第2話 イレギュラーな引きこもり

 お察しの通り俺、伊吹風麻いぶきふうまは引きこもりである。

 中学三年生の春からになるから、かれこれ一年程にはなるのだろうか。

 あまり深く考えたことは無かったが、一歳違いの弟侑麻が本日高校の入学式という事を鑑みるとそういうことになる。


 前述にて引きこもりだとドヤってみたが、実際に引きこもってみて分かったことがある。

 俺には気合の入った引きこもり生活を送れる程の度胸は備わっていなかったと言うことに。


 例えば、昼夜逆転の生活をする事が引きこもりとしての第一歩だとしたら、俺はその一歩すら踏み出せていない。

 夜はちゃんと就寝し、朝家族と同じ様に起床していた。

 昼夜逆転なんぞ都市伝説かの様な、THE健康的な生活。

 いわばプロ引きこもラーとしては、半歩?三分の一歩?程しか前進していない。

 引きこもり始めてからした事と言えば、外に一歩も出ないこと、これ一択!

 単なるただの小心者である。


 とある事情で俺は引きこもっている。

 要因は俺自身の育ちには関係なく、生まれる前からの必然的な要因なのだが。

 まぁ簡単に言うと、この世界の理不尽さによる為だ。


 世界のこのヤロー!と思いもしたが、それでも鬱憤ばらしに金属バッドで暴れる様な度胸なんて微塵もない。

 実録スペシャル!お宅の引きこもり!には程遠い。


 引きこもった事情が事情だからとはいえ、家族に腫れ物を触る様な扱いをされたことは一度も無かった。また、逆に俺の機嫌を取るような特別扱いもない。

 普通がとてもありがたかった。


 一年間、家族の足音だけを聞いて過ごしてきた。

 それ故家族全員の行動パターンはわかっている。

 父さん、母さん、そして侑麻。それぞれがそれぞれの日常を過ごし、家に帰ってくる。


 そこにイレギュラーな存在である自分の居場所は極力ない方がいいだろう。

 というのが、一年前に引きこもり始めた俺が下した結論だ。


 彼らの生活の邪魔をしない様、普段は顔を合わせないよう努めている。

 だから家族全員が出かけた後や、寝た後が俺のターン!もとい、俺の行動時間なのだ。


 そんなわけで、家族の普段とは違う行動にはとても敏感になる。

 俺と接触することによって彼等にイレギュラーを引き起こし、生活を脅かす事になりかねないからだ。


 まぁ今日の異変に関しては、既に理由がわかったから良しとしよう。

 はい、本日の考察は終了!清々しい気分で空腹をしのごうではないか。


 お目当ての食パンがまだ一切れだけ残っていた。ラッキー。卵に関しては、どうだろう。

 予想通り品切れをしている様子だった。


 俺は食パンを手に取り、トースターへと放り込んだ。

 そのまま洗顔に洗面所へと向かう。


 我が家のトースターは適した焼き時間を即座に判断し、調理をしてくれるのでタイマーなどの操作は必要はない。

 このトースターは侑麻が小学校一年生の時に作ったものだ。

 出来上がった当時、これで朝の家事が楽になると母さんはすこぶる喜んでいた。


 余談だが、このトースターは焼き上がった食べ物に適したオプションを加えてくれる。

 家族それぞれ設定が可能なので、俺のオプションは中三の頃からずっとマーマレードジャムになっている。


 マーマレードはとても好きだ。あの苦味の中に広がる甘さが堪らない。

 とは言うものの、一年間もずっと一緒なのは流石の流石に飽きる。正直好きな物も嫌いな物になるレベル。


 しかし変更をするには、侑麻の時間を奪わなければならない。

 一年ぶりの兄弟の会話が、「ジャムを変えてくれ」だなんて…

 なけなしの兄の尊厳にかけてそんなことは出来ない。


 顔を洗いリビングに戻ると、金色に光ったパンが出来上がっていた。

 前述通り家族とは一年間会話をしていないけれど、このジャムが切れていたことは一度もない。


 トースターから取り出し、皿へ。

 飲み物は少しでも健康を考え牛乳をチョイス。

 骨の健康だけを、ましてや牛乳で気にしてもしょうがないかもしれないが、今の俺にはこれくらいの健康管理しか出来ない。


 それにしても一年間ほとんど陽の光を浴びないと、人間はここまでか細く白くなるんだなぁ…

 今ならお化け屋敷のバイトは一発OKになると思う。髪も肩まで伸びっぱなしだし、何というか、井戸から出てくる役が似合いそう。

 まぁそんな暗いところでバイトなんて怖いから絶対に嫌だけど…


 そんなことを考えながら座席に着き、さぁ待望のひと口目。


 その瞬間、沈黙を切り裂く電子音が響いた。

 まさかのタイミングで、電話が鳴ったのだ。


 驚きすぎて思わず文字にも出来ないほどの変な声が出た様な…ひでぶなんて目じゃない。


 心臓が止まる!!只でさえ俺の心臓は運動不足でか弱いんだ!チワワの心臓…以上はあるかな…ポメラニアンよりは無さそう。

 などと、叫びたい気持ちを寸で抑えて、機械音を出しつづける電話を睨む。


 唐突な音に思わず慌てふためいてしまったが、俺はこの電話には出ない。

 何故ならこの家の住人は今全員不在だからだ。


 俺の思いとは裏腹に、呼び出し続ける電子音。

 無視して食事を続けようとした時、それは告げた。


白日はくじつ病院より緊急電話です。至急対応してください。」


 電話は流暢な言い回しで発信主を告げた。

 この電話はどんな相手でも、例え非通知の相手でも、発信主を特定してくれる。


 これは…いつだったかな、多分侑麻が小学生の時の…


 って、そんなことはどうでもいい。電話だ。緊急電話だ。これも想定外、それにしても今日は想定外のことばかり起こってしまうな。


 俺はドキドキする胸を抑えながら意を決して電話を取った。


「も、もしもし…」


 そのドキドキ感は発信主の名前に対するものではなく、一年ぶりに話す外部の人間に対するものであった。

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