第33話 凶兆

 さて、どうしてこうなったんだったか。

 石段の下に落ちた手首を見て、次郎は思案する。


「お、おおがみ、せんせい……て、てが……!!」


 目の前で、教え子の少女が真っ青な顔で震え上がっている。

 少女のスカートは一部が切り裂かれ、赤黒い血がふくらはぎを伝っていた。


 左手に持った刀を見る。

 自らの右手首を切り落とした刃が、街灯の光を照り返していた。




 ***




 時は、昼休み頃にまで遡る。

 次郎は晃一にランチの誘いを断られ、一人で食堂に向かっていた。

 食堂の入口には、以前のように学ランを着た伝七が待ち構えており、開口一番……


「次郎殿、帰ったら大神さまに挨拶をしてもらいやすぜ」


 と、告げた。


「……ああ、そういえば、そんな慣例があるんだったか」

「お召物めしものも着替えてもらいますんで、お仕事が終わったらすぐ大上邸に帰ってきてくだせえ」


 それだけ言い伝えて、伝七はそそくさと姿を消した。

 特に予定もなかったため、放課後は言われた通り大上邸に直帰し、着替えて「大神社おおかみやしろ」へと向かい……


 その「影」をた。


 激しい想念が、次郎の自我を食い潰さんとばかりに咆哮ほうこうし、暴れ回る。


 陽岬の神は生贄いけにえを求めたこともなく、ただ、力を与えた一族に民と土地を守り続ける役割のみを望んでいた。

 けれど人々は、神を崇めるだけ崇めて、あっさりと別の信仰へ飛びついた。……そして、神の力をあろうことか「物の怪」と同等のものとすら扱った。


「……同じだろう……?」


 その呟きに、返答はない。

 怪物も、人間も、動物も、見方が違うだけで同じ生命だ。……少なくとも、次郎はそう思っている。

 動物が他の動植物を食して生きるように、ヴァンパイアは人間の血を吸い、神は信仰を糧にする。それだけの話だ、と。


 次郎は、血脈と共にに引き継がれた矜恃きょうじも、熱情も理解していなかった。

 だから……油断した。


 その涙声が聞こえたのは、この世ならざる力が導いたからだろうか。




 ***




「……大神神社……」


 石段の下、泣きながら呟く少女に次郎は見覚えがあった。


「本来は、大神社って言うんだけどな」


 何の気なしに降りていき、言葉を交わす。


 ──花野家の娘か


 次郎の意識の奥底で、うごめく「何か」が反応する。


「どうしたんだ? こんな時間に」

「……姉が……亡くなったんです」


 次郎は学生時代、目の前の少女……花野美和の姉、紗和の家庭教師を務めたことがある。

 紗和は生まれつき肌に鱗を持っており、免疫力も弱かった。姉妹の両親は「大神さま」の噂を聞き付け、「呪い」を解くため陽岬に越してきたのだ。


「……? それは、夜に出歩くことと関係があるのか?」


 決して平穏とは言えない生だったが、紗和はいつだって楽しそうに笑っていた。

 作家になるのが夢だと語っており、その夢は数年前に叶えられている。先日命を落とした太郎と同じく、本懐を遂げて死んでいったのだろう。


 だから、次郎には理解できなかった。

 その「死」が、心を痛める要因になるのだ……と。


「……困ったな。俺には本当に、分からないんだ」


 涙を流す美和に狼狽うろたえながらも、次郎はゆっくりと階段を降りていく。


 ──花野家は……


 意識の奥深くで、また、何かが囁く。


 どのような会話をしたのか、もはや覚えていない。


 気が付いた時には既に遅かった。次郎の右腕が勝手に刀を操り、美和の脚を斬りつけていた。


「い……ッ!?」


 階段を2~3段転げ落ち、美和は地面に尻もちをついた。


「…………ああ、のか」


 次郎は即座に「大神」の意志に操られたことを察し、呟いた。

 紗和の病は結局治らず、花野家は土着の信仰をいぶかしんだ。……それだけならば、まだ良かった。


「花野。大神さまはどうやら、お前が気に食わないらしい」


 信ずるに足りない古い神だと吹聴され、信仰に意味などないと触れ回られることを、眞子も太郎も意に介していなかった。

 彼らは「その程度、言わせておけばいい」とでも言わんばかりに、徹底的に無視を貫いていた。

 ……が、「大神さま」は決して彼らを赦してなどいない。


「……どうして、」


 美和はへたりこんだまま、睨むように次郎を見据える。


 ──神通力は……我らの力は嘘ばかりだと……そう、言っていたな……


「姉の呪いは、解けなかったじゃないですか」……美和がかつて放った言葉。

 なんの思慮もなく、八つ当たりで発せられた怨嗟。


 ──赦さぬ、赦さぬぞ……!!!


 激しい怒号が脳内に響きわたる。次郎の意思に関係なく、右腕が持ち上がる。

 次郎は、美和の涙にも、孤独にも寄り添うことはできない。

 それでも、彼は「人間」を傷つけたくなかった。


「……どうして、何も教えてくれないの……!!」


 泣き叫ぶような、それでいて責めるような声が耳をつんざく。


「知ったところで、お前にはどうもできないぞ?」


 美和には人間離れした身体能力や、特殊な能力などはない。ごくごく一般的な人間だ。下手に巻き込めば、あっさりと死んでしまう。

「力を持つ我々には、陽岬の民を守る義務がある」……幾度となく言い聞かせられてきた言葉が、次郎の脳裏に蘇る。


 左手で制御の効かない右手から刀を奪い、そのまま右手首を切断した。

 アスファルトに自分の手首が転がり、身体が自由な動きを取り戻した瞬間……次郎は、大きく安堵した。


「危なかったな! だが、どうにかなったぞ!」


 ダラダラとほとばしる鮮血や、襲ってくる激痛よりも……意識を侵蝕せんとする「神」の方が、次郎には恐ろしかった。




 ***




「そんなに焦らなくていいぞ。どうせすぐにくっつくか生えてくる」


 ハンカチで止血を試みる美和に、次郎は平然と告げた。


「焦るに決まってるじゃないですか!」

「そ、そうか……? 『決まってる』のか……?」

「……だから……教えてもらいたかったのよ……」


 美和は泣き腫らした目から涙を拭い、脚に巻き付けられた羽織をぎゅっと掴む。


「ちゃんと知っていたら、変に近寄らず逃げたわ」

「……ふむ。なるほど。知識があれば適切な対応ができた、と……一理あるな」


 次郎はうんうんと頷き、自分の手首をひょいとつまみ上げる。まだ血を流す傷口に押し付けてまじまじと観察する姿を、美和は青ざめながらもじっと見つめる。


「……そのハンカチ、貸してくれないか?」

「固定するってこと……?」

「その通りだ。そのうち繋がるだろう」


 手首に星柄のハンカチを巻き付け、次郎は「これで良し!」と笑った。

 一方、美和は圧倒的な「違い」を目の当たりにし、俯く。


「……しかし、勉強になった。考えを改めよう」

「えっ……?」

「能力の有無で知識の要不要を考えていたのは浅はかだった。……むしろ、力のない者にこそ知識は必要なのかもしれないな!」


 うんうんと一人で頷きながら、次郎は晴れやかな表情で語る。

 少しだけ距離が縮まったように感じて、美和の頬がぽっと朱色に染まる。


「……今は、怪我の心配をしてよ」


 顔を隠すように逸らしながらも、美和は次郎の手首に巻かれたハンカチに視線を向けた。


「……ああ、それもそうだな。すまん。花野、脚は大丈夫か?」

「わ、私の傷はそこまで深くないはずよ。……手首の方が、大事おおごとじゃない」

「そんなことはない。人間と大神の治癒力を比較すれば、似たようなものだろう」

「本当に……?」


 戯れるような会話の中、


 ──赦さぬ


 脳裏に響いた声を、次郎は聞かなかったことにした。

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