数分の出来事だ。自分でも引くほどの、驚くべき行動力。
先も話したが本来の俺は引きこもりだ。こんな事想定してない。
正直に言えば、電話の要求には死ぬほど戸惑った。
だって今すぐ家から出て、病院にまで来いというのだ。
驚きだろう、この一年間、歩いて数歩のコンビニにすら行けていない俺に向かって。
リハビリを始めるならまずはコンビニからだろ!最初からキャパオーバー。クライマックス。無理ゲーすぎる。はい、オワタ。
しかし、電話の主の一声でそんな事を思っても居られなくなった。
「ご家族が乗ったお車が事故に遭いました。」
先ほどの電話の声を反芻し胸が苦しくなる。タクシー内で息を整えるものの、どうしても動悸が治まらない。
それが久々の全力ダッシュのせいだけではないのは明白だった。
俺の青白い顔と行き先に状況を察したのか、タクシーの運ちゃんはあいよ!と威勢のいい返事を返してくれた。
窓から見える景色が凄まじい速さで流れていく。どうやらかなり急いでくれている様だ。
ありがたい。一年ぶりの外出、初めての対面での会話が運ちゃんでよかった。
しかし、この青白い顔は一年間陽に当たらなかったからだわごめん…
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
運ちゃんの頑張りのお陰で、あっという間に白日病院の入り口へと着いた。
お礼を言い、降車する。
すると運ちゃんはわざわざ降りてきて、俺の背中をバンッと一回叩き、頑張れよ!と言ってくれた。
嬉しかったけど正直に言う。マジ痛い。
さて、改めて目の前にして思うが、この白日病院はかなり大きい病院だ。恐らく近辺では一番大きい病院なのだろう。
入り口に入り、受付へと直行する。
途中、ばたばたとせわしなく動く看護師さんが見えた。ただそれだけの事なのに動悸がさらに早くなった気がする。
「い、い、い伊吹と申しますが…あの、か、家族が事故にあったと聞いて…!」
盛大に噛んだ。つらい。
受け付けの女性は、一瞬あっといった顔をした後すぐにどこかへ電話を掛けた。
放置される俺。放置は慣れているが、少しの待ち時間が今はとてつもなく長い。
しばらくして、白衣を着た中年の男性が受付へとやってきた。
「伊吹さんのご家族ですね。こちらへ。」
特に何も説明がないまま、男性に誘導されエレベーターで上階へ。
乗ったエレベーターは恐らく内部用なのだろう。患者らしき人は見受けられない。
医師らしき人物と、看護師が二名共に乗っているだけだった。
チンッと階に着く音がして、医師がエレベーターを降りる。それに黙ってついていく俺。
部屋に着くまでに何か説明はないのだろうか。聞きたくても聞けない。今は彼のコンパスの様な足に小走りでついていく他なかった。
部屋をたくさん通り過ぎた。入院棟の様な雰囲気があるが、あまりにも静かで違和感が凄い。生活音がしないのだ。まだ、お見舞いに来る様な時間じゃないのだろうか。
階の一番角の部屋の前で医師が止まった。
「…この部屋です。」
誘導された部屋に入る。
恐る恐る扉を開けると、真っ白な病室の中で呼吸器を付けた両親が横たわっていた。
「え…?」
あまりの光景に声を失う。
だって、たった一時間ほど前には全員家にいて、侑麻の入学式のために準備して、出掛けて。
それが今、何故こんな無機質な部屋で寝ているんだろう。
あまりにも唐突な出来事すぎて何も声が出ない。
両親に近づくことも出来ず呆然と立ち尽くす俺に、医師が声を掛けてきた。
「運転中に何があったかはまだ分からないが、咄嗟にハンドルを切った様でね。電信柱に激突。運転席と助手席のご両親は頭を強く打ってしまって、意識が戻らないんだよ。」
「そ、そんな…」
「手は尽くして一命は取り止めたんだが、意識の方がね…いつかは戻るかも知れないが、現状はなんとも言えないんだ。申し訳ない。」
意識不明だなんて言われても実感が無さすぎる。
恐る恐る近付くと、両親の顔は外傷が殆ど無いせいか一年前と何も変わっていない様に思えた。少し白髪やシワが増えているかも知れないけれど。
ドラマで見る様な大層な装置に囲われ、心音が数字で表されている。
この数字が二人の生だと言うのか。
脳が追いつかない。
あまりの情報量に呆然とした後、俺は唐突にある事に気が付いた。
「あ、お、弟の、弟の侑麻はどこですか?!」
侑麻がいない。
後部座席に乗っていたであろう弟は何処にいるのか。
勢いよく振り返り、医師に詰め寄った。
「あぁ、彼なら隣の部屋にーーーーーー」
医師が皆まで言う前に、勢いよく部屋を飛び出した。
そのまま隣の部屋の扉を乱暴に開けると、看護師と横たわった侑麻の身体が目に飛び込んできた。
「ゆ、侑麻!!!」
侑麻に何かの処置をしようとしていた看護師を押しのける。
身体に手をかけ、顔を見る。
一年ぶりに見る弟の姿は、俺の知る頃よりも逞しく、成長をしていた。
「あの、だめですよ、この方は…」
看護師が何かを言おうとしていたが、それよりも早く俺の泣き声が部屋へ響き渡った。
なんで、なんで、どうして。
彼の口からは答えは返ってこない。
侑麻の身体に抱き着く形で崩れ落ちた俺は、そのまま嗚咽を漏らす。
俺の涙が侑麻の制服に模様を作った。
真新しい制服。今日から三年間着るはずだった彼の、制服に。
俺があまりに大声で泣くものだから、処置をするはずだった看護師は何もできず、その場に立ち尽くすしかなかったが、しばらくして部屋から出て行った。
部屋には、俺と侑麻の二人きりだ。
侑麻の身体にしがみついていた手を離し、涙を拭う。
変わらない現実に目眩がした。父さんも母さんも、そして侑麻もどこかへ行ってしまった。
家族で一番ダメな俺がーーーー俺だけが、この世に一人取り残されてしまった。
あぁ、こんなことならもっと早くジャムの変更をお願いすべきだったな。いや、そんなことはどうでもいい。そんなことより今朝の声かけに反応をしてやるべきだった。折角の入学式なのに、一言おめでとうも言えなかった。
引きこもる前はたくさん会話もしたし、仲のいい兄弟だった。小さい頃はどこへでも一緒に行き、遊んだことが懐かしい。
思えば侑麻はずっと、こんな俺を慕ってくれていた。
こんなことになるのなら、あの日何があっても引きこもらなければ良かった。
全て後の祭りだけれど。
頭の中で後悔の言葉だけがぐるぐると回る。
侑麻の事故後でもなお血色のいい顔は、眠ってる様に見える。
すぐ目を覚ますような、そんな表情だった。
「何でも言う事聞いてやるから、戻ってきてくれよ…」
まだ温かい侑麻の手を握り、祈る様に懇願する。
神様、どうかこの手を握り返して欲しい。
「えー…じゃあお願いしようかな」
脳天に声が刺さった。
神様が、願いを聞き届けてくれた。
握った手が握り返されている。
驚きながら顔を上げると、そこにはバッチリと目を開いた侑麻がいた。
「は…?」
「兄さん、何でも言うこと聞いてくれるんでしょう」
「いや、え、はぁ????」
驚きと恥ずかしさと、とにかく色々な感情が押し寄せて、腰が抜けた。
握っていた侑麻の手を離し、床に尻餅をつく。
「兄さんの今のセリフ僕忘れないから、よろしく」
呆然とする俺を見ながらベッドの上からそう言い放つ侑麻の顔は、一年前の無邪気な顔と何一つ変わっていなかった。
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