第35話 妄執

 なぜ?


 兄たちの死を目の当たりにした時、伝七が最初に思ったのは怨嗟えんさでも、悲嘆ひたんでもなかった。


 なぜ、自分たちが?


 至極しごく、単純な疑問。生まれながらにして呪われた宿命も、それにより無惨に死んだ兄たちのことも、目の前に広がる現実も、受け入れるには過酷すぎた。

 だから、年の近い妹は心を閉ざした。


 ……だが、自分は違う。


 歪んだ自尊心は、肥大化し続ける。自分は弱くない。あんな抜けたちとは違う、と。

 根付いた劣等感が、自傷し続ける。どの兄上より力はなく、どの姉上より覚悟もないのに、と。


 伝七は現実から目をそらせるほど愚かでもなく、現実を受け止められるほど強くもない。


「そうじゃ……だから、これでえい」


 空間に蓄積された怨嗟を辿り、怨念を生み出した根源に触れる。

 激しい情念が指先を、手を、腕を焼く。触れるな、視るな、眠らせろと荒ぶる魂を、呪いの力として取り込んでいく。

 身体の中から破壊されるような感覚が、伝七には心地いい。

 恨まれて当然の行動で、しっかりと恨みが返ってくる現実。……それを自分で選択できる瞬間にこそ、どれほど極上の女を抱こうが得られない悦楽がある。


 想定した通りの結果が自尊心を満たし、耐えがたいほどの苦痛が劣等感すら押し流す。

 満足と苦痛とが混ざり合い、自我すら弾け飛びそうな知覚のはるか先に向かう。……そうすれば、いずれ絶頂に手が届く。


「ひひ……っ。たまらんちや……! もっと恨め! 憎め! 俺は逃げも隠れもせんきにのう……!」


 忍ばせた「協力者」たちの手を借り、しっかりとフィルムに「記憶」を焼き付けていく。

 仕事の終わりは近い。……情報を握ってしまえば、後は簡単だ。矢嶋やじま源三郎げんざぶろうを脅し、さらには東郷とうごう晃一こういちを凶行に手を貸した裏切り者として処罰させれば良い。


「……ああ……つまらん……」


 矢嶋は悔しがるだろうが、あの男が「孫が殺された」事実に見合うほどの恨みを見せるとは思えない。

 亮太は必要とされながら、忌み嫌われた哀れな怪物なのだから。

 晃一もそうだ。あの男は、自分の命に毛程も価値を見ていない。


 愛する者のために死ねるなら、満足してすべてを差し出すのだろう。……たとえ、それを「彼女」が望んでいなかったとしてもだ。


「もう、充分でさ。殺るなら殺ってくだせえ」


 亮太を撃った晃一に指示を送り、他の場所を調査するヴィクトル達の様子も確認しておく。

 ヴィクトルの「隠匿」とミシェルの「狂乱」は意外にも相性が良く、二人がどれほど館内を探索し回ろうと、誰一人としてその存在に気付くものはない。

 もっとも、勘の鋭い者は存在する。例えば、犬上の術中でも負けじと信念を貫こうとした須藤すどう早苗さなえ……


「ああ、でも、須藤は死んだか」


 その信念は、彼女を触れてはいけない領域にまで踏み込ませた。

 早苗を喰らった直後の眞子は、平静を装ってはいたが、ひどく荒れていたと伝七は記憶している。


 ──伝七。あれはお前が勝手に行ったこと。……その因果に引き裂かれたとして、我らが庇い立てすることはできませぬ


 普段ならば歯に衣を着せるような言葉でさえ、その鋭利さをき出しにするほどに。

 ……それでも、汚れ仕事は、いつだって犬上いぬがみの仕事だ。仕方がない。

 抗えないのなら、せめて、楽しむしかない。


「こっちはどうにかなりそうでさ」


 晃一の方にいる「使い」を介して伝達する。

 視界の端に、死に瀕した亮太と、それに寄り添う肉塊のような「何か」が目に入る。……もしや、亮太に「遊ばれた」異形だろうか。


「こっちも終わったよ」


 飄々とした声音が、「使い」を通じて届く。アランはいつの間にか首だけの状態となり、晃一に片腕で抱きかかえられていた。

 伝七は大上邸で見たアランの状態を思い出し、「ついに死んだか」と納得する。


「それで……俺は、いつ死ねばいいの?」


 伝七の予想通り、晃一は覚悟を決めていた。


 ……気に食わんのう。


 伝七の腹の底で、黒い感情が渦巻く。

 自己犠牲、献身、殉死。……言葉にしてみれば美しい。だが、伝七はその「美しさ」が気に食わない。


 何よりも、「気持ちが悪い」。


「東郷」


 このままで終わるのは、伝七にとって物足りない。

 せっかく汚れ仕事を引き受けてきたのに、大上家当主は高潔なまま、自らの意志を貫いて美しく散った。

 眞子も、恨み言自体は口にせず息子の覚悟を受け止め、次郎に至っては……あれは、少々頭がおかしいとしか思えない。


 大上家は「神」の血を宿した一族だ。その精神性が「人間でないから」仕方がないとするならば。

 人間の晃一は、もっと欲深く、浅ましくたって構わないはずだ。

 少なくとも、その方が伝七にとってはよほど「気持ちが良い」。


「おまん、それでえいがか?」

「……何が?」


 感情のほつれを、伝七は見逃さなかった。


「おまんの好いた女は、いつか、おまんのいない世界で笑いよるにゃあ」

「……それでいいんだよ。むしろ、そうでなきゃ」


 未練を振り払うような間に、思わず、伝七の喉から笑いが零れた。


「あの娘っ子が笑うんは、おまんを忘れた時ちや」


 それが正しいか、正しくないかは、伝七にとってどうでもいい。


「深い、深い傷痕として残ったら、いつまでも笑えん。ほいでも、傷にならんかったら、おまんの遺したもんはすぐに消えてなくなる。……殉死っちゅうんは、『それでもえい』って思える、悟ったもんだけができるわざじゃき」


 ただ……どうしようもない俗物のくせをして、聖人の真似事をしたがる男に、思い出してほしかった。

 恨み、怨み、うらむ。そんな、人間のさがを。


「……何? 目的が見えねぇんだけど」


 明らかな苛立ちが声音に浮かぶ。

 伝七の胸に、確かな満足と、えも言われぬ快感が去来する。


「……トウゴウ」


 晃一が片手に持ったアランの首が、ようやく口を開く。死んだように見えていたが、辛うじてまだ生き延びていたらしい。いくら頑丈なヴァンパイアとはいえ、そうなってまで動くのには、よほどの情念があると見える。

 焼けただれ、引きれた唇が、たどたどしくこの土地の言葉を操る。


「たすかった」

「……は?」


 労いの言葉には聞こえなかった。

 それは、まるで……どちらかといえば、「告発」を行うような……


 瞬間、破裂音が廊下に反響した。


 伝七の網膜もうまくに、「使い」から送られた映像が灼けつく。

 激しい「恨み」がほとばしり、伝七の鼓動を速めていく。


 東郷の視線の先には、少女が立っていた。

 震える手で、硝煙の臭いがくすぶる拳銃を握りしめ、彼女はうわ言のように繰り返す。


「お母さま、私は……早月さつきは、ちゃんと、やれました。褒めてください、お母さま……」


 自分の脇腹を貫いた銃創を確認し、晃一は、その場に片膝をつく。


「……ああ……そう、早苗ちゃんの……。……いやぁ……それは……その子使うのは、さすがにキツいって……」


 その光景に、伝七は思わず膝を打った。

 母の仇を撃った少女。あまりの巡り合わせに、悲嘆と憤りを隠せない男。……そして、死に瀕してなお、憎悪と悪意を手放せないヴァンパイア……。


 それはあまりにも、伝七にとって理想の光景だった。

 憎しみの連鎖。恨みの交錯。不条理と絶望に揺れる、愚かで、浅ましく、醜い魂の情動……!


「……ッッッ! たまらん……ッ!!!!」


 胸の前でガッツポーズをし、伝七は熱い息を吐く。


「はぁあ……これはたまらん……!!! 最高ちや……ああ、もう……辛抱たまらん!! こうなったら、とことん魅せてもらうにゃあ!!」


 廊下を黒い影が埋め尽くしていく。「ひっ」と悲鳴を上げ、幼い少女……須藤早月さつきは拳銃を取り落とし、その場にへたり込んだ。

 黒い犬が、ひしめくように、血臭の漂う空間を取り囲む。


「東郷、おまん……ここで殺すのはちっくと勿体ないきに、堪忍しとおせ」


 高まった呪力が、晃一に迫る。

 愛する者のため、死を覚悟したはずの男は、幸か不幸か「死に時」を逃した。

 伝七の、歪んだ「快楽」に弄ばれる形で……。

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