序章 始まりの敗北

1.


 深き闇の中、それらは蠢いていた。

 禍々しくくねった角、血走った眼、鋭い牙、鋭く伸びた爪、そしてそれらが具備された、大小の胴体。彼らの総称は、妖魔。

 彼らは今、広大な廃工場の空き地中央に位置する“猖穴しょうけつ”から、1体、また1体と這い上がってきていた。その数、現在6体。彼らの目的は、この猖穴をさらに拡げるために地上を汚すこと。そして猖穴が広がりきったその時、地獄の牢に押し込められている彼らの主、疫病神が現世に顕現することになるのだ。

 その空き地に向かって疾走してきた人影が6つ。彼らは空き地に妖魔の姿を認めるや、いったん停止し呼吸を整えた。

「……わたしたちの手で止める……今日こそ、絶対に……!」

 声を発したのは、先頭の黒衣。いや、黒衣などという生易しいものではない。頭の天辺から爪先まで、黒。

 雲が流れて、ようやく月が梅雨明けの地上を照らした。先の黒ずくめも月明かりを浴びると、身体の各所にシルバーのラインが見て取れる。腹部に装着されている器具の色が深紅に塗られていることも。

 そのまるでボディスーツのように流線型ともいえるプロポーションの持ち主は、声からすると少女か。推測せざるを得ないのは、頭部まで、いや後頭部でまとめた長い髪まで黒く覆われているから。その顔部の中央、逆三角形の双眸が赤く発光する。

「続け!!」

 少女は背後に続く5機の黒装衣に号令をかけ、妖魔めがけて突撃を開始した。

 黒装衣たちの接近に気付いた妖魔たちが、威嚇のうなり声を上げる。黒装衣たちはそれに怯むことなく走ること数分で妖魔集団の縁に到達した。先頭を走っていた少女がその勢いのまま、目の前の妖魔めがけて右ストレートを放つ。

「はっ!」

 少女の右拳が妖魔に当たる瞬間拳が光り、妖魔に叩きつけられた。が、妖魔は腕でガードし、その姿勢のままたたらを踏んで後退する。

「くっ……!」

 少女は攻撃の結果に唇をかむ。彼女が攻撃した人型の妖魔“長爪ながつめ”は体重の軽い種族――といっても少女くらいはあるのだが――で皮膚も柔らかい。勢いプラス正拳突きの威力に光を加えても、この程度のダメージしか与えられない。彼女の不満はそこにある。

 眼の前の長爪が雄たけびを上げ、その名の由来である長い爪で突きかかってきた。少女は軽くこれをいなして、光を纏わせた右ローキックを長爪の脚に叩き込む。今度はそれなりに効いたらしく、長爪は唸り声を上げて崩折れた。

「やっぱり、もっと光の出力を上げないと……」

 少女の声に反応して、別の少女の声が頭部から流れる。

《 了解。光の出力を20パーセントアップ。変更後のバッテリ限界、あと20分7秒》

 そのやけに落ち着いた少女の声でのアナウンスに少女はくすりとした。だが、すぐに気を引き締める。眼の前の長爪が立ち上がりつつあった。そして、自分以外の黒装衣たちは苦戦している。

(早くこいつを仕留めて、援護に回らないと)

「ゼロツーはゼロセブンをカバーして! ゼロスリーはゼロワンの退却を援護!」

 敗けられないのだ。今日こそは。

 押され気味の手勢に指示を出すと、少女は右手に黒い棒を出現させて長爪に突撃した。



 この戦場から5キロほど離れた場所にある、黒い外壁の建物。それは、妖魔討伐を生業とする鷹取たかとり一族と、その戦闘を補佐する参謀部が使用している指揮所の1つである。

 戦闘開始から15分経過。この指揮所の中は今、戦場上空に旋回させている無人機と黒装衣たちから刻々と送られてくる情報の処理にあわただしさを増していた。

「ゼロセブン、通信途絶」

「ゼロスリー、レスキューコールです。脚を折られています」

 男女のオペレーターが淡々と現下の劣勢を読み上げていく。その声を聞きながら、一段高い席に座っている副参謀長は指揮所の大型スクリーンを眺めたまま、部下の参謀に確認した。

「敵の損害は?」

「長爪2体及び金剛1体を撃破。以上です」

「動けるのはダブルオー1機のみ、か。これまでね」

 副参謀長は顔にかかっていた鳶色のセミロングをかきあげると、マイクに向かい、戦場のダブルオーを呼び出す。

「ダブルオー。こちら参謀部。撤退を進言します」

 しばしの沈黙ののち無念さを押し殺した声で、単騎奮戦していた少女が『了解。撤退します。援護をお願いします』と返答してきた。

 続いて副参謀長は別の部署を呼び出し、手元のマイクで不稼働機の回収と本隊の投入を手配する。

 各所からの『了解』との返答を聞き流して、副参謀長は豊かな胸の前で腕を組み、大型スクリーンを見つめた。部下の参謀がその顔を伺うも、普段は愛嬌あふれるその顔は無表情に彩られ、何も読み取れなかった。


2.


 作戦終了から1時間後。都内某所にある鷹取屋敷の一室に、黒装衣『 Tyrantタイラント』開発プロジェクトの関係者が集っていた。

「今回も死人が出なくて、なによりだわ」

 鷹取一族の総領を勤めるのは、20代後半の女性。その女性が赤黒い短髪を揺らし、いささかのため息とともに切り出した。

「これで3回戦闘をして、不稼動機数は7の5、5の3、6の5。ちょっと損害が大きいわね」

 敵にある程度の損害は与えている。だが参加機数に比して自力撤退できた数が少なすぎる。しかも、全ての戦闘において自力撤退できた1機の装着者は、鷹取一族なのだから、その効果のほどに疑問も出るというものだ。

「やっぱり、中の人のスペック次第ということなのかしら? どう思う、弓子?」

 副参謀長が横目で問いかけたのは、彼女と同じ鳶色の髪をこちらはボブにまとめた、総領と同い年の女性。弓子と名前で呼ばれた女性は、副参謀長の問いかけにやや膨れ面で答える。

「それは機体の性能と、あたしたちのソフトがいただけない、ってこと?」

「そうね」と副参謀長はそっけない。

「ムカつく。そんな口調だから、男に逃げられるのよ」

「あら、彼が逃げたのは――」

「はいはい、姉妹ゲンカはこれが終わってからにしてくれないかしら」

 総領が2人をたしなめる。男関係の話題になると果てしない掛け合いが続くことを、姉妹共通の友人である総領はよく知っている。

「中の人のスペック次第というのは、私の立場から言っても納得できかねますね」

 そう発言したのは、40代の細面の男性。胸に『鷹取重工』の縫い取りがある作業着を着ている彼は、ずり落ち気味だったメガネを上げると反論を続けた。

「確かにあれは、装着者の身体能力を増幅させるようにできています。しかしそれでは、ただのパワードスーツでしかないわけで――」

「あのー、もしもし? それはつまりソフト側がダメってことじゃないですか?」

「いや、そうは言ってませんよ」

 と作業着の男性がむくれ顔の弓子に向かって苦笑する。

「そもそも、あれは護身装具なわけで、そういう意味では成功なんですから」

 ここで副参謀長が膨れっ面の妹に助け舟を出してきた。

「2年ぶりの大攻勢にかち合っちゃったというのも、理由としてはあるわ。でなければ、もう少しじっくり試験を進められたはずだし。そうでしょ? 弓子」

 そのせっかくのフォローには乗らず、弓子は手元の端末を操作して、様々な数値の羅列による一覧を部屋の隅に備え付けられているスクリーンに映し出す。

「これは?」

 総領の質問に弓子が答える。今までの戦闘のログであると。

「ダブルオーとその他の人たちのを見比べれば、一目瞭然だわ」

 その数字の羅列にざっと目を通しただけで、総領が納得顔になった。

「あのシステムへの登録が女の子だけとはいえ、まがりなりにもちゃんとシステムを使っているダブルオーと、使いこなせていないその他の人たちとでは、全挙動の効率が段違いね」

「さすが社長、早いわね」

 総領は、弓子が勤務するソフトウェアベンダーの代表取締役でもある。

「というわけで、総領様」

 口調と表情はあくまで朗らかに、弓子は重大な提案を切り出した。

「ダブルオーの在籍する翔鷹学園しょうようがくえんの生徒を木偶でく……ゲフゲフ、人体実験に使う許可をください」

「弓子、その言い換え、意味ないから」

 姉のツッコミを横目で黙殺して、弓子は総領の裁可を待つ。

「対象者の目星は付いてるの? 弓ちゃん」

 総領の思案顔に、弓子は満面の笑みで応える。

「もちろん! こんなこともあろうかと、事前にリサーチ済みよ」

「あなたのリサーチって、ただ単にイケメ――「やかましい」

 姉のツッコミが妹に途中で遮られる。またケンカが始まりそうな気配を察した総領は、良家の若奥様らしい仕草でくすくす笑いながら裁可を下した。

「許可するわ。でもね、弓ちゃん?」

 総領の目が、明らかに面白そうに細まる。

「食べちゃダメよ? うちの会社から逮捕者を出したくないから」

「あ、やっぱり?」

 弓子は舌をぺろりと出した。

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