第4章 終わる均衡

1.


 翌日は雨が朝から一日中降り続く寒い1日だった。冬が近づいている。

 発声練習を終えた英語演劇部の部室では、眼の前の紅茶が冷めるのを気にする余裕もなく久美がうなだれていた。

「うう……美鈴とメアリに騙された。姿と声だけでも不本意なのに、わたしの棒術までコピーされてるなんて……」

「ゴメンゴメン、久美。まあほら、日本のことわざにあるじゃない、『人には添うてみよ 馬には乗ってみよ』って」

「どうして私がコウ先輩に乗るの?」

「久美ちゃん、ずれてるずれてる」

 いささか顔を赤らめながら佳織が久美に訂正を入れるそばで、あはははと屈託なくブロンドの髪を揺らしてメアリ・P・トゥレアが笑っている。

 エゲリスから来た彼女は、曰く『マンガとアニメを友達より早く見るため』日本語を勉強して来たという、冗談としか思えない理由で編入してきた留学生だ。侯爵家の次女という噂に違わずノーブルな顔立ちをもつ少女だが性格はいたってフランクな、いろいろな意味での有名人である。

 先だっての学園祭における上演ではナレーションと脇役で助太刀もしてもらったこともある。今もこうして週1、2回は部室に顔を出す半部員的ポジションの1年生女子だ。

「そもそも、久美ちゃんはどうして棒術が使えるの?」

 チョコパイをもぐもぐ食べながらの佳織の質問に、久美は淡々と答える。

「祖父が中国の出身で、昔、大陸から逃れてきて開いたのがうちの中国料理屋なんです。その祖父に鍛えてもらいました」

「ふーん、そうなんだ。でも、そんなアンケートに、棒術のことを書く欄があったの?」

 そこは久美にも分からないらしく小首を傾げられたところで、メアリが訳知り顔で佳織の疑問に答えてくれた。あらかじめ海原家が様々な武術や格闘術を調べてデータ化してあるはずで、久美のデータ送信でそのうちの1つがチョイスされて、先輩の筐体に別口でインストールされたんだと思う、とのこと。

「てことは、かなり前から仕組まれてたってことなんだね……」

 と佳織が思案顔になった時、ジョンが部室に来た。

「 Hello ――げっ! メアリ!」

「あら、植民地の小せがれ。ごきげんよう」

 貴族然とした嫌味から一転、グルルルとまるで犬のようにうなるメアリ。対するジョンも真似をしたのか同じようにうなりだした。

「ジョンさん、とりあえず座ってください」

「ああ、Thank you――あれ、コウは?」

 久美に指し示された椅子に座りながら、ジョンが相棒の不在を佳織に問うてきた。

「さっき、ちょっと綾に小突かれたらひっくり返っちゃって、そこのふちで頭を打ったの。今、綾が付き添って保健室に行ったから」

 佳織の心配そうな声色に密かに胸をなでおろしたのだろうか、ほっとした表情を見せたジョンが思い出したようにつぶやく。

「あー、あいつ、筋肉痛がひどいって言ってたからか」

 棒術支援アプリ《久美》に振り回されて、今日の幸太郎は文字通り這って登校していた。綾とのやり取りで、ツッコみをかわそうとして転倒したのだ。

「佳織さん? 行かなくて、いいのですか?」

 久美が、佳織を見やる。いつもの淡々とした言葉の中に、楽しんでいる感じが伺えるのは、佳織の気のせいなのだろうか。

「ど、どうしてわたしが行かなくちゃいけないの?!」

 佳織の反論はもちろん織り込み済みで、メアリ以外の一同はため息をついた。

「ああ、それって、『ネトラレ』っていうんだよね? 久美」

「メアリ、展開速すぎ」

 眼をキラキラさせ始めたメアリにツッコむ久美をよそに、佳織は押し黙ったまま窓の外を向いた。



 保健室のベッドに寝転びながら、幸太郎は隣に座って参考書を読んでいる綾を横目で見ていた。

 きれいになったよな、と改めて思う。中学の時はガリガリだったのに、いま改めて横で眺めると、女の子らしい丸い曲線ができている。黒いストッキングに包まれた脚も、棒のようにまっすぐだったのに。

 それに、あのころは男みたいに短かった髪もうなじを隠すくらいまで伸びていて、女っぽくなるってこういうのを言うんだな、と幸太郎は自分の苦い記憶を飲み込んで眼を細めた。

「なんで、あんなモニター引き受けたのよ」

 綾が、参考書から眼を離さずに話しかけてきた。

「ゲームのモニターだと思ったんだよ」

「じゃあ辞めればいいじゃない。あんな危険なことして、バカじゃないの?」

 そう、幸太郎とジョンは、とても危険なことをしている。相手はこちらを滅失させようとしている上に、自らの命を捨てることも相手の命を奪うことも屁とも思っていない妖魔だ。

 その妖魔の攻撃を装甲が防いでくれているため、幸太郎たちの身に直接爪や牙が当たることはない。だが、撃ちつけられる衝撃を緩和しきれるものではないため、攻撃を食らえばダメージは装着者の身に刻まれていき、骨折や気絶する可能性は増していく。気絶したところに集中攻撃を食らって、頭部などの急所に深刻な打撃が加えられたら――

 妖魔と戦うことが、どれほど危険なことか。さすがの幸太郎にすら分からないわけがない。

 もちろん契約してしまったから戦っているだけじゃない。幸太郎には幸太郎なりの理由が、ちゃんとあるのだから。

「……内申点を稼がないと、留年になりそうだし。それに……」

 言いよどんだ幸太郎に、綾が参考書から眼を離して見つめてきた。

「……金が欲しいから」

「はあ? なにそれ。バッカじゃないの?」

 綾は本心から驚いているようだ。

「それで、あんな得体の知れない奴とドツキ合い? 信じられない……」

「ドツキ合いに関してはお前に言われたくねぇよ、カラテバカ少女」

「バカに関してはあんたに言われたくないわね。この留年一直線!」

 しばしのにらみ合いののち咳払いをして、幸太郎は切り出す。

「だから、カラテバカのお前のデータ、くれよ」

「もう一度言うわ。お断りよ」と綾はカーディガンの袖を引っ張りながら言い切った。

 だからなんでだよと問う幸太郎の顔を見て綾はため息をつき、キッとまなじりを上げた。

「理解できないなら、はっきり言ってあげるわ。なんで、佳織に真っ先にデータを貰いに行かないのよ」

「は? なんで、あいつが出てくるんだよ」

 やっぱり、幸太郎には分からない。

「ほんっとにデリカシーがない! そんなだから――」

「俺はお前に振られたの?」

「ちっがーう! ある意味そうなんだけど、違う!」

 綾が顔を真っ赤にして叫ぶ。そしてなんとも埒の明かない男に、女は決断した。

「――分かった。今度の週末、空手の大会があるの、知ってるよね? それに応援に来て。午前11時頃よ」

 そして、と綾は付け加える。

「週末までに佳織にデータを請求しなさい。もちろん、今日わたしに請求したことは隠して。そしたらデータを渡してあげる」

 綾の静かな剣幕に、幸太郎はたじろいだ。

「なあ、ちょっと待ってくれよ。俺と佳織、もう5ヶ月も会話してないんだぜ? それにお前、足の怪我大丈夫なのかよ」

「いいから、これは命令よ。いやなら、別にいいわ――もう帰る」

 置き去りにされて、幸太郎は考え込む。

(あいつ、なんで怒ってるんだ?)



 雨の帰り道。幸太郎は意を決して、佳織に声をかけた。

「佳織。ちょっと話があるんだけど」

 赤い傘で背中を隠し、すたすたと歩き去ろうとする佳織。幸太郎は身体の痛みをこらえて追いかける。

「なあ、ちょっと待てって」

 どれだけ声をかけても、佳織の歩く早さは変わらない。それでも、女子寮の玄関先で傘をたたんだ佳織は亜麻色の髪をなびかせて、くるりと向きを変えた。

「なにか用があるの?」

「! ああ、ある」

 振り向いてくれたことだけで安堵しないように、幸太郎はぐっと傘の柄を握り締め、言葉をつむぐ。

「俺が今やってるモニターのための、データが欲しいんだ。……佳織の」

「いや」

 取り付く島もない拒否に愕然とする幸太郎に、佳織は畳み掛けてきた。

「どうして幸太郎があんな化け物と戦わなきゃいけないの? 危険なことばっかりして、それが何になるの? そんなばかげたこと、もう辞めなさいよ」

「辞めない」

「え?」

 幸太郎の強い口調に、佳織は意表を突かれた様子で目を丸くする。

「別に現世がどうとか、そんなことのためじゃないんだ。俺は……その」

「なに?」

 厳しい表情を崩さない佳織の眼を見て、幸太郎は静かに、しかしきっぱり願いを告げる。こんなにまっすぐ見つめあうなんてひさしぶりだな、と思いながら。

「とにかく、辞めない。金が欲しいし。だから俺がもっと強くなるために、佳織に協力して欲しいんだ」

「バカじゃないの……」

 その言葉を潮に、佳織は踵を返した。その背中に幸太郎は声をかける。データ入力画面のアドレス、佳織のパソコンに送るから。

 一瞬立ち止ったあと、佳織は女子寮に入っていった。


2.


『初陣としてはまあまあだったわね。小さい猖穴でよかったわ』

 夜。幸太郎とジョン、弓子はネット回線を使ってブリーフィングをしていた。身体の調子を問う弓子に幸太郎は笑って答える。

「筋肉痛は昨日の今日ですから痛いっすよ。でも、殴られたところはそんなに痛くないです」

 幸太郎の言葉は弓子を安心させたようだ。安堵がありありとわかる表情になった。

『システムの防御機能もやっぱり段違いね』

『どういうことですか? そういえば今までの人たちって、骨折したり失神したりしてたんですよね?』

 ジョンの怪訝そうな問いに弓子が答えをくれた。どうやら、美鈴以外の人間はあのコンバットアプリ集めをやっていないか、誰かにデータをもらっても真剣に攻略していなかったらしい。

 それって職務怠慢なんじゃないんですか、という幸太郎の問いに弓子はくすりとした後事情を教えてくれた。そもそも装着者を選ぶ段階でアプリを集めなさそうな人も選定していたのだそうだ。そういう装着者がどこまでやれるのかという比較実験のために。

『まあ、美鈴ちゃんもアプリはメアリと久美しかいないけどね。真面目に攻略してたのよ、あの子の場合』

 そこまで説明した弓子が、幸太郎とジョンに浮かんだ表情に気づいたのだろう、眉をひそめた。

『念のため言っとくけど、百合の人じゃないわよ。美鈴ちゃんは』

 ですよねと苦笑いしながら、幸太郎はふと思う。幸太郎も久美にデータをもらったばかりで攻略などまだ始めてもいないが、なんでもう効率が良くなっているんだろう?

 幸太郎は弓子に素直な疑問をぶつけてみた。返ってきたのはニヨニヨ笑い。

『そりゃあ、ねぇ? 幸太郎君がオトコノコってことよ』

 はぁ、と曖昧な返事しかできない幸太郎。気のせいかジョンまでニヤついてきた気がする。幸太郎のしかめっ面を見たジョンが、察して話題を変えてくれた。

『それにしても、あんな住宅密集地に出るものなんですね。確か、割と閑散としたところに猖穴は出現しやすい、って教えてもらったと思うんですけど』

『おおむねそうよ。今回のはレアケースだと思ったほうがいいわ』

 ジョンの疑問に弓子が答えてくれた。

『向こうさんにしてみれば、早期に人間に発見されて潰されるのは避けたいところ。その反面、破壊して汚すもの、具体的には、人間がつくったものや人間そのものなんだけど、それがないと猖穴は広がらない』

 疫病神は人が憎いらしい。だからそれを汚すことで現世に不安や憎悪の種を蒔きたい。ついでに自分のテリトリーも確保できて、奴的には一石二鳥である。だから、とんでもない秘境に穴が開かないことだけは確かだ。弓子の解説はこう結ばれた。

『で、カオリちゃんのデータは貰えたのか? 幸太郎』

「落ち着けジョン。そんなに早く入力できるかよ、あの膨大な量のアンケートがよ」

『でもよかったわ。よく声をかける気になったわね』と弓子が画面越しに感心している。

 いや、まあ、とごまかして、照れ隠しに幸太郎はジュースを飲む。

「まだ貰ってませんから。ところで弓子さん」

『ん? なに?』

「そういえば、俺たち以外に、応募した奴いないんですか? このモニター」

 幸太郎の質問に弓子は、ああそんなことかという表情で答えた。

『いたわよ。全部で10……11人だったかな?』

 その答えを聞いて、ジョンも興味深そうだ。

『それで、なんで俺たちが選ばれたんですか?』

『イケメンだからよ』

「――弓子さん! 噴いたジュースでモニターがえらいことになりましたよ!」

 幸太郎は液体のかかったモニター越しに、弓子の顔に向かって叫んだ。

『あ、そう。ウナバラ・インタラクティブ製でいいなら、社内販売で買ってあげてもいいわよ』

「ありがとうございます――って、そうじゃなくて! なんですかその採用基準!」

 幸太郎が慌ててティッシュで拭き取ると、ジュースだけじゃなくジョンまでモニターから消えた。悶絶しているようだ。

『世の理を理解してないあたり、まだまだオコチャマねぇ。イケメンが変身するからかっこいいし、食欲も湧くんじゃない』

「なんの食欲ですか!」

 幸太郎は呆れながらもノリよくツッコむ。弓子は楽しそうだ。

『うふふ。それが分からないから、オコチャマだって言ってるのよ』

「いや、俺もジョンもカノジョ持ちですから」

『なんだ、分かってんじゃん。ああそうそう、ちなみにあたしはフタマタ、ミマタ全然問題ないから』

「そこは問題にしましょうよ……」と幸太郎は呆れた。

 ジョンが復活してきて、仕切りなおし。

『バッテリの持ち、もうちょっと何とかならないですか?』

 弓子が眉根を寄せる。

『うーん。ソフト側としては、今のところ大きなブレイクスルーは望めない状況ね。ハード側としても、開発中のナノマシンがもう少しエネルギー効率がいいみたいだけど。それも試験投入はしばらく先だし』

 身体能力の増幅上限を3倍から引き上げるってのはどうか、という幸太郎の提案も困ったような顔をされた。

『できるわよ。できるけど、バッテリをさらに消費するわ。それに、今の流体金属装甲のスペックでは、4.2倍以上に上げると装着者の骨や腱に過負荷がかかってしまうの』

 はぁ、なかなか思うようにいきませんね。幸太郎はため息をついた。

『アノー、チョットイイデスカ?』

 ジョンが再びモニターの向こうで挙手をする。

『さっき、タカトリジューコーの人が来て、コントローラーをいじってたんですけど』

『ああ、それね。バイオセンサーよ』

 幸太郎のサターディアも同じ改修を受けている。コントローラーの正面左上隅に追加されたそれは、ヒトの瞳のような生々しいブツが半ばむき出しになっている、いささか開発者のセンスを疑う代物だ。

『あなたたちの体調を感知して、挙動に反映するためのセンサーよ。それ以外にも用途はあるけどね』

「それ以外って?」

 なにやら危険な香りがする。

『うふふふふふ』

「ちょっと! 弓子さん?!」

 慌てる幸太郎たちに、ウィンクをしてごまかす弓子。

『大丈夫! 悪いようにはしないから』

「それ、悪いことする時にいう言葉ですよね?!」

 2人が代わる代わる問いただしても、結局答えはもらえなかった。

『ああ、今更な言い訳だけど』と最後に、弓子が切り出した。

『イケメン、ってだけが採用基準じゃないわ』

「え? そうなんですか?」

『当たり前じゃない。そんなの、鷹取の総領様のチェックが通らないわよ』

 幸太郎の意外そうな顔に弓子がむくれた。柔らかそうなほっぺたがぷうっと膨らんで、意外と可愛い。そう思った幸太郎の感想をよそに、弓子の補足は続く。

『ちゃんと応募者全員の身体能力や状況判断力なんかのデータを見た結果、選ばれし者なのよ、あんたたちは。いくら女の子とコミュニケーションが取れてもモヤシっ子では戦えないし、孤独を愛するマッチョメンでも以下同文。そんなこんなでふるいに掛けたら、今回は2人残ったというわけなの』

 それでもなお半信半疑が顔に出たのだろう。弓子はダメを押してきた。

『自信持ちなさいよ。なんたってあんたたちには総領様も丸つけてたし』

 だが弓子に太鼓判を押されても、幸太郎は安心できない。

「――確か総領様って、タイラントのデザインも決めたんですよね?」

 あの『仮面マスクドライバー』かと見まがう、いかにも変身ヒーローでございと言わんばかりのデザイン。それに確かリア充モード搭載の件も即決だったって説明会の時に聞いたぞ。

 怪しい。怪しすぎる。幸太郎は心の中で、眉につばをつけた。


3.


 週末、市北部の総合体育館内にある武道場では、綾たちが所属している空手道場の地区大会が開かれていた。幸太郎はバスの乗り継ぎに苦労したせいで、綾に言われた時間ギリギリに到着したため急いで武道場に飛び込んだ。すると。

「あ、ほんとに来た」

「お前な……」

 綾を試合会場内の隅で見つけて、幸太郎が近寄ったとたんのご無体なお言葉だった。そばにいた佳織が仰天している。

「な、なにしに来たのよ」とキョドる佳織。

「試合の見学だよ。お前たちの」

 動揺を隠せない佳織の顔をちらりと見たあと、綾は幸太郎に満足顔でうなずく。

「ちょうどよかったわ。10分後に、わたしと佳織の勝負よ」

「綾、もう棄権して」と言う佳織の心配顔に、幸太郎はふと綾の右足首を見た。ひどく腫れて、テーピングでぐるぐる巻きになっている。

「いやお前、これ、無理だろ」

「いいえ。出るわ。佳織と勝負する。館長も、出たいなら出ていいって言ってくれてるし」

 そして、綾は痛みに一瞬だけ端正な顔を歪ませると立ち上がり、武道場を一旦出た。佳織が他の試合に気を取られた隙に、幸太郎の袖を引っ張って。

「なんだよ。お前、止めとけよ。本当はやりたくないんだろ?」

「コウ――」

 労わりの言葉を無視されてむっとした幸太郎だったが、綾の次の言葉に声を失った。

「いい? 絶対に、佳織を応援しなさい。いいわね?」

 じゃないとデータは渡さない。有無を言わさぬ迫力に幸太郎は気おされた。その無言を承諾と取って、綾は武道場内へ足を引きずり気味にして入っていった。

 そして試合開始。審判の始めの掛け声と同時に攻勢に出たのは綾だった。フェイントを織り交ぜながら突きを繰り出していく。が、いかんせん足が出ない。容易にかわした佳織は、やはり遠慮しているのか攻めづらそうだ。

 しかし、思い切って踏み込んで放った綾の右正拳突きを佳織がバックステップで避けた際に、勢い余って綾が転倒。そのまま傷めている右足首を抱えうずくまってしまった。

 確認しようと近寄る審判を手で制し、綾が立ち上がる。顔色が悪い。構えを取る綾を見て、同じく構える佳織。館長のほうを確認した審判は続行を宣告する。

(なんで続けるんだよ。無理だろこれ)

 幸太郎は、試合開始当初はしていた佳織の応援すら忘れて、奥歯をかみしめた。佳織の攻勢をしのいで、一歩踏み出す綾。その真っ青な顔が痛みに歪んだ瞬間、幸太郎は叫んでいた。

「綾! もうデータなんかいいから、やめろ!!」

 え? という顔で会場脇にいる幸太郎を綾が見たとき。佳織の左正拳突きが、綾の胸に決まった。



 昼。幸太郎と綾は、総合体育館の北側に出た。広大な木立の中の遊歩道脇にあるベンチにて昼食を摂るという名目の、佳織による吊し上げが始まろうとしている。

 佳織の怒りは尋常ではなく、綾が足を怪我してるから武道場の近くで、という幸太郎の提案は『他の人に聞かれたくないから』と却下され、綾は救護所で借りた松葉杖を使って付いてきた。

「――ふーん。そんな取引してたのね。私に内緒で」

 佳織が眼を真っ赤にして、幸太郎と綾をにらんでくる。ここまでの道すがら、洗いざらい幸太郎は白状させられたのだが、

「幸太郎。どういうつもりなの」

 詰問されて言いよどむ幸太郎を見かねたのか、綾が口をはさんできた。

「待ってよ。取引を言い出したのはわたしなんだから」

「そんなことはどうでもいいの。私は幸太郎が、私に内緒で――」

 その時、幸太郎のカバンの中のサターディアから呼び出し音が鳴った。幸太郎が慌てて取り出し通話ボタンを押すと、若い男性の声が急を告げる。

『こちら参謀部。あなたがいる付近に、妖魔が徘徊しています』

 公園管理者設置の監視カメラが捉えた位置から割り出すと、幸太郎たちがいるベンチから北方向半径10メートル以内にいる。男性参謀はそう状況説明し、

『ダブルオーもワンゼロも到底間に合いません。君だけで時間を稼いでください。今、そちらに鷹取の巫女が3名向かっています』と結んだ。

「ちょ、ちょっと待ってください。なんでこんな所に出るんですか? しかも昼間に」

『おそらく、君たちとは別の部隊が先日取り逃した妖魔と思われます。奴らは夜昼関係ないって聞いてないですか?』

 幸太郎の疑問はまだある。なぜジョンは『間に合わない』のか? やつは空手の大会に参加していて、すぐそこの武道場にいるはずなのに。だが、そんな疑問を口に出す暇もなく。

「こ、幸太郎!」

 佳織の怯えた声に幸太郎が顔を上げると、そこには頭の両脇に角を持つ妖魔の姿があった。距離にして6メートルほどか。“金剛こんごう”だ。

 金属のごとき固い皮膚と、剛力の腕を持つ、2メートルほどの背丈がある人型の妖魔。その分動きは鈍いが、拳が当たったり捕まればただでは済まない敵に、幸太郎の緊張が一気に高まる。

「佳織、綾、逃げろ!」

「幸太郎!」「コウ!」

「俺が食い止める」

 ほとんど悲鳴に近い女の子2人の呼びかけに振り向いて、幸太郎はにっと笑った。こんな顔で安心してくれればいいけどと念じ、再び妖魔のほうを向く。

「変身!!」

 幸太郎は、すぐに《久美》を起動する。棒で離れて戦うしか手がない。

『ゼロナイン。鷹取の巫女はあと20分ほどかかります』

 言われて幸太郎はバッテリ残量を確認。残り20分弱。

(昨日の夜、久美を攻略してたからか。ギリギリまで戦って、予備バッテリに交換しなきゃ)

 自分一人でそこまでこなせるかという不安を胸に、ゼロナインは金剛と対峙する。敵は3体。圧倒的に不利だ。

《マスター、極めて不本意ですが、時間稼ぎをしつつ戦います》

 ゼロナインは棒を構え、金剛へのけん制を始めた。

 そして10分が経過したところで、敵の1体にようやく一撃くらわすことができた。もちろんこちらはボロボロ。敵の攻撃が当たる瞬間、《久美》がその部分の装甲を厚く、かつ身体からわずかに浮かしてくれるため骨折はなく、せいぜい弾き飛ばされる程度だが、身体のあちこちが痛い。

『ゼロナイン。今、総領様がそちらへ向かっています。もう少しだけ耐えてください』

 男性参謀の何やらほっとした口調に、幸太郎は苛立つ。

(もう少しだけ、って何分だよ。適当なこと言いやがって)

 幸太郎の焦りの原因はもう一つ。佳織と綾の避難が捗らないのだ。松葉杖の綾に佳織が肩を貸しながら逃げているためなのだが、恐怖で足がもつれるのか転倒が多くなかなか進まない。

 バッテリ残量は6分とちょっと。なんだかんだでエネルギーを使った分、減りが早い。

(よし……!)

 いつ来るか分からない総領様なんて当てにしていられない。予備バッテリに交換する前にせめて1体でも妖魔を減らすべく、幸太郎は賭けに出た。ボタンを叩く。

《 Final Resolution 》

 久美のコールと同時に棒の先端に光が溜まる。

「百裂撃……!」

 久美に『必殺技の名前、厨二病全開のでお願いしますね』と言われて、考えに考えた末に付けた技名をゼロナインは叫ぶ。先ほどダメージを与えた金剛へと疾走し、最終攻撃を打ち込み続ける。いや、打ち込み続けようとした。

 しかし。

「がっ!!」

 6撃ほど打ち込んだところで、他の金剛にショルダータックルをかまされてしまった! 弾き飛ばされたゼロナインはバッテリ切れにより変身解除。流体金属装甲を吸い込みながらサターディアはあさっての方向に吹き飛び、幸太郎は遊歩道を転がった。意識が飛びかける。

「幸太郎!!」「コウ!!」

 成り行きを見てまた転倒してしまった佳織と綾。自分が守ると誓った女の子2人の悲鳴に近い絶叫に我に返り、急いで起き上がった幸太郎はサターディアには目もくれず、体中の痛みに耐えながら佳織と綾のほうへ駆け寄った。最終攻撃で仕留め損ねた金剛が怒り狂い、3人のほうへ迫る。幸太郎は金剛に背を向けると、2人を抱きしめて眼をつぶった。金剛の足音が間近に聞こえ、そして――

 ぺぎょっ。

 肉と骨の詰まった袋が弾ける音を、幸太郎は背中で聞いた。少し遅れて、女性と思しき柔らかい声が頭上から聞こえてくる。

「やっぱり男の子はこうじゃなくちゃね」

 恐る恐る見上げた幸太郎は自分たちの脇に、1人の女性を見とめた。冬らしい落ち着いた色合いの紬に身を包んだ20代後半と思しき女性が、幸太郎たちを見下ろして微笑んでいる。

 顔を上げた佳織が悲鳴を上げた。その視線に釣られて後ろを振り返ると、間近の金剛は文字通り真っ平らに、遊歩道の赤黒い染みと化していた。いや、遊歩道自体も染みを中心に浅く陥没しているではないか。

「私の旦那様もね、私が敵に襲われた時、身を挺して守ってくださったの。そのあとも――」

「危ない!」

 接近してきていた別の金剛を見て、綾が警告の声を上げる。ふっくらとした胸に両手をあてて夢見心地といった顔で回想していた女性が気付き、右拳をすっと後ろに振った時、それは起こった。

 固体としか思えないほど圧倒的な量の赤白い光が、女性の右拳を中心にして現れる。その光は縦横2メートルほど、厚みも1メートル程度の光の壁を形成し、女性の振った拳の先、近づいてきていた金剛を横薙ぎに襲う。

 またも肉袋が爆ぜる音と共に、つい先ほどまで妖魔だった肉塊は吹き飛ばされ、3メートルほど先に立つ樹に激突して地面に垂れた。

 もはや言葉も出ない3人の高校生に向かってもう一度声に違わぬ柔らかい笑みを残すと、女性は残った金剛に向かって静かに歩み寄る。それもすぐに圧殺して、この場は閉じた。


4.


 夜9時。綾はパソコンでの入力を終えて、自宅2階の部屋でベッドに寝転んでいた。眼をつむると、日中の出来事がフラッシュバックする。

 わたしの怪我を心配してくれる幸太郎。『俺が食い止める』と言い放ち、私に笑いかけてくれた幸太郎。戦う幸太郎。敵にやられて転げまわる幸太郎。

 そして、わたしをかばって抱きしめてくれた幸太郎の汗のにおい。背中越しに感じた、意外と逞しい腕の感触。

(コウ……)

 佳織がいるから、身を引いたのに。いいお友達で、いようと思ったのに。

 すべてが終わって自分のほうを見た時の佳織の表情を、綾は思い出す。

 私の顔はきっと――

 携帯の振動に静寂は破られた。手に取って佳織からの通話であることを確かめ、すうっと息を吸い込んで、綾は通話ボタンを押す。

『もしもし……』

「どうしたの? 佳織」自分の声にわざとらしさを感じながら、あえて確認をする。

『……どういう、つもりなの?』

「なにが?」

 わたしはいま、嫌な女だ。

『どうして、幸太郎を呼んだの? 試合に』

「最初は佳織のため……だった。でも、違う。違ったわ」

 息を詰めている電話の向こうの親友。その間に保っていた均衡に、サヨナラを告げる。

「コウに見てほしかったの。わたしを。ただそれだけよ」

『分かった』

 通話が切られ、再び静寂が部屋に満ちる。

 綾は一つ伸びをすると机に向かい、マウスを操作して『データ送信』をクリックした。

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