第5話 朝香3

 宮田の言葉に、朝香は目を見開いた。

 朝香の反応が予想通りだったのか、水を得た魚のように彼はそのまま続ける。


「ストーカー? 怖いよね。出来ることは少ないかもしれないけど、僕に手伝えることがあったらって思ってさ」


 どの程度か分からないが、朝香がストーカー被害にあっているという話を宮田は聞いていたようだ。

 真昼が大きな声を出したので、聞いたのは彼だけではないだろうが。


「だから連絡先くらい交換しておこうよ。なにかあったとき力になれるかもしれないからさ」

「はい、でも迷惑――」

「そもそも僕たちって同期だしね」

「……そ、そうですね」


 結局朝香は宮田に連絡先を教えることにした。

 同期だからと言われると、どうしても断りにくいというのもあった。

 なんでもないやりとりのはずなのに、なぜか心中が穏やかではなかった。


 これは別に普通のことだから、と自分に言い聞かせた。

 真昼だって男手があると助かると言っていた。しかも自ら助けると申し出てくれている。

 あまり積極的に頼る気はなかったが、保険の一つにはなるはずだ。


「あ、今日はどうする?」


 登録した朝香の情報を編集でもしているのか、スマートフォンを操作しながら宮田が問いかけてくる。

 いきなり今日はどうすると言われても分からなかった朝香は首を傾げるだけだ。


「ああいや、どうするって聞かれても頼りずらいよね。外はもう暗いし送っていくよ」


 何も言わなかった理由を、彼は曲解したようだ。

 そもそも送ってなんて一言も言ってないし、話題にも上がっていない。

 朝香の性格上全く的外れな部分がないわけではなかったが、彼の中では言い出すのを躊躇っているように見えたらしい。

 どんどん話は進んでいく。


「あの、私バスなんで……」


 急ぐ展開に朝香はようやく待ったをかけた。

 先ほどまではあれほど心細く感じていたはずが、今はもう一人で帰ってしまいたいと思うようになっていた。


「□□町の方でしょ? 僕も同じ方向なんだ。最寄りのバス停は違うけど、最近運動不足だし、それくらい歩くよ」


 必死の抵抗も、さらに逃げ場をなくしただけだった。

 この状況になって、一緒に帰らないという選択肢はない。

 彼はきっと、親切で言ってくれているのだから。


「ありがとうございます」


 朝香は礼を言う。

 気を良くしたのか宮田は一つ微笑んで、先に歩き出した。


 彼の背中を見ながら朝香は疑問に思っていた。

 同じ方向のバスだと言っていたが、今までに彼を見たことがあっただろうか。


「うひゃあ、すげー雨。そういえば朝香ちゃん――」


 宮田のはしゃぐような声に、朝香の思考は中断した。

 普段は朝香と時間の違うバスに乗っているか、ただ見逃していただけか。

 別におかしなことではないため、そんなとこだろうと素早く結論付け、彼との会話に意識を向ける。


「なんですか」

「僕、学生時代に引っ越しのバイトをしててさ。伝手というか、変な縁があって今でもたまに休日なんかは顔を出すんだよね」

「それは、凄い、活動的ですね」


 最初は凄いと言おうとしたが、何が凄いか自分でもよく分からなくなったため、途中で言い直した。

 宮田はひらひらと手を振る。


「ただの小遣い稼ぎだよ。だから引っ越しするときは言ってね。値段とか対応とか、色々出来ることも変わってくるから」

「はい。その時は是非」


 初めは何が言いたいか分からなかったが、ストーカー対策の話だった。

 言われて気付くものだが、引っ越しするのは一つの有効的な手だろう。

 手紙が届いた以上、朝香の部屋は知られてしまっている。

 ただこの理不尽な存在のために引っ越しという大変な作業をさせられるのがなぜ自分なのか。

 少し悔しい気もした。


「朝香ちゃんは休日なにしてるの?」

「小説を読んだり、映画を見たり、でしょうか。買い物はたまに行きますが、基本はお家にいるのが好きです」

「へえ、どういう本を読むの? おすすめがあったら教えて。僕も映画はよく見るんだけど」


 宮田は話好きのようだ。

 いくつかの話題が転換しているうち、バスに乗り込み、朝香の住むマンションの最寄りまで辿り着く。

 宮田は当然のように、朝香と一緒にバスを降りた。

 バスから降りたのはその二人だけだった。


「……いる?」

「姿は見えませんが、視線を感じる……気がします」


 宮田がストーカーの存在を確認し、朝香が答えた。

 マンションや家屋の光で道はそれなりに照らされている。

 ただ降りしきる雨により、少々視界が悪い。


 深く差した傘の下から、朝香は周囲に視線をはしらせた。

 それらしき姿はなかったが、自分が見られているという感覚はどうにも消えてくれなかった。


「全然わかんないや。でも、それなら一緒に帰ってよかったよ」

「ありがとうございます……」

「家はどっち? よし、行こう」


 宮田の隣で歩きながら、朝香は心の中で感謝と反省をしていた。

 感謝は言わずもがな、朝香の置かれている境遇を知り、一緒に帰ってくれたこと。

 反省は、宮田を男だというだけで必要以上に警戒してしまったこと。

 次々と話を進める彼の勢いに押され、心の準備ができていなかったのは確かだが、彼も悪い人ではないのだろう。

 それに今もまだ、視線は確実に朝香を捉えている。その事実がある以上、彼は朝香の味方だった。


「くそ」


 気付いたのは同時くらいか。

 傘を持つ手が震え、朝香の顔が強張る。

 宮田は舌打ちしたあと、憎々し気な表情を見せていた。

 朝香がその横顔を見たタイミングで、背中の方から足音を聞いた。


「こんなに堂々と? これはさすがに僕でも分かる。ついてきてるな」


 雨音とは異なる、人が歩く足音。

 二人が立ち止まると、その相手も止まった。しばらく待っても、動き出す気配はない。

 普通の通行人なら絶対にそんなことはしないであろうという動きだ。


「朝香ちゃん、僕があいつを――」

「い、いいです」


 何かを言おうとする宮田に対し、素早く首を横に振った朝香は小走りで駆けだした。

 逡巡はしていたようだがすぐに宮田もついてくる。


「それより急ぎましょう」

「……分かった」


 彼のやろうとしたことに想像はついたが、今はまだ何もしてほしくないという想いの方が強かった。

 関わるのが怖い。怒らせてしまうかもしれない。

 真昼も言っていたが、実害も証拠も何もない以上、警察に突き出しても注意されるだけで終わる可能性だってある。

 手紙についてはまだよく分かっていないが、つけてくるだけであればいつものランニングコースだなんだとでも言えばどうにでもなりそうだ。

 それくらいの言い訳くらい、朝香ですらすぐに思いつく。


「男っぽいかな。けど、フードで顔が見えないね」


 駆けだすも、一定の距離を保ちながらついてくるストーカー。

 宮田は何度か背後を振り返っていたが、朝香は怖くてできなかった。

 どうやらストーカーは男らしい。

 相手が女性かもしれないという認識すら抜けていたが、確かにそういうこともあるのか。


「これだけあからさまに追われると、男の僕でも結構怖いな」


 軽口を吐く宮田だが、その口元は引きつっていた。

 朝香には、喋る余裕すらない。


「つ、着きました!」

「ここ? ほら、早く行って行って!」


 そうこうしているうちに、朝香のマンション前まで辿り着いた。

 勢いのままエントランスホールに滑り込もうとした朝香だったが、その足を一度止める。


「宮田さんは……」


 ストーカーは普段なら一定の距離で追って来るだけだが、今日は宮田がいるという状況に、違った行動をしてくるかもしれないと危惧した。

 これまでもあからさまに追って来る相手だったが、今日はまた一段とひどいように思った。


「え、なに? 部屋にでもあげてくれるの?」


 この余裕はどこから湧いてくるのだろう。

 呆れると共に、ある意味で感心してしまった。

 何も言い返せないまま、宮田の目を見ていると彼は苦笑した。


「冗談だって、冗談。僕がここに立ってれば、あいつ近寄ってこないみたいだから。君が入ってしばらくしたら全力で走るよ。大丈夫、自信ある」

「あの、ありがとうございました!」


 いくらか迷いを見せたものの、朝香は礼を言ってエントランスホールへと入っていく。

 朝香と宮田の間にあるオートロックの扉が閉まり、宮田がガラスの向こうで手を振った。

 小さくお辞儀をした朝香はエレベーターで最上階まで上がる。


 自分の部屋へと向かう途中、いつもは怖くてやらないことだが、ふと気になって手すりから外を見た。

 フードの男がいる方へ顔を向けていた宮田が、そちらの方向を気にしつつも反対側へと歩いて行くところだった。

 走ると言っていたのは、朝香に気をつかわせないための方便だったのかもしれない。


 フードを被った男の方は、宮田が去っていく方から顔を逸らさず、その場に突っ立っていた。

 宮田を追う素振りはなかったが、体を反転させ元来た道に歩き出したのを見て、ようやく朝香は安堵の息を吐いた。


「ひっ」


 安心した瞬間、フードを被った男が立ち止まり振り返った。

 顔を上げた男と目が合い、朝香はか細い悲鳴を上げる。

 すぐに部屋へと駆けこみ、扉を閉めた。


「ん……あれ?」


 高鳴る心臓を静めながら、朝香は思い出そうとしていた。

 ちらりと見えたフードの男の顔。

 彼を、どこかで見たことがあるような気がした。

 それも最近、今朝も、すぐ近くで。


「雨川さん……?」


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