第二話 マルタ魔導学園入学式
マルタ歴八〇〇年九月一日。マルタ魔導学園入学式。
俺はマルタ魔導学園の校門を抜けて、講堂に向かっている。学園内に植えられた木に緑の葉が生い茂り、その隙間から容赦なく俺を照らし出す太陽に手を翳した。吹き抜ける風も熱を抱き込んでおり、まさしく残暑。それでも、風が流れる汗を撫でる様に流れていくとちょっとした涼を与えてくれる。
俺以外の奴はどんな感じなのだろうか。不審者と思われない精一杯で辺りを窺う。魔導学園と言うだけあって多くの生徒がローブや三角帽子を被っている。
マルタ魔導学園は校門の向こうが直ぐに校舎になっていた。左手側に一般客用の入り口が、校舎と校門の間を右に折れて進むと自転車置き場がある。全寮制の学園ではあったが、俺も含めた一部の生徒は校舎からそれなりに離れた場所に寮があるのだ。
自転車置き場の前をずいずいと進んでいくと校舎がトンネルの様にぽっかりと口を開けた部分が現れた。短いトンネルの先にも別の校舎があって、トンネル内部の側面に扉、その先は下駄箱になっている。
ふーん。校舎の配置が変わっているな。俺の故郷の学び舎は平屋建てだったからなー。通ってもない学舎の事を考えても仕方ないけど。
俺はトンネルを通らずに直進する道を選んだ。何故なら前に来た時、講堂がある事を見ていたからだ。
ちらほらといた新入生が、講堂前に出るとぶわっと増えた。数は少ないけれど北方系出身の新入生も居る様だ。そして、全員が胸に花を付けている。
「これ、付けてくださいね」
胸に付ける花を箱に入れて配っている女性から花を受け取ると長袍の胸に付けた。これで俺も新入生か。何だか感慨深いな。
「あ、リンフォン君だよね? よろしくね」
不意に背後から声を掛けられた。振り返ると、頭に二つの団子を髪飾りで包んでいる女生徒が居た。顔を確認するために視線を下げると童顔の女生徒は表情を綻ばせると僅かにブラウンの瞳を潤ませている様に見えた。この女生徒も同じ新入生らしく、胸元にはやっぱり造花を付けていた。
「ん? あぁ、よろしくな。えっと」
同郷だろう女生徒の名前を聞こうとしたが、既に女生徒は人混みを縫ってずっと先に行ってしまった。
しかし、俺の名前を何故知っている? 華の国で俺は有名人では無いはず。それに同年代の女性など数えるほどの交流は無い。けれど、向こうが一方的に俺を知っているという事は無いだろう。
考え事をしながら上を向くと体が僅かに揺れた。しかし、気にする事でもないと歩を進めると、
「おい。お前、バラクネ様にぶつかっておいて無視か?」
視線を下げると鮮やかな金髪が目に入る。眩し過ぎる。新入生なのか、妙に仰々しい装飾過多な服に場違いと思える造花を付けた男子生徒が、両隣に取り巻きを侍らせている。その男子生徒は立ち方こそスッとしていてしっかりとした振る舞いを身に付けているように見えた。が、よく見れば派手な金色のピアスもしている。
「ん? あぁ、済まなかったな」
適当に頭を下げてやり過ごそうとしたのが悪かった。バラクネ様と呼ばれた男の取り巻き三人が妙に絡んでくる。当の本人は興味無さそうにしながらも、しっかりと俺から視線を外そうとはしない。
「そんなんで謝った事になるわけねぇだろ。バラクネ様は王子なのだぞ!」
取り巻きが叫ぶとバラクネは吠える取り巻きを制止し、
「お前がリンフォンだな、唯一実技がA⁺だった」
ギラリとバラクネの金色の瞳が光った。まるで、獲物を見つけた様な飢えた獣の様に。
「試験官を倒した事か? たまたまだ」
めんどくせ。適当に誤魔化せばいいだろ。
この一言が余計だった。バラクネは肩を小刻みに震わせると取り巻きたちが一斉に下がったのが目に入る。同時に正面からの圧を強く感じた。
「はぁ? たまたまで、俺よりも評価が上だと。ふざけんのも大概にしろッ!」
怒声が周囲に広がり、空気を大きく震わせた。同時に黄色い閃光がバラクネを中心として弾けた。青白い稲光が走り、バラクネの髪の毛も逆立つ。他の生徒達も俺達を遠巻きに囲んでいて、すごい注目度である。
「や、やべぇよ。やべぇよ」
取り巻きの一人が慌て始めた。そして、黄色い光が一直線に伸び、俺の指先を掠めた。
「痛ッ!」
思わず手が真上に跳ね上がった。そして、視線をバラクネに戻すとバラクネの周囲に砂が円を作り、その縁から様々な方向に砂が伸びている。
「この程度かよ。その内、力の差を教えてやるからよ。行くぞ、お前ら」
バラクネは俺に強烈な印象を残して消えた。それと入れ替わる様に誰かが俺に声を掛ける。懐かしく、胃が痛くなるようなこの声の主は……。
「えらく面倒な奴に目を付けられた様だな、リンフォン」
振り向くとバラクネの様に目立つ髪色のホンファ姉が手を挙げている。一年ぶりに見るホンファ姉の姿はあの時からあまり変わっていないようだった。それでも、雰囲気が少し丸くなったかな。
「ホンファ姉、お久しぶりです。一年ぶりですね」
真紅の長い髪を風に任せ、ただ立っているだけなのに一分の隙も無い。これが、俺の姉弟子で二年生のホンファ姉だ。
「どうした? 見飽きるほど見ていただろうに。また、散打でもするか?」
散打という言葉に背筋が震え上がる。稽古と言いながら、一方的にサンドバックにされた経験しかない。それなのにいつも俺を指名してはボコボコにされたのだ。
「や、やめ、止めて……」
声が上ずるほどに震えてしまっていた。完全なトラウマになっているのだ。
「呵々、最後の方は良く捌いていたでは無いか。まぁ、私に本気を出させてくれるようになったかな? それとホンファ姉は止めてくれ、ここではホンファ先輩か先輩と呼んでくれよ、後輩君」
どことなく先輩と後輩というホンファ姉の声は嬉しそうに聞こえた。
ピコッン。
額にデコピンを貰った。抗議の視線をホンファ姉に向けると悪びれず、
「先輩と呼ぶように。また、ホンファ姉と言っただろう?」
「何にも言ってないでしょう。ホンファね」
ピコンッ。
「痛ッ。まじ、止めてください。先輩」
先輩という響きの余韻に浸るホンファ先輩がそこに居た。あの時を思えば、全然想像できない一人の少女ホンファ姉。目を閉じ、胸に手を当てて感じ入っている。それから、少しの間を空けて、キラキラとした紅く大きな瞳を向けて、
「ね、リンフォン」
両の人差し指を突き合わせては、離して、
「もう一度、もう一度言って、ねぇ」
あれ? ホンファ先輩はこんな感じだったっけ? お、可笑しい。なにがあったんだ。
「ねぇ、良いでしょ。言ってよ」
上目遣い。ずるい。そんな目をされては……、
「ホンファ、せ、先輩」
また、胸に手を当ててしみじみと感じている様だ。思わず、手を乗せられた胸に視線が行く。先輩はカンフー服を着ているが、他の生徒に比べても胸が大きい。けど、激しい運動をしても揺れた記憶は無いが、それが今は目の前で大きく上下している。
「ありがとうね。今年から二年だから自分にその言葉、向けて欲しかったの」
ホンファ先輩は振り返らずに校舎の方に駆け出していた。心には何とも言えない気持ちだけが置き去りにされた。
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