第8話 雨川5

「誰かに狙われでもしてんのか」


 ようやく解放された手をぷらぷらと振りながら雨川は問いかける。

 了承するまで手を離してくれる気配がなかったため、ひとまず無垢の身辺警護依頼を受ける方針で落ち着いた。


 求めていたような大きな仕事ではあるが、彼女はただの代行屋に何を期待しているのか。

 明らかに荷が重いが、受けると決めたからにはまずは情報が欲しかった。


「んーん。べっつにー? でも最近物騒だから」


 軽い口調で無垢は言う。

 特定の人物につけ狙われているとか、そういった話ではないらしい。

 彼女の境遇を考えれば、常に不特定多数に狙われているとも言えるが。


「ま、確かにな……」

「やはり剣野さんほど有名になると大変なのでしょうか。ストーカーとか」


 ストーカーという言葉を強調しながら小夜が会話に参加する。

 何か言いたげな彼女の視線に、雨川は薄く笑い、肩を竦める。


「そうそう、そういう人たちから守ってくれればと思って」

「と、言われてもな。何か基準とかないのか? 俺にはファンとの違いが分からん。こういうのは詳しくないが、なんかファンサービスとかもあるんだろ」

「あたしは特にそういうことはしないから大丈夫。近づく奴は全員刀で斬り捨てちゃって!」

「時代も人選も間違ってる」


 そもそも警察が行う要人警護でもない民間での警護で、武器の類を持ってよかっただろうか。

 朧気な知識では確か駄目だった気がする。


「えー雨川流の師範がここにいるって聞いたから来たのにー」

「ここは代行事務所であって剣術道場ではないのでな。誰に聞いた? 外の看板見たか? まずは眼下と耳鼻科に行ってこい。話はそれからだ」

「うわーざっくり。めちゃくちゃ言うじゃん。言葉の刀はすっごい切れ味だよ、お天気君。シュ! シュ!」


 刀を振り回すような動作を虚空に向かって行う無垢。

 雨川は付き合ってられないとため息をついた。 


「話を蒸し返すようですが、実際無垢さんはなんで雨川さんを雇おうと思ったのですか」


 雨川の隣に座りながら、小夜が口を開く。


「確かにこの人の基本スペックは高いのですが、このように口は悪いですし、子供っぽいところがいつまでも抜けませんし。おすすめはできません」


 無垢を切ったはずの雨川が、今度は小夜に切られていく。

 不満のある表情を小夜に見せると、彼女は全く罪悪感のない表情で小さく首を傾げた。


「いあいあ。そういうところも含めて気に入ったんだよ。話し相手として気楽そうだったし。ボディーガードって言っても、正直あたしと話す方がメインになると思うよ」

「え」


 指でピースの形を作った無垢に、雨川の表情は曇った。


「それはちょっと……なんというか、めんど――」

「何を言おうとしてるのか知らないけど、言葉は選んでね?」

「互いに忙しいだろうから難しいかもな」

「あのさぁ、お天気君。あたしって一応今人気のアイドルなんだけど? お金を払ってでも話したい人、いーっぱいいるんだけど?」

「俺はそうでもない」

「傷ついたー!」


 言葉とは裏腹に無垢は快活に笑う。

 芸能界を渡り歩くにはやはりこれくらい図太く、揺るがない精神力が必要なのだろうか。

 雨川は素直に感心した。


「そりゃファンになれとまでは言わないけどさ。結構有名になってきたと思ったけど、あたしもまだまだだなー」


 わざとらしく口を尖らせる無垢。

 その目じりが少し下がったのを見て、見かねた雨川は少しだけ励ますことにした。


「さっきは運悪く名前を思い出せなかったが、お前のことは知ってたぞ」

「嘘ばっかりー」

「嘘じゃないって」


 疑っている様子ではあるが、それでも少しだけ無垢は嬉しそうにはにかんだ。


「確かに嘘とは言えませんね。雨川さんは無垢さんと会う一時間くらい前にニュースで見て、知りはしてました」

「それ、判定めっちゃ微妙じゃない?」


 余計なことを言う小夜を横目で睨みながら、興味のない相手のことなんて覚えられねえよ、と雨川は密かに毒づいた。


「まあでもね、お天気君を雇おうって決めた一番の理由はそれ。私を知らなかったこと。だってそれなら絶対私のストーカーじゃないでしょ?」

「無垢さんのストーカーではないかもしれませんが、ちゃんと相手は選んだ方が良いですよ」

「小夜。なんだかその言い方だと、俺がストーカーみたいじゃないか」

「そうは言ってませんが気を付けてくださいね。こういうのは罪の意識がないタイプが一番厄介なんですから」


 小夜の攻撃的な言葉に、雨川は苦笑する。

 なにか彼女を怒らせるようなことをしただろうか。

 しかも普段は真面目に仕事をしろとうるさいのに、今回はやけに消極的である。


「さよちんはお天気君のことが心配なんだよね」

「へえ……」


 無垢が笑顔を浮かべ、小夜の方を見る。

 そういうことかと雨川がにやけながら相槌を打つと、小夜に鋭い目で睨まれた。


「心配はしていませんので大丈夫です。頑丈な作りになっておりますので、どんどんご利用いただければと思います」


 まるで物のように扱われ、送り出される雨川。

 なんだかんだ言っても最近は小夜と二人でやってきた代行事務所。

 彼女が本当に反対をするなら依頼は断ってもよいかと考えていたが、こうなればこうなったで心情的には微妙である。


「んで、結局俺は何をしたらいいんだよ」


 話は逸れていたが、仕事の内容を無垢に確認する。


「基本的にはあたしの近くにいてくれればそれでいいよ。とりあえずお試しで二週間くらい?」

「二週間?」

「今ここの近くの企業で仕事貰っててさ、それが終わるまで。あ、仕事以外にもお出かけしたいときは呼ぶからね」


 訊けば雨川への要求はそれほど大したことがなく、準備することもあまりなさそうだった。

 直近のスケジュールだけ教えてもらい、少し雑談をしたあと無垢は帰宅することになった。


「あーやっぱ依頼してよかったかも」


 椅子から立ち上がった無垢が明るい表情で体を伸ばす。

 そして気持ちの込められたような深い息を吐き出し、脱力した。


「もう、追われるのは疲れちゃった……」


 雨川と小夜は顔を見合わせる。

 無垢の放った最後の小さな呟きが、酷く印象的で、彼女の言いたかったことの全てだったように感じた。

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