第27話 休息

 幾日が経ち、週が変わり、また、変わり映えのない日々が戻ってくる。

 その穏やかさに身を委ねようにも、次郎には分かっていた。


 決断の日が近い、と。


 無論、死にたくはない。……死にたいわけがない。

 次郎には、まだ知りたいことがある。まだ調べたいことがある。

 だが、次郎が生きることは、すなわち兄が死ぬことと同義なのだ。


 次郎はいつものように仕事から帰ると、簡単にチャーハンを作り、かき込む。晃一にも、兄にも食事の腕はよく褒められるが、味わうにはあまりにもやっておきたいことが多すぎる。……と、寝室の方から派手な音がする。どうやら、晃一が連れてきた「被検体」が目覚めたらしい。




 ***




「うぐッ、あ……ぁあ……ッ」


 ベッドに銀髪と包帯とが散らばる。片方しかない腕で胸を掻きむしり、男は、紅く染った瞳を次郎に向けた。

 ぎらりと、唾液に塗れた牙が光る。


「また吸血衝動か!?」


 臆せず駆け寄り、次郎は胸元のポケットから注射器を取りだした。

 容器の中は、既に血液で満たされている。


「……ッ、は、ぁ……ぐぅ……ッ、ンン……ッ!?」


 手早く首筋に突き立て、注射する。

 爛々と輝いていた赤い眼光は、やがて、静かに灰色へと戻っていった。


「微量でもよく効くな。これが『神の血』ってことか」


 次郎はどこか楽しそうに呟く。


「本当は全身くまなく調べたいんだが、まあ、体力は戻っていないし仕方ないな!」


 手際よく自分の腕をまくり静脈を探し当て、ぷすりと注射し、再び注射器に血液を満たしていく。本来ならばここからシャーレや試験管に移して観察するのだろう。やけに手馴れている。


「よし、口を開けろ。舌に注射する」

「……もうそのまま喉にでもぶっかけろよ……」


 力なく呻き、クロードはちらと失われた右腕を見た。

 全身がだるいが、意識は緩やかに覚醒していく。……まだ死んではいないらしい。

 聞き慣れない言語で紡がれる「ヒトの鳴き声」は、次郎の脳内で自然に言語化される。無論、正確にはヒトではないが、少なくとも言語の発達においては一般的な人間とヴァンパイアに大した違いはない。


「先程の悶え方を見るに、吸血衝動は一般的なヴァンパイアより強そうだな」

「……らしいな……」


 以前は、ここまで激しく血を求めたことなどなかったはずだ。

 ヴァンパイアにとって血液は必須の栄養源ではあるが、かつてロベールに言った通り、彼らはヒトの血液をむやみやたらと欲するような生命体ではない。


「死にかけたせい、か……?」

「少なくとも、ここに担ぎ込まれた時は、生体反応は消えていたしな」


 サラリと答える次郎。……医者でもあった母の言葉が、クロードの脳裏に蘇る。


 ──アルベールさまはもうお年を召されてる。……まだ一度も致命傷を負ったことはないけど……一度だけで、限界だろうねえ……。


 くく、と、喉の奥から自嘲めいた笑みが漏れる。

 ここまで苦悶が激しいのなら、アランが狂ったわけも理解できるというものだ。


「……まあ……大神オオカミの血はヒトに比べればずいぶんと栄養価も高いだろうし、薬効もあるだろう。ここで療養する限り、そこまで気にすることはないぞ」


 注射器を消毒しながら、次郎は語る。


「それに、この土地なら余計にだ。水も、空気も、土壌も俺達の肉体に合っているからな。良い血が作られ、良い肉体を巡っているはずだ」


 黙り込んだクロードに代わり、次郎はただ、語り続ける。

 ……血反吐を吐きながらも、当主の責務を負う太郎右近の姿を、ちらと思い出した。


「……よっぽどのことでは死なないくらいには、な」


 死にきれない兄の姿が、脳裏にくっきりと浮かび上がり、離れない。


「……なるほどな。ここに連れてきた野郎は、よっぽど互いのことを知ってるらしい」


 ゴロンと大の字に横たわり、クロードは呆れたように毒づいた。

 担いできた友人の姿を思い、次郎も「ああ」とわずかに笑みながら同意する。


「何はともあれ、しばらく休め」

「……へいへい……。……せっかく、拾われた命だから……な……」


 隻腕となったヴァンパイアは大人しく瞳を閉じ、電源が切れたかのように眠りにつく。

 それを確認し、次郎はぽつりと独りごちた。


「……今のうちに口腔の粘膜でも採取しておくか」


 そのまま白衣のポケットから綿棒を取り出し、青ざめた唇をこじ開ける。


「……ッ!?」

「あっ、しまった起きた!!」


 ……が、瞬時に跳ね起きたクロードと掴み合いになった。


「ちょっとだけだ!!ㅤちょっと調べるだけだから!!ㅤな!?」

「なーにがちょっとだけ……だ!ㅤ離せ変た……っ、い……ッ、つぅ~~……」


 肩から先を失った腕の痛みで、クロードの抵抗する力は奪われた。

 次郎は嬉嬉として綿棒を口に突っ込み、書斎へとスキップ気味に戻っていく。


「後で医者も呼ぶからな!ㅤ仁左衛門は呼ぶなら口も堅いぞ!」


 その声に力なく「おう……」と返し、眠り損ねた吸血鬼は、静かにため息をついた。

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