第37話 血族

「晃一さん……!」


 次郎がマンションに帰ってくると、玄関先に息を切らせたシャルロットが現れる。


「あ……。……す、すみません……!」


 次郎の姿を捉え、明らかに落胆の色を浮かべるシャルロット。それを必死に隠そうとする様子に、次郎は首を傾げた。


「別に謝らなくていいぞ。その様子だと、晃一と待ち合わせしていたんだろう?」

「……待ち合わせ、では、ないのですけど……」

「ん? 違うのか? ダメだぞ久住。晃一はテキトーなやつだからな。ちゃんと日時と場所を決めないと」

「…………」


 押し黙るシャルロットに、次郎は更に首を傾げる。

 それを見兼ねてか、クロードが奥の部屋から助け舟を出した。


「ジロウ、大上邸での用事は済んだのかい?」


 クロードにちょいちょいと手招かれ、次郎はそれ以上を追求することなく奥の部屋へと向かう。


「いや、実は一旦、ここに帰らなきゃならない理由ができてしまってな」

「……理由? そりゃあ一体……」


 そこまで聞いて、クロードは次郎の胸元ににじんだ染みが、徐々に広がっているのを見た。

 あまりに平然としすぎた態度に、それまでクロードも、シャルロットも負傷に気が付かなかった。

 ……濃すぎる「神の血」の匂いが、判断を鈍らせていたとも言える。


「出血がなかなか止まらなくてな。珍しい事態だから、こっちで調べたかった」

「……い、いや、珍しいとか言ってる場合じゃねぇだろうよ。死ぬぞ」

「それはまずいな……。原因を突き止める前に死ぬのは困る」

「……おいおい……」


 クロードは絶句しつつも、どこかで納得していた。

 元より、次郎は「ズレて」いた。

 それでも、生物への並々ならぬ好奇心と、生命への好意が彼を無害な存在たらしめていただけのこと。


 たとえ本人が自覚していなくとも、次郎は根本からヒトならざる存在なのだ。


「……なるほど、刃に毒が塗ってあったか」


 自らの身が危険に晒されているのにもかかわらず、次郎は楽しげに笑った。


「実に興味深いな。彼らは、そこまで技術を発展させたのか……!」


 きらきらと目を輝かせ、次郎は自らの死地さえも歓楽に変えてみせる。


「……呑気に笑ってて大丈夫か?」

「損傷が限られているからな。複数箇所だったらさすがに危なかっただろう」


 クロードの問いに平然と答え、次郎はテキパキと自らの傷の手当を行う。


「一人じゃ難しいだろ。包帯、巻いてやろ、う……か……。……いや、無理か……」


 クロードはいつものおせっかい心を出しかけたが、自らの右腕が失われていることを思い出し、そっと身を引いた。


「よし! と、いうわけで俺は寝る!」


 そうこうしているうちに、次郎は手早く自らの傷の手当を終える。


「さすがに、身体が動かなくなってきたから……な……」


 そのまま、次郎は着替えもそこそこにベッドに寝転がり、うつらうつらと船を漕ぎ始めた。


「へいへい、ゆっくり寝ときな」

「良かったら久住のDNAを取得しておいてくれないか? 純血お前のものと比較したい」

「……殴って気絶させられてぇか?」


 額に青筋を立てたクロードが言い終わるより、次郎が寝息を立て始める方が早かった。

 クロードは呆れたようにため息をつき、シャルロットの様子を見に玄関の方へと戻っていった。




 夢の中に、次郎の意識が手招かれる。




 懐かしい暗闇の中を進んでいくと、しるべのように、光が点々と続いている。


 次郎左近の魂に結び付いた世界。

 彼、および彼の血族が、生まれながらに背負いし宿命。


 光は徐々に犬……いや、狼のような形に姿を変え、導くように同じ方向を指し示す。

 次郎左近はためらわず、先に進んだ。


 彼が求めたのは探究の道。

 次郎は、人間も、それ以外も、手を取り合って暮らせる世界を求めた。

 強すぎる好奇心が故に。

 その好奇心があらゆる生物への「興味」に繋がったが故に。

 彼はその道を選んだ。


 だが、それは人間らしい「情」から成り立つものではない。

 そのことを、次郎本人でさえ理解していなかった。

 彼は「恋心」の定義に頭を悩ませていたが、何も「恋」に限った話ではない。次郎が持つ感情に、人間社会における普遍的な定義は当てはまらない。

 ところどころ似通った部分はあるが、次郎は……大上次郎左近という存在は、魂の根本から、人間の枠外にいる。


 太郎右近と次郎左近は、大上には珍しい一卵性双生児。

 能力そのものは公平に分かたれたが……魂は、そうはならなかった。


 それでも、今までは

 社会生活のため、兄を参考にして被った仮面。

「神」としては不完全であるが故に、些細なことでも「獣」のごとく反応した本能。

 それらの制約は、次郎を閉じ込める檻でもあった。彼の持つ能力を、存分に発揮させないかせだった。

 ……が、しかし、だからこそ次郎を「人間の理解の範疇はんちゅう」に押し留めることができたのも事実だ。


「……大神さま?」


 次郎の瞳が、どす黒い人影を捉える。


 大神は、おそらく。

 本来は薄情なこの青年が、「当主」となるのを待っていた。


 大上の血筋は神の祝福を受けた血筋。

 代々生まれる異形の子がその証。


 眞子も、太郎右近も、ヒトならざる存在を魂の根源に宿していた。

 今、次郎左近が対峙する「それ」と全く同じ、「大神の意志」を。


 ……それでも、彼らは自らの意志を優先させ、大神の意志を抑えつけてきた。

 陽岬を統べる者として、土地を守る者として、人間と神を結び付ける役割を担ってきた。


 次郎左近の脳裏に、多くの「先代達」の記憶が蘇る。

 民のために戦い、血を流し、朽ち果ててきた歴代当主達の無念が、代わる代わる次郎左近に告げる。


 選べ、と。


「そうか」


 次郎はあくまで淡々と、平然と、気軽な調子で語る。


「特性を理解し合えれば、どんな知的生命体も手を取り合えると思っていた」


 晃一の言葉が脳裏に過ぎる。


 ──たくさんの人の役に立ったら善で、たくさんの人を傷つけたら悪。……それが人間こっちの価値観。空みたいにコロコロ変わっちゃうから、女のコより繊細で難しい


「……理解し合えたとしても、空はすぐに変わる」


 次郎の黄金色の瞳に、わずかに陰りが見える。


適宜てきぎ修正していくにしても、追いつかない。人間の数があまりに多すぎる。丹念たんねんに心を砕いて啓発けいはつしたところで、最後の一人が知る頃には、空の色は完全に変わっている……」


 だが、その瞳に、絶望の色はなかった。


「不可能なら、仕方ないか」


 次郎の「人格」は、ある程度兄の太郎を模倣していた節がある。

 たとえ模倣だったとしても、それほど次郎が太郎を片割れとして大切にしていたのは事実。

 同じように、次郎が晃一を友として慕ったのも、多くの「生命」に興味や好意を抱いたのも、事実。

 ……次郎左近は、一瞬だけ目を閉じ、未来を選びとった。


「俺は、滅ぼさない」


 え、たける怨嗟の声に表情ひとつ変えず、


「陽岬も、大上の家も、守るぞ」


 次郎は、朗らかに笑った。


「納得は……できなさそうだな。だから、見ていてくれ」


 彼は、大神の宿命を狭苦しく思っていた。

 そして、自分を含め、生命のあらゆる可能性に興味があった。

 青ざめた仁左衛門の顔が、脳裏に浮かぶ。

 ……それでも、次郎は「仕方ない」と笑った。


「俺は、人でなしになる」


 薄情な青年は、可能性を守るために、自らの人間性を捨てた。

 太郎右近が伝七に語ったように、彼の気質は

 双子の兄でさえ理解はしきれなかったし、「家」を巡った認識には間違いなく齟齬そごがあった。……それでも、太郎右近は、非情な側面も含めて次郎左近を信じたのだ。


 例えどれほど絶望的な盤面だったとしても、彼ならば可能性を見出せる……と。


「実験の始まりだ」


 金の瞳は、神の思念すら惑わすほど、きらきらと光り輝く。

 昼間の太陽のように爛々と燃え盛っているようにも、夜空の満月のように煌々と佇んでいるようにも見える、無邪気と、狂気と、希望と、酷薄さを併せ持った光──


「納得できない方に進めば、その時に滅ぼせばいい!」


 大上次郎左近はその日、神すらも圧倒してみせた。

 臆することなく、修羅の道を選び取ったのだ。

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