第1章 悩め若人 泣せよモニター

1.


 11月初旬。翔鷹学園の2-2教室は、この秋晴れの日に窓を閉め切っていたこともあって意外に暖かい。その暖かさは、当然のことながら不心得な生徒の居眠りを誘うのに十分である。

 このクラスの2年生・鵜飼幸太郎うかい こうたろうも、その睡魔の誘惑に勝てなかった生徒の一人だ。幸太郎は目尻の涙を拭うと、ぐーっと伸びをして立ち上がった。さあ、部活の時間だ。

 隣の教室をのぞき、幸太郎は相棒の存在を確認する。

「ジョン! ジョン! 行くぞ!」

 幸太郎の呼びかけに応えて、机に突っ伏していた白人の生徒が顔を上げる。彼の名はジョン・シュトラッセ。両親の仕事の関係で日本に来て4年になる、日本語がちょっと片言なガイジンさんだ。

「 Hello、コウ。もうそんな時間か?」

「ああ、行くぞ部活。ていうか、いつから寝てるんだお前」

「昼飯を食ったところまでの記憶しかないな」

 そんなとぼけたことをしれっとのたまうジョンは、かなり顔立ちのいいほうだ。爽やかな笑顔に、空手の達者らしい筋肉質で上背のある身体と身のこなしも相まって、女子の人気は高い。

 彼女たち曰く、『飾っておくだけなら超イケメン』つまり勉学の面ではいささか、いやかなりの低空飛行を続けている男だ。もっとも、一般常識に欠けているわけでもないし、なにより男気のある性格で男子からの人望も厚い、気持ちのいいやつである。

「そうか。さあ、行くぞ」

 幸太郎はジョンを再び促して、2人が所属する『英語演劇部』へと向かった。

 英語演劇部は、読んで字のごとく、英語の台本で劇を行なう部活動だ。といっても、10月に行なわれた学園祭での上演が終わってしまって、今はトレーニングなどをしつつ、3月に行なわれるコンクールに向けてのブラッシュアップという名目のお茶会が主な活動である。

 もっとも、学園祭終了直後に顧問の教師が心を病んで長期休暇中のため、その傾向に拍車がかかっているのは否めない。

「ちわーす」

 部室の戸を開けると、もうすでに幸太郎たち以外の部員全員が着席していた。陣取る長机には、大量のお菓子と各種飲み物。今日もダベりモード、全開である。

「ああ、コウ、ジョン、いらっしゃい」

 声をかけてきたのは、副部長の2年生、高井綾たかい あや。学園指定のカーディガンを着込んでいるためやや着膨れして見えるが、すらりとした無駄のないプロポーションの、気の強そうな瞳が印象的な美人だ。ジョンと同じく空手をやっていて、道場が同じという縁で彼をこの部活に誘った人物でもある。

 並びの椅子に腰かけた男子2人に、女子の1人が、そっと紅茶を差し出してくれた。

「ありがとう。久美ちゃんは、優しいなぁ」

 幸太郎の感謝になぜか困った様子でうつむいたのは、1年生の青山久美あおやま くみ。均整の取れた身体に長い脚、ちんまりとした頭に豊かな髪という、お人形さんのような容姿の子だ。普段見せる清楚なたたずまいはいいところのお嬢様らしく見えるが、本人曰く『中国料理屋の娘』とのこと。そして時々放つ爆弾発言がただのおとなしい少女ではないことを垣間見せてくれる、面白い子である。

「ああ、カオリちゃん、Thank you 」

 ジョンが菓子をもらい感謝している女子を、幸太郎は横目で眺める。部長である2年生、河田佳織こうだ かおり。久美に負けず劣らずのスタイルのいい身体に、聡明さと性格のよさを兼ね合わせた顔が乗っかっている。その整った顔はこの4か月あまり、幸太郎に対しては冷たい一面しか見せてくれない。今日も佳織は、幸太郎をガン無視の構えだ。

(はぁ、今日も機嫌悪いな)

 幸太郎は、佳織をちらと見やる。もうすでに幸太郎の存在など忘却のかなたに追いやった風情で、隣の綾とポッキーを分けっこして喜々としている彼女の姿に、幸太郎の胸はちくりと痛む。

(ほんとに、なんでこうなっちまったんだ……)

 幸太郎と佳織は小学校入学の時分からお隣さんで、両親同士の仲もよく、本人たちも自他共に認める仲良しだった。その仲良しが恋仲にステージアップしたのは中学2年の時。幸太郎が初恋の人に振られて慰められている内に、眼の前にいるのが異性だということに気付いてお付き合いが始まった。

 周囲に冷やかされながらも交際は続き、高校受験も頑張って同じ学園に入学でき、同じ部活にも入った。順風満帆に見えた学園生活に突如として影が差したのは、今年の7月初旬のこと。

 その日、幸太郎は居残り補習で遅くなっってしまった。急いで部室に入ると、部屋の中の様子がおかしい。うつむいて震えている佳織と、実に気まずげに幸太郎を見る女子部員たち。きょとんとしていると、佳織の怒りが突如爆発したのだ。

「幸太郎の馬鹿!」

 叫んで幸太郎を突き飛ばし、佳織は部室を走り出ていった。その剣幕に押されて、佳織に真相を質すメールを送れたのは日も暮れてから。返事は一言、『バカ』だった。

 以来、幸太郎と佳織の間には、部活での必要最小限の会話以外成り立たない状態が続いている。メールのやり取りも、定期テストのたびにしていた勉強会――佳織に教えられっぱなしだったが――もなし。デート? なにそれおいしいの? という有様。

(そーいえば、また期末テストだな。どうしようかな)などと悩む幸太郎たちが在籍している私立翔鷹学園は、鷹取財閥傘下の財団が運営している高校・大学エスカレーター式の学校で、学校としてのランクは高いほうに位置する。

 ちなみに悩むからには幸太郎の成績はいささか怪しい域にいる。怪しいすなわち留年、そこまでいかなくともエスカレーター式に上の大学にはいけないという状況なのだ。無理してレベルの高い学園に入ったつけが回ってきている。それもこれも佳織がいればこそ、だったのに。

(なんでこうなっちまったんだろうな)

 何度、誰に問いただしても、ため息のみで答えはもらえず。幸太郎は今日もまた、ため息をつくのみであった。


2.


 部活がはねて、幸太郎はジョンと連れ立って部室を出て行った。なにやら荷物が届くらしく、ワイワイと騒ぐ2人の声が廊下を遠ざかっていく。

「今日もコウ先輩はいつもどおりでしたね」

 久美は淡々とした表情を作って嘆息した。部活が終わるまで、幸太郎が溜め息をつくばかりでちっとも『なぜ?』の先を考えているようには見えない。久美の嘆息のわけは、そこにある。綾も溜め息混じりに幸太郎をくさし始めた。

「まったく、いつ気付くかと思って見てたけど、ありゃ真正のバカだね」

 腕組みをしながら佳織のほうを見た綾が心配顔で問いかけた。

「佳織、いいの? あいつ、多分はっきり言わないと気付かないよ?」

 それは9年来の友人のアドバイスだったが、佳織は眼を閉じながら断言する。

「いいの。私のほうがまだダメ、だし」

「もったいないですよね」

 久美のそのつぶやきを綾は聞き逃さなかった。

「なにが?」

「……イケメンだし、ジョンさんほどじゃないけど背も高いし、優しいし。なのに、という意味です」

 それを聞いた綾と佳織が驚いた顔をする。

「久美ちゃんが、コウを褒めるなんて。びっくりだわ」

「久美ちゃん、『なのに』の続きは?」

 佳織の眼つきが険しくなっても、久美の泰然自若さは揺るがない。

「バカで変態だなんて」

「……まあ、変態というか、スケベなだけだと思うけど」

 さすがの佳織も苦笑い。綾も、ふっと鼻で笑って首を振る。

「思ったことがすぐ言動に出るからね、バカコウは」

「この間、お二人がいない部活動の時……」

 久美はそこまで言って、顔を赤らめた。

「やめます」

 綾が興味津々な態度で続きを促すも、久美は首を振ってごまかした。

「不本意ですが、やめます。お二人のどちらかにコウ先輩が撲殺されかねませんから」

「うん、もういい。大体分かったから」

 綾が指をポキポキ鳴らし、佳織が怖い眼をしてうなずくのを見て、久美は声色のみ驚いたふうに口を開く。

「さすが幼馴染ですね。分かるんですか」

「まあね」

 と胸を張る綾も、小学校3年のときから幸太郎とドツキあいを続けている腐れ縁だ。もっとも、思春期に入ってからは幸太郎が手をあげることはなくなっているそうだが。

 そんな綾を佳織がちらと盗み見たのを、久美は見逃さなかった。

(やっぱり気になるんだ。カレシの初恋の人、だもんね)

 久美は思う。この部活の奇妙な緊張感というか均衡が、佳織が幸太郎と距離を置いたことでよりはっきりと表に現れるようになった気がするのだ。幸太郎がそれに気付いているとは、とても思えない。

(バカで変態、だから?)

 久美はそんな幸太郎のことを時々考えている自分が、不本意だった。


3.


 幸太郎とジョンは、学園から歩いて20分ほどの学生寮に住んでいる。幸太郎は実家が2つ隣の市で、通学至便な学生寮はとてもありがたい。寮費も、ごく普通のサラリーマン家庭である鵜飼家には負担の少ない金額だ。

 ジョンは両親が日本中を飛び回っているため、『高校生を独り暮らしさせたくない』という親の配慮が入寮の動機らしい。

 ちなみに佳織も幸太郎と同じ動機で女子寮住まいのため、普段は一緒に帰ってきている。だが、もちろんこの4ヶ月は絶対に話しかけてこず相槌も打たない徹底ぶりである。

 男子寮の玄関を上がってそれぞれの部屋に戻ろうとする幸太郎とジョンを、寮母が呼び止めた。

「鵜飼君とシュトラッセ君、小包が届いてるよ」

 小包を玄関で受け取り、送り状を見た2人の顔に歓喜が浮かぶ。申し込んでいたゲームのモニターに当選したのだ。

 この学園のユニークな特徴の一つが、『新商品モニター制度』である。鷹取財閥とその分家である海原うなばら財閥が開発した新商品を事前にモニターでき、レポートを提出すれば内申点に加算される。もちろん、『良かった』とか『最高です!』なんて一言感想を提出した日には、内申点がマイナスとなる上、学園ネットワーク内の掲示板に晒し者にされるから真剣にレポートせざるを得ない。

 さっそく幸太郎の部屋に2人で飛び込んで、包装を破るのももどかしく箱を開けた。

 『 Tyrant モニター当選のお知らせ 』の文字に心が踊る。

「えーとなになに、『株式会社タカソフが開発中の“ Tyrant ”をお届けします。あなたならきっと、やってくれるものと信じています』だってよ」

 興奮して、前置きを声に出して読む幸太郎。それを聞き流しながらジョンは別の冊子を読んでいるようなので、続いてお知らせを取り除くと、“ Tyrant ”のキービジュアルらしき異形の立ち絵が眼に飛び込んできた。全身黒ずくめのスタイリッシュな外観が、シルバーのラインによって際立っている。

 『あなたはこの姿になって妖魔を撃破し、疫病神から現世を守るのです』といった煽り文句が並ぶパンフレットを読むと、幸太郎の期待はいやがうえにも高まってくる。

「……なあ、コウ」

 幸太郎がジョンを放っておいてパンフレットを眺めることしばらく、冊子を読み終わったらしいジョンが話しかけてきた。

「これ、サターディア、だよな」とジョンが箱から持ち上げたのは、ウナバラ・インタラクティブ製の携帯ゲーム機、『サターディア』のオーシャンブルー・ヴァージョンだ。

 スマートフォンとしても使用できるポータビリティの良さが売りのはずなのに、本体を中央部にはめ込むタイプの専用コントローラーだけでなく、それの背面に装着するバッテリ増設パックまで付いて、外観はかなりごつい。

「ん? たしか募集要項に『サターディア貸し出します』ってなってたろ?」

「いや、そうなんだけど、さ」とジョンはなおも怪訝そうな表情を崩さない。

「電源入れても、タイラントなんてソフト、入ってないんだけど」

「――え?」

 不安に駆られた幸太郎も、自分の箱からパッケージを破ってサターディア――こちらはサンライズレッド・ヴァージョン――を取り出し、電源を入れてみる。

「うわ、重い。なんだこれ? ……ああほんとだ、ソフト1つしかって……ちょ、なんだこれ?」

 1つだけプリインストールされたソフト。その名は、

『セツナサ・グラフィティ2』。

「なんでギャルゲーだけ入ってるんだよ?!」

 幸太郎は誰にともなく叫んだ。確かにタカソフのゲームブランドで出たギャルゲーで、ヒットした作品だけど。

「コウ」ジョンは、今度は泣きそうになっている。

「これ、読んでみ?」

 ジョンが震える手で差し出してきた1枚の紙片。そこには――

『11月24日(月祝)午前7時30分から、

 『 Tyrant 』に関する説明会を翔鷹学園の体育館にて行ないます。

 ぜひ、というか、絶対に参加してね!

 なお、その日までに『セツグラ2』のキャラを1人以上攻略しておくこと。

 ※攻略サイト参照不可                        』

 幸太郎も、泣きたくなった。

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