第34話 諌言

 一日も経てば、次郎の手首は動かせるまでに回復した。ギブスを外しても問題なさそうだったため、次郎は放課後すぐに保健室に向かい、包帯だけ貰って自分で処置をした。

 切断した刀が特殊な素材だったため、痛みはそれなりに強く、普段より治りは遅い。それでも、この様子ならば一週間と経たず完治するだろう。


 机仕事を終えて帰宅すると、伝七が玄関にて待ち構えていた。仕事に身が入らなかったせいか、日は既に暮れかけている。


「次郎殿、お話が」


 キョトンと目を丸くしつつ、次郎はがちゃりと玄関の鍵を開ける。

 伝七はいつものように平然としているが、目の奥の鋭い光を次郎は見逃さなかった。


「大上邸に行った方がいいか?」


「それなりに重要な話だ」と、次郎は直感で理解する。

 伝七は首を縦に振り、少し低めの声色で答える。


「お願いしやす。俺は、向こうでお待ちしてるんで」


 それだけ告げて、伝七は踵を返す。


「……ところで……」


 けれど去り際に、振り返ることなく口を開いた。


「用心してくだせぇ。部屋ん中に誰かいやす」

「……ん? ああ……知り合いを泊めてるんだ」

「そうですかい」


 しばし、沈黙が流れる。


「次郎殿は、純粋すぎでさ」


 伝七の声は震えていた。


「でも……そのまんまのが、きっと……きっと、幸せですぜ」

「……? そうか」


 次郎が言葉の真意を図りかねているうちに、伝七は姿を消していた。


「……とりあえず、支度したくするか」


 ドアを開いて部屋の中に入ると、リビングではシャルロットが気まずそうに俯いていた。

 その視線の先には、ソファに横になり、苦しそうに呻いているクロードがいる。


「……安静にしていなかったのか」


 次郎が声をかけると、シャルロットはさらに申し訳なさそうに縮こまる。


「誰かさんの……アホ友人の、せいでな……」


 片腕を押さえながら、クロードは苦しそうに言葉を絞り出した。


「そういえば久住くずみもいるな。どうした?」


 次郎の言葉に、シャルロットは更に項垂れる。

 見かねて、クロードが口を挟んだ。


「……預かれってよ」

「すみません……」

「謝んな。お前さんは……悪か、ねぇ……っ。……ぐ……」


 痛みに悶えつつ、クロードはどうにかソファから身体を起こした。


「悪いが、俺はこれから大上邸に向かう必要がある。食事は出前か何かを……取れそうか?」

「……っ、知り合いの定食屋に電話すりゃ、どうにか……」

「お前、ヴァンパイアだろう? 素直に届けてくれるか?」

「……長年の、なじみなんでね」


 荒く息を吐きつつ、クロードは無理やりにでも笑みを作る。


「だが、お前は殺人鬼の正体とされているぞ?」

「…………」


 どれほどの信頼関係があろうと、どれほど気心が知れた仲であろうと、クロードはヴァンパイアであり、人間にとって脅威となり得る存在だ。そんなことはクロードとて理解している。


「……シャルにゃ、『恐怖』のブーケがある、か……。ジロウ、悪ぃが……出前を頼んでから、出かけてもらっても構わねぇかい?」


 そして、甘い期待に縋れるほど、クロードは愚かになれなかった。


「ああ、それくらいならいいぞ!」

「あんがとよ。……シャル、食いたいもんがあったらいくらでも言え」


 黙り込んだままのシャルロットに、クロードは見せかけだけでも気前よく語りかける。


「……お腹、空いてないです」

「なら傷みにくいものにするか! 電話してくる」


 電話機へ向かう次郎の背中に向け、クロードはぽつりと呟いた。


「いつまでも、夢を見たままじゃいられねぇよな」


 大神である次郎には、その声が聞こえていただろう。

 けれど、彼がその言葉の意味を理解していたかどうか。


 金の瞳は、まだ、無邪気なまでに煌めいている。

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