第52話 決着
男は、目の前の現実を受け入れずにいた。
強引に溶接されたような右手の剣と、血のように赤く光る眼は、まさに悪魔と呼ぶに相応しい姿だった。
「その手を離せ」
その言葉一つで、男は全身が恐怖で硬直する。男は、仕事柄から、死は常に身近にある。だから、死の感覚には慣れているはずなのだがーー。
「この威圧感は、今まで感じたことがない……」
まるで、蛇に睨まれた蛙のように、一歩も動けない。もし、一歩でも動いたら、その時点で自分の命はないと、本能的に感じた。
「早く、離せ」
「それは出来ねぇな。こいつには、俺が殺されないための保険になってもらう」
ミルを離せば、拓は男を攻撃できない理由がなくなる。なら、ミルを開放せず、逃げるための人質にしようと考えた。だがーー
「なら、仕方ないな」
拓がそう呟くと、強い風が吹いた。
「なんだ……?風?」
それは優しく男を包み込み、
「切り刻め【カマイタチ】」
「ぐあっ!?」
その瞬間、男の体に無数の傷が付き、鮮血が噴出した。突然の全身の痛みに、男は地面に倒れこむ。
「何しやがった……!?」
「風を起こした。それだけ」
拓は、腕一本も動かしていないし、男に近付こうともしていなかった。見えない程早い攻撃をしたとか、瞬間移動とか、そんなレベルではない。本当に何もしていない。なのに、男の体には無数に傷が付き、地面に倒れこんでいる。
そして、その攻撃は、ミルに当たっていなかった。あれだけ密着していた状態で、男だけを攻撃したのだ。
「んだよ、それ……」
見えない攻撃をコントロールできるとは、男にとって理不尽としか言いようがなかった。
死の気配が迫ってくる。そして、直感した。自分はここで死ぬのだと。
拓が男へ近づく。ゆっくりと。男には、その足音が死刑宣告に聞こえた。死が、近づいてくる。
拓が、男の目の目で立ち止まり、右手の剣を大きく振り上げる。そして、その剣が、男の心臓をーー
「……何故だ」
その剣は、男を避け、地面に突き刺さった。
拓は、男を殺さなかった。スラム街の一部を破壊し、拓の腹部にナイフを突き立て、ミルを人質にした男を、拓は殺さなかった.
「もうミルは助けた。だから、お前を殺す必要がない。それだけだよ」
「嘘を言うな。俺を殺す気だったなら、この傷を付けた時点で、俺を八つ裂きに出来たはずだ」
拓が、もし本気で殺しにかかっていたのなら、既に八つ裂きにされ、今もこうして話すことすら叶わなかっただろう。
「……ミルも巻き込んでしまうからとか、お前から情報を聞き出すためとか、後付けならいくらでも理由はある」
「だけど」と、拓は言葉を続ける。
「僕は、人を殺したくない。それをしたら、僕が僕でなくなる気がするから」
覚悟を決めたような表情で、拓はそう言った。
男からしたら、拓のその覚悟は理解できなかった。自分が生きるためなら、他人を蹴落とし、時には命を奪ってきた。それが、男の人生だったからだ。
「甘ぇな。そんなんで生きていけるほど、この世界は優しくねぇ。だから、俺は殺し屋になることを選んだ」
男は、まるで懺悔でもするように、そう呟いた。
「かもね。それでも、僕は人を殺したくない。だから、殺さなくても守れるぐらい強くなる。殺す強さじゃなくて、守る強さを」
「守る強さ……か」
男は、全身の痛みを感じながら、空を見上げる。
自分の力の『武器生成』
もし、この力を守るために仕えていたなら、自分の人生は変わっていたのだろうか。こんな泥臭く、地面を這っていくようなクソみたいな人生ではなかったのだろうか。
「僕はもう行く。後は勝手にしろ」
そういって、拓はその場を去っていく。いつのまにか、右手の剣も解け、レイが拓に付いていく。
「本当に、お人よしなんだから……」
そして、ミルはため息をつきながら、拓の下へ走っていく。
それを眺めながら、男はそっと目を閉じた。
「こんな気分、初めてだな」
だが、悪くないなと、男は思った。
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