第36話 禍事

 おびただしい呪力の渦を察知し、次郎は思わず駆け出していた。

 伝七に「話がある」と呼ばれ、大上邸に向かったはいいものの……どれほど待っても伝七は現れず、連絡の一つも来ない。

 そんな最中、「犬上いぬがみ」のものらしき呪力を察知した。名ばかりとはいえ大上家の当主となった今、次郎がそれを放置するわけにはいかなかった……のだが。


「そうか! 大上邸に待機させておいて、到着を遅れさせるつもりか……! 賢いな、伝七……!」


 呑気な感慨が漏れる。

 慌てて飛び出した次郎は、仁左衛門に「今度は何ですかな!?」だの、九曜に「次郎殿、また何かしでかすおつもりなのですか。恥を知りなさい」だの、散々言われて引き留められた。普段の行いが悪いとはいえ、次郎の信用のなさを伝七はむしろ信用していたのだろう。


 眞子も仁左衛門も「暁十字の会」およびヴァンパイア絡みのことに極力関わるべきではないと言っていたが、次郎は興味さえあれば平気で首を突っ込んでいく。予想外の事態を引き起こす可能性を考えれば、遠ざけておくのは賢明な判断とも言えた。

 その突飛さゆえに、八方塞がりに陥った大上家を救済する可能性を秘めてもいるのだが。




 次郎が「暁十字の会」本部に辿り着くと、辺りは喧騒に包まれていた。

 教祖の孫が殺人鬼だっただの、地下で非道な実験が行われていただの、野次馬の物騒な噂話が飛び交っている。

 報道関係者らしき姿もちらほら見えるが、次郎の眼は別の影を捉えていた。


「……兄さん?」


 死んだはずの兄が、建物の中へと入っていくのが見える。

 次郎はその存在に手招かれるまま、半ば強引に人混みの中を突っ切った。


「どうした、兄さん。もしかして、心残りでもあったのか」


 次郎は構わず話しかける。それが霊魂であれなんであれ、次郎にとってはどうでも良かった。

 太郎が満足してこの世を去ったと思っていたから、次郎は太郎の死に納得したのだ。もし無念や未練を残しているのなら、看過できない。


 着物の男の影は、何も答えず、静かに次郎を先導する。

 次郎は何の疑いもなく、その影の後をついていく。


 ……やがて、気付く。


 これは、兄ではない。


「……あ、何だ。そっくりだから気付かなかった」


 次郎はあくまで平然と、合点の言った事実を告げた。


「お前、俺か!」


 影がゆらりと振り返る。その顔は太郎とよく似ている……というよりほぼ同じだが、髪型の微妙な差から、次郎の姿だと判別はできた。

 太郎の霊魂ではなく、「大神」の思念が次郎の姿を象って現れていたのだ。


 次郎の姿をした「陽岬ひのみさきの神」は、ついて来い、とばかりに先を進み続ける。


「どうした、俺。……いや、大神さま、だったか」


 これまで、「大神」は常に内側に存在していた。

 まるで魂の根源に紐づいているかのように、「大神」の意志は「大上家当主」の精神の奥底に在った。

 少しだけ首を捻り、次郎は自らの知識から適切な答えを導き出す。


「ああ! そうか! 神眼がせているのか!」


「神眼」は、次郎たち、大神の力を継いだ者に備わった力の一つ。

 例えば対峙する者の息遣い、筋肉の動き、周りの些細な所作、風の向き、空気中の匂い……あらゆる「情報」を、「視る」ことのできる力。


 神眼は、次郎が「行うべき」選択を示唆する。

 数秒先の未来を指し示すよう、次郎の姿をした「彼」は廊下を先導し……やがて、ある一点を指さした。


「斬れ」


 わずかに漏れる音が、隠し部屋の存在を教える。壁の隙間から流れ出した空気が、ヒトの匂いを運んでくる。

 金の眼は、潜んだ影を見逃さない。


「おお、上手く隠してるな」


 あっさりと暴いておきながら、次郎は呑気に部屋の造りを称賛する。

 刹那、次郎の右腕が黒い獣のように変化し、隠されていた扉は簡単に破壊された。

 ほこりが周囲に充満し、かび臭さが漂う。

 隠し部屋の中央に、その男は潜んでいた。


「……!」


 ほとぼりが冷めるまでと、息を潜めていた影は差し込んだ光にたじろぐ。

 次郎の姿を捉えた途端、老爺ろうやの顔は激しい嫌悪に歪んだ。


「何が……」


 陽岬の神は、自らを愚弄ぐろうした者を許さない。

 たとえ、信仰を失い、力を失い、忘れられつつある神だとしても……いや、だからこそ、土地神としての矜持を何よりも重んじる。


「何が……何が、神じゃ……! 神がわしに何をしてくれた!? 富を与えたか!? 力を与えたか!? 敗戦から救うてくれたか!?」


 新たな神を騙った男は、憤怒の形相で食い下がる。


「わしを救わぬ神なぞ、この世に要らぬわ……!」

「そうか」


 次郎はあくまで淡々と、相槌を打つ。


「そういう考え方もあるだろうな」


 平然と矢嶋の言葉を肯定し、それでも、次郎はその首に自らの爪を食い込ませた。


「でも、仕方ないんだ」


 皮を一枚切られ、たるんだ首元から血がにじむ。鉄の臭いに釣られ、次郎の瞳が煌々と光る。


「俺たちに民を救える力なんてない。あくまで、人間の手助けをするのが俺たちの役目だった」


 今にも息の根を止めんとする動きに似つかわしくなく、次郎の言葉はあまりに淡白だ。


「だけどお前たちは勝手に期待した。際限なく望み、叶わなかった現実を恨んだ。俺はまあ、人間の大脳皮質がそうできている以上仕方ないかって思うが……大神さまは、すごく怒ってるらしいぞ」


 次郎は純粋だった。

 知的好奇心のままに「理由」を追い求め、その「理由」が納得のいくものであれば、すぐに飲み込んでしまえた。

 ……だから、その選択が理解できなかった。


「こ……の……ッ、化け物がッ!!!」


 胸に突き立った刃に眉をしかめつつ、次郎は首を傾げる。


「うーん……こうなったら諦めるものじゃないのか? わからないな。俺を殺したところで、お前は死ぬぞ?」


 納得できていなさそうだから、せめて自分なりの論を伝えて「役割」を遂行しただけなのに……なぜだ? ……そう、彼は本気で思っている。


「……亮太と……あの、化け物と同じじゃ。お前には心がない……」

「えっ? 心臓はちゃんとあるぞ!? 刃が届いてないだけだが!?」


 狼狽える次郎。

 矢嶋はその姿を鼻で笑い、観念したかのようにぼやき始めた。


「……やはり、神なぞろくでもないのう……。冥途の土産に、良いことを知れた」

「んん? 納得してくれたのか? じゃあ、そろそろ身体も痛くなってきたし、さっさと終わらせるぞ」


 太郎右近は刀を必要としたが、健康体である次郎左近に武器は必要ない。

 少し力を込めれば、それで終わりだ。


「説得って、難しいな」


 痛む胸を押さえつつ、次郎は大きくため息をつく。

 屍を投げ捨てると母か亡き兄に怒られる気がしたので、そっと部屋の中に寝かせておいた。


 背後から、再び「大神」の視線を感じる。


 ──次郎左近孝継よ


 影は背後にいる。それなのに、その「声」は次郎の内側から湧き上がったように思えた。


 ──それが「必要」ならば……その身を捧げることに異存はないか


 大上家のため、陽岬のため、死ぬ覚悟はあるか。

 影は、そう問うている。

 太郎右近がかつて選び、殉じた道だ。


「その時の状況によるな!」


 あっけらかんと答え、次郎はきびすを返す。

 影はそのまま沈黙し、再び問いかけることはなかった。


「……傷がなかなか治らないな……」


 ふと、大神にとっては「浅い」はずの胸の傷がなかなか塞がらないことに、次郎は違和感を覚える。


「刃に硝酸銀しょうさんぎんが含まれていたか。それなら治りが遅いのも仕方がない」


 銀の弾丸は人狼に効く、という逸話がある。日本の人狼とも呼べる大神の場合、それは半分正しく、半分間違っている。

 銀を硝酸に溶かした化合物は人体にとっても有害だが、回復力の高い大神にとってもかなりの猛毒だ。

 ……ゆえに、大神に攻撃を加える際の「銀の武器」は、「硝酸銀によるメッキ加工を施した武器」を意味する。


 もっとも、武器に使用されているだけならば、「傷の治りが遅くなる」程度で済む。もっともまずいのは、食品などを介して体内に取り入れてしまうことだ。……幼少期、太郎右近の肉体を内側から破壊したように。


「仕事も終わったし、帰るか」


 止血の処置だけ手早く行い、次郎は帰途に着く。

 彼はまだ気付かない。

 双子の間に、致命的な齟齬そごがあったことを。


 大上家を守ることを至上の歓びとした兄は、弟を完全には理解できていなかった。

 好奇心と自由を重んじた弟は、大上家に絡みつく呪縛を理解できていなかった。


 大神の思念は、次郎の人格に確かな影響を及ぼしつつある。

 ……かつて太郎を「そう」したように、ゆっくりと……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る