第26話 動揺

 土砂降りの音で、太郎右近は目を覚ました。……痛む頭を抑え、ふらふらと床から起き上がる。


 ヴァンパイアと手を結ぶ、などと言えば、一族郎党から反発があるのは理解していた。……例え滅んだとしても、誇りを尊ぶ感情は太郎右近にもある。

 だが、彼が幾百年と受け継いだ血脈を「存続させる」責務を負っているのも、また事実だった。


「……仁左衛門、如何いかがした」


 神妙な顔立ちで、仁左衛門は枕元に座していた。引き結んだ唇と寄せた眉根は、頬傷のある顔に一層箔をつけている。


「伝七の動きが……どうも……」

「……ふむ。彼奴きゃつは無茶な術の使い方をするゆえな……」


 瞼を閉じ、神眼と神力、2つの権能を重ね合わせた。伝七が飼う、おびただしいまでの「使い魔」を手繰る。その最中に「親愛」と「聡明」……2つの影が揺れる。


「手駒が増えたは良いが、あれを味方につけて吸血鬼が良い顔をせぬは道理……。されど、我らよりも猶予がないのも彼方あちらよ」


 命を食い潰す術の発動を確認し、太郎は一時、祈るように口を噤んだ。


「是非もない。……我らとて、尾を切り捨てねばならぬ時がいずれ来よう」


 脳裏に、朗らかな弟の笑顔が浮かぶ。


「……仁左衛門。明日の件だが、取りやめにすると次郎に伝えよ」

「はっ、承知いたしました。……この時勢では、致し方ありません」


 兄弟で睦まじく語らった日々を思い出す。

「入れ替わり」という戯れを、幼い日から、仁左衛門だけはいつも見事に見破った。

 ……戯れは、戯れだ。成長した今では不要なこと。

 そう、太郎右近は己に言い聞かせた。



 ***



 土砂降りの空を見上げ、次郎は静かにカーテンを閉めた。

 幼い頃、こういう天気の日に川を観察しに行き、母と兄にしこたま怒られた日を思い出す。……あの日、「流されでもしたらどうする」……と、太郎はひたすらに次郎の身を案じていた。


 ジリリリリと、黒電話が着信を伝える。……何となく、内容はわかった。


「……ん、そうか。忙しいんだな」

「……。俺は、嫌だぞ」

「……何が言いたいんだ?」

「…………。悪い。もう、切るぞ」


 会話を終え、がちゃりと受話器を戻す。

 仁左衛門の台詞を、ぼんやりと脳内で反芻し、ゆっくりと飲み下していく。


『明日の件ですが、取りやめになさるとのことです』

『……以前もお伝えしましたが、太郎殿を貴方様が喰らえば、二人分にも優る力が手に入ります』

『承知しております。……ですが、太郎殿にとっても条件は同じ。太郎殿が貴方様を喰らうことで、太郎殿は長らえることが可能なのです』


『覚悟をお決め下さい。……もう、時は動き始めております』


 己の死か、または、片割れとも呼べる兄の死か……。いずれ選ぶ時が訪れると、仁左衛門は告げた。

 ……静まった部屋に、ノックの音が鳴り響く。「じろちゃーん」と、聞き覚えのある声がする。


「晃一、どうした?」


 雨は、まだ降り止まない。

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