第30話 岐路

 悲しみが消えたわけでも、苦しくなかったわけでもないが、その道が最善だと次郎の思考は導き出した。

 そう理解してしまえば、すとんと腑に落ちた。下手に足掻いて状況を悪化させるより、従うべき部分には従っておいた方がいい。


 首のない屍の傍ら、鉢合わせた晃一といくつか言葉を交わした。


「じろちゃんも、神様になるつもり?」

「やりたいことも捨てない。兄さんに頼まれたとおり、血も絶やさない。……そんなもの、神でなくともできるだろう」

「……ホント、じろちゃんはじろちゃんだねぇ……」


 そのやり取りはおそらく、晃一にとっては重大な意味を持つものだったのだと次郎にも推測できる。……ただ、晃一の意図も、想いも、次郎にはわからない。そのことが、少しだけ寂しくはあった。

 そのまま母である眞子に促され、本邸の方へと向かう。眞子は客人の相手があるらしく、途中で来た道を引き返していった。


「ご遺体については我々にお任せを。次郎左近殿は本邸に戻られ、継承の儀をり行ってください」


 そう語る使用人に後を任せ、出迎えた仁左衛門にざえもんとともに広間へと向かう。

 本邸のざわめきは落ち着きつつあった。太郎右近の死という最も大きな山場を経て、無事、当主の代替わりが為される時が来たのだ。


「……太郎殿は、どのように最期を迎えられましたか」


 仁左衛門が静かに問う。九曜くよう、もしくは伝七でんしちがふすまの外で見張りをしているだろうが、広間の中には仁左衛門と次郎しか見当たらない。


「堂々としてた。やっぱり兄さんはすごいな。とっくに覚悟はしてたんだろう」


 次郎も素直に答える。

 仁左衛門は「左様ですか」と呟き、わずかに目を伏せた。


「兄君の遺言ですが……代替わりについて、およびご自身の死について。しばらくは隠されるようにとのことでした。せっていることにしてほしい……と」

「……なるほど。まあ、そうだな。今の時期は色々大変だしな」

「左様。混迷したこの時期に限界を迎えたことを、悔いておられたようで……」


 それきり、仁左衛門は言葉を詰まらせた。きちんと正座された膝の上で、握りこぶしが震える。


「……仁左衛門だって、俺たちの兄さんだろう。別に泣きたいなら泣いたっていい」

「いいえ。次郎左近殿が我慢されているのに、そのようなことはできません」

「そ、……そう、か」


 次郎は、涙を我慢したわけではない。

「太郎兄さんは報われて死んだから、そこまで悲しくはないぞ」……と、その言葉は飲みこんだ。

 なんとなく、それを言うと亡き片割れに叱られるような気がしてしまったのだ。


「ところで……誰も来ないな」

「急な客人が来て、追い返せなかったとのことですが……。先に、継承の儀のほうを済ませましょうか」

「そうするか」


 継承の儀とはいっても、今回の場合は大した儀式にはならない。太郎右近は死を秘匿することを選んだのだから、大掛かりな祭典が設けられることは決してない。

 自らが当主となることを神に契り、この土地を守ると誓う。その想いさえあれば、本来、形式はどうであれ構わない。


「……それでは、次郎左近殿。今後ともよろしくお願いつかまつる」


 仁左衛門が神酒を掲げ、次郎左近は母から聞かされたとおりに杯を手に取る。

 使用人たちはとむらいの準備をしているらしく、右に左にバタバタと騒がしいが、遺された兄弟の時間は穏やかに過ぎていった。




 ***




「奥方様、部屋でお休みになってくださいませ」

「人を婆さんみたいに言わないどくれ。確かに大神は四十にも届かず死ぬやつらばっかりだけどね、早死にしたのはどいつもこいつも殺された奴らばっかりだ。あたしゃ百年後もピンピンしてるよ」


 側付きの侍女の言葉も聞かず、眞子はまだ、血臭の漂う茂みにいた。

 侍女が心を許せる相手でもあるのか、眞子の口調は自然と荒っぽいものへと変化している。……が、目の前に伝七の姿を捉えた途端、眞子はコホンと咳払いをした。


「……さて、客人とのことですが……」

「ちょっと血だけもらえたらいいだけだったんですが……しぐじっちまいやしたかねぇ」


 抱えられた生首には見えていないだろうが、背後の泉は太郎の血潮で真っ赤に染まっている。

 伝七は言葉を選びつつ、苦虫を噛み潰したような表情で視線を泳がせている。


「なんだ、この臭い……ずいぶんと美味そうだなぁ?」


 すんすんと嗅ぎ、アランは生首のまま舌なめずりをする。言葉のわからない侍女はうろたえ、伝七に視線を投げる……が、その伝七もどう答えようか悩み、口をつぐむ。そこに、眞子が助け舟を出した。


「なるほど、太郎も次郎も所用があり、私は怪我で治療中の身……気を使ってくださったのですね」

「……ま、まあ、そうなんでさ。こいつが飲みすぎたら、さすがの眞子殿でも……」

「あぁ? そりゃこのあたしを馬鹿にしてんのかい。そんぐらいいくらでも飲ませてやるよ。どうせ怪我でも出てるし毎月いくらか出てくんだ。死にかけた吸血鬼に寄越すくらい屁でもないね」

「お、奥方様……」


 眞子の剣幕に、伝七も侍女も押し黙る。……これならば、アランも気圧けおされてうやむやにできる……と、伝七は内心胸をなでおろした。


「……大上家の奥方はいつだって冷静だっつってたのはセザールだったか」


 だが、アランは探るように言った。


「怪我して気が立ってんのか? どうにも、様子が変に見えるぜ。……いや、オレの目は見えねぇけどな。こりゃ失敬」


 挑発的な口調と、滲み出す「親愛」。太郎右近も、眞子も、外への警戒は怠らない。

 ……だが、どのように堅牢けんろうな守りも「内」からの瓦解がかいには弱い。それをアランはよく理解していた。


「ご心配いただきありがとうございます。……が、そうですね……」


 眞子はつかつかとアランに歩み寄り、穏やかに微笑んだ。

 次の瞬間、アランの首は先ほどのようにごろりと地面を転がる。手を叩かれた伝七は、もう片方の手で掴んでいた胴体も地面に落とした。


「あたしは無礼者に優しくするほどお人好しじゃないし、ウチと手を切られて困るのはアンタらのほうだ。……肝に銘じておくんだね」


 アランが言葉を続けるより前に、眞子は地面から頭を拾い上げ、白い手をその口に突っ込む。


「さあ、お待ちかねのエサだよ。お情けが欲しくて来たんだろう?」


 アランはギロリと声のほうを睨んだが、仕方なしに手を噛み、その血を吸い始めた。

 伝七は慌ててアランの胴体のほうを抱え上げ、眞子に掴まれた首と繋げる。


「伝七」


 眞子の呼びかけが冷たく、伝七の背筋をなぞった。

 声の主はおろか、侍女のほうに視線をやることもできない。得体の知れない予感が、胸の内からじわじわと全身を蝕んでいく。


「後で、話があります」


 血を与えられ、どうにか永らえた吸血鬼を見下ろし……眞子の瞳は、月光のように輝いていた。

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