第7話 雨川4
「おいおい、人気アイドルが行方不明だってよ」
事務所のソファに座った雨川が、普段は見ないテレビを見ながら呟いた。
夕方になりやって来た小夜は、重そうな買い物袋二つを机の上に置くと、冷蔵庫や物置に収納しながら口を開く。
「その人はあれです。いつもそうやって、周りに黙っていなくなる時があるのです。前回たまたまファンに発見された時は、沖縄で寛いでいました」
「なんじゃそりゃ」
他人事とはいえ、それで問題はないのかと雨川が訊くと、そういう奔放なところも人気が出た理由なのだという。
「でもニュースになってるぞ」
「他に大きな事件や事故がないときは、たまにニュースになりますね」
「今日はそれなりに平和だったってことだな」
「業界関係者が彼女を見つけたいからという噂も。報道すればファンが彼女を探し出してくれますので」
「なんだか、変わったイベントが始まったみたいでわくわくするな。よし俺も――」
「私は不誠実だと思いますので、彼女のことはあまり好きではありません」
若い子に人気だと言うが小夜は好きではないらしい。
表情を見るに、嫌いに近そうだ。
雨川は勇み立った足を戻すと、何事もなかったかのようにソファに座り直した。
「捕まえたいけど、捕まらない可愛さってやつか」
「なんですかそれ」
「追われるよりも追う方が、相手のことを好きになってしまうのかもなぁ」
「わあ、さすが恋愛マスター」
音のない拍手を送って来る小夜。
何を言っているんだと我に返った雨川は、羞恥心と後悔から顔を背けた。
「今言ったことはなしとする。忘れてくれ」
「いえいえ、気持ちは分かります。ちなみにそれは雨川さんの体験談ということでしょうか」
馬鹿にしているような態度の小夜だが、意外にも話を続けようとしてくる。
いや、しているようなではなく、実際馬鹿にされているのか。
「興味があります。すごく。もしかして今も――」
「熱がぶり返してきたようだ」
話を強制的に打ち切った雨川は、ソファに寝ころび布団を被った。
布団を肩までかけ、手まで全て中に入れてしまうのが雨川スタイル。
こうすると安心感がまるで違う。
「子供みたいで可愛いですね」
今日一番の笑顔を見せた小夜が頭を撫でようとしてきたので、雨川は体を起こした。
「もっとそれらしいことがやりてえなぁ!」
小夜が郵便受けから持ってきた、いつもの恋愛相談の手紙に対応していた雨川は、我慢できずに叫んだ。
恋愛相談には飽き飽きしていたところで、不満が爆発した形だ。
「お仕事の話でしょうか。それらしいことって、例えばなんですか」
二人分のコーヒーを淹れてきて、机に置いた小夜は、そのまま雨川の対面に座る。
「企業の闇を暴くとか、芸能人の浮気調査とか」
「いきなり大きな話になりましたね。しかもそれは、どちらかと言えば探偵と言われる人たちの範疇では?」
「探偵代行だ。実は過去に、似たようなことはやったことがある」
「代行する意味はわかりませんが。雨川さんって実は結構多才ですよね?」
害虫駆除に謎の建物の警備、果てには除霊の真似事など、意外にも雨川の代行してきた仕事の種類は多岐にわたる。
ちなみに除霊の件は、肩が重いと言うので思い切り殴ったら解決した。依頼人が満足していたので良しとする。
そんなことを小夜に伝えると。
「凄いですけど、やっぱり何でも屋って思われてませんか」
痛いところを突いてきた。
ただ雨川にとっても、もはや他業種との区別は曖昧になりつつある。
そこはアルバイトを雇えばよいのではないかと思うような依頼もあるが、専門家にやってもらいたいという依頼人がちらほらいる。
問題は雨川自身が専門家ではないということだが、持ち前の器用さで今のところなんとかなっている。
様々な経験を積めるという意味では、何でも屋も悪くない。
「でも、良いことを聞きました。実は私も今度雨川さんにお願いしたい仕事がありまして……」
良いことを思いついたと言う割には、複雑な表情をする小夜。
喜んでいるような、悩んでいるような。
もしかしたら初めて見るような表情かもしれない。
「あの、そのですね…………私と……その、私と一緒に――」
「ごめんくださーい!」
何事もはっきりと言うタイプの小夜が、珍しく言い淀んでいた。
雨川は何が飛び出すのかと内心動揺していると、その時事務所の外から大きな声が響き、小夜の話はうやむやになる。
「一緒に、なんだ?」
「いえ、また今度にします」
「さっと言えるなら今でも」
「さっと……? お客さんが待ってますよ。早く行ってあげてください」
小夜の表情はすでに冷めきっていた。なんなら怒っているようにも見える。
こうなってしまった彼女の頑なさを十分に知っている雨川は、諦めて訪問者の対応へ向かった。
「やあ! 依頼したいことがあるんだけど。あ、今大丈夫? 入れて入れてー」
扉を開けると若い女が立っていた。
どこかで見たような気はするが、思い出せない。
大丈夫と聞いておきながら、雨川の返答を待たずに彼女は事務所の中に入っていく。
太々しい客の対応はひとまず後回しにして、雨川は扉の横に設置してあるインターホンを押してみた。
「うわ!」
「なにしてるんですか……」
思ったよりも大きな音が鳴り響き、満足した雨川は一つ頷いて扉を閉めた。
「雨川と言います。よろしくお願いします」
机を挟んで若い女と丁寧に対面する。
太々しくはあるが、お客様はお客様である。
「あ、堅苦しいのはいらないよ」
「そういうわけには。よろしければお名前の方を聞かせていただいても?」
今時の若者といった元気な服装ではあるが、よく見ると身に着けているものはブランド物が多かった。
お客様はお客様でも、太客様の可能性がある。
「雨川さん? 下の名前は?」
「晴です。ところでお客様のお名前は――」
「雨に晴……ふふ」
「えっと、なにか?」
「じゃあ、お天気君って呼ぶね!」
「舐めるんじゃねえぞ、クソガキ。早く名前を教えろ」
早くも雨川は仮面を脱ぎ去った。
このままでは一向に話が進まない。
「依頼する気がないなら帰れ。こう見えて忙しいんだ」
女は驚いたのか、大きな目をさらに開いて口をぱくぱくと動かしている。
この手の依頼人はたまにいるが、個人事務所だからと舐められるのを雨川としては許す気はない。
「へえ。あたし、お天気君のこと気に入っちゃったかも」
「…………あ?」
「あまり期待はしてなかったけど、ここで依頼しちゃおうかなぁ」
勢いよく前に出たため、強気な態度を崩さない雨川だったが、心中は驚愕に満ちていた。
何をもって気に入られたのかが全く分からない。
すでに頭の中では、面倒くさそうなこの女を追い払い、小夜の話の続きでも訊こうかと予定を立てていた。
「い、依頼するの? 君」
「うん。お金は結構持ってるから、期待しちゃって!」
「そ、それならまあ」
「でもその前に、さっきからお天気君が気にしてた、あたしの名前なんだけどぉ……本当に知らない?」
悪戯気に口元を歪めた女と、視線を交わす。
これは女の名前を当てることが出来れば、仕事の依頼を受けられるということだろうか。
依頼内容は聞いていないものの、金を積むと言われればどうにも魅力的に感じてしまう。
気分は昂揚していくが、この状況で一番の問題は、雨川が彼女の名前を知らないことだった。
「おっと、紹介が遅れたな。助手の小夜だ」
抗いがたい欲望の果てに、雨川は一旦話を逸らした。
小夜は助手でもアルバイトでも何でもない、いつ思い出しても不思議な存在だが、ここはそういう体にしておく。
「名前ね。もちろん知ってるさ、な? 小夜」
「はい。存じ上げております」
え、と雨川が振り向くと小夜は微笑を浮かべていた。
なぜかは分からないが彼女は名前を知っているらしい。
この勝負勝った、と雨川は勝利の文字を頭に浮かべる。
「ふん。君がここに来ることは、前もって予感していたのだよ」
素早く小夜とアイコンタクト。
今まで築き上げてきた信頼の量が、いざという時に光明を掴むのだ。
「というわけですでに君のことは共有済みだ。せっかくだし、ここは小夜の口から……」
「ねえ雨川さん、予感ってどういうことですか? 彼女とお知り合いだったのですか? いつ? どこで――」
小夜による突然の裏切り。
梯子を外された雨川は、無言で若い女の方へと向き直った。
やはり最後に信頼できるのは自分だけだということだ。
「ねえねえ、お天気君。本当に知ってるの?」
くすくすと嫌な笑いをしてきた女に対し、雨川は自信を崩さない。
思わぬ裏切りが発生したものの、先ほどのやり取りは大きなヒントだった。
「知ってる、知ってる。あれだろ? ありがとう。いつも小夜が世話になってるな」
小夜が知っているということは、そういうことである。
「ん? 小夜ってその子のことだよね? あたしは――」
「待て、間違えた。すまん、実はちょっと風邪を引いててな? 久しぶり。めっちゃ懐かしいじゃん。綺麗になったな。小、いや中、 ああいや高校以来?」
余裕を捨て去り、やぶれかぶれだった雨川の口はそれでも滑らかに動いた。
その一縷の望みに賭けた結果、なんと女はとても嬉しそうに体を乗り出し、満面の笑みを見せる。
その笑顔につられて、雨川も懐かしき旧友が訪ねてきたという妄想を膨らませたのち、握手のための手を差し出した。
「あたし、アイドルやらせてもらってる天真無垢! お天気君、しばらくあたしのボディガードとかやってみない!?」
差し出した手を両手で包み込むように握ってきた無垢。
事体を飲み込めていない雨川が、そのままの体勢と表情で小夜の方へ顔を向けると、彼女は諦めたような表情で左右に首を振った。
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