第2話 雨川2

 恋の相談にのってください。


 前置きのようであり、全ての内容が集約された冒頭の一文。

 その一文をじっと眺めていた雨川は、本文に目を通すことなく手紙を握りつぶした。


「あ、こら!」


 耳元からの声に、驚いた雨川は椅子から腰を浮かせた。

 反動で取り落とした手紙は転々と床を滑っていく。


「なんだよ、脅かすなよ」


 言いつつ先ほど声のした方へ振り返ると、腰に手を当てた小夜さよが立っていた。

 ゴミ袋を片手に忙しなく部屋を動き回っていたはずの彼女は、いつの間にかすぐ近くまで来ていたようだ。


 非難するような目つきで雨川を一瞥したあと、彼女はゆったりと歩いていき、すでに紙くずと化していた手紙を拾い上げる。


「見もせずに捨てるのはどうかと思います」

「いや、見たけど」

「お仕事の依頼だったらどうするんですか」

「見たけど違ったな」

「もう……私が代わりに読みますね」


 そう言って、雑に丸められた手紙を丁寧に解いていく小夜。

 見たと言っているのに、見ていないという前提で話が進んでいる。

 一体なぜこれほどまでに信用がないのかと、雨川は首を傾けながら椅子に座り直した。

 実際ほとんど見てはいないのだが、そういった類ではなかったはずだ。


「今更ですけど、雨川さん宛のお手紙を毎回私が読むのは罪悪感がありますね」

「今更だな」


 学生服の上にエプロン。長い髪を後ろで一つにまとめた小夜の後ろ姿。

 雇った覚えのない少女が、雨川の事務所に入り浸っている様子に慣れてしまっていることを少し不思議に思いつつ、雨川は答える。


「まあ、気が済んだら捨てといてくれ」

「なんでですか」

「ゴミはゴミ箱に、だろ」

「そういうことを言っているのではありません。あと、ゴミを放り投げるのはお行儀が悪いのでやめてくださいね」

「投げてねえ」


 さっきのは驚いて落としただけだ。

 というより、驚かせてきたのは小夜だ。


「あれ、今お前その手紙のことゴミって言った?」

「言ってません」

「言ったよね? なんだ、やっぱりお前もそれがゴミだって認めてるじゃん」

「言葉の綾です。それに――」


 皺だらけの手紙にさっと目を通した小夜が、綺麗に四つに折り畳み、顔を上げる。

 あの速さでは、彼女も大して読んではいまい。

 内容については大方予測出来ていたのだろう。


「私は、いいんです」

「なにがだよ」


 互いにゴミという認識は同じなのに、自分が駄目で小夜が許される理由が分からない。


「私は……恋する乙女の味方ですので」


 真面目な表情でそう言った彼女に、雨川は鼻で笑った。


「俺もだよ」


 雨川は大きいとも小さいとも言えないような町の片隅で代行屋を営んでいた。

 雨川代行事務所。

 安易な名付けだが、何事も単純な方が世間の人々からの覚えが良い。


 代行業とはその名の通り依頼者の代わりに何らかの作業をすることで対価を得る仕事である。とはいえ個人で経営しているだけに幅は狭く、企業や公共機関との繋がりといったものはない。


 世間一般的に有名なのは運転や退職に対しての代行だが、ここ雨川の事務所にそういった依頼がくることは稀で、ほとんどが犬の散歩や倉庫の掃除など生活を少し便利にする程度の内容に収まっている。

 そんな単純で細々と経営している個人事務所だったはずなのに、最近はどうにも珍妙な依頼が舞い込んでくることに雨川は苦慮していた。


「では、恋する乙女の味方である雨川さん」


 メモ用紙とペンを手にした小夜に対して、雨川は苦い顔をする。

 今日もまた、雨川にとって少々苦痛を伴う時間が始まる。


「始めます。質問に答えてくださいね」


 連日届く手紙。先ほど開いた一枚もその一つだ。

 多分に漏れず可愛らしい背景と、少し丸まった文字。

 最近は冒頭だけで満足してしまう雨川だが、読まずとも大体書かれていることは想像できる。


「好きな髪型はなんですか?」

「知らねーよ、本人に聞け」

「ぐっとくる下着の色は?」

「知らねーよ、本人に聞け」


 数秒の間、互いに無言の時間が続く。

 無表情のまま見続けてくる小夜に対して、視線に耐えられなくなった雨川は虚空を見つめた。


 雨川が苦慮する仕事の内容は恋愛相談。

 事務所の宣伝目的で始めてみただけのお遊びのようなもの。

 金銭等は受け取っていないものの、なぜか現在最も依頼量の多い仕事である。


 きっかけとなったのは、以前とある依頼人から受けた仕事の途中、暴漢に襲われそうになっていた少女を助けたことだ。

 何かお礼をと言ってきた少女に、特に何も思いつかなかった雨川は事務所の宣伝でもしておいてくれ、と言い残し少女と別れた。


 結果律儀に宣伝でもしたのか、それとも悪戯半分でからかわれているのかはわからなかったが、とにかく雨川のもとに一月で何通もの恋愛相談依頼が舞い込むようになったのである。


「あの、プロとして、そんな回答で恥ずかしいとは思わないのですか」

「誰がプロだ」


 呆れたように小夜が言うが、雨川としてはなぜ呆れられているのかが疑問だ。

 ここは代行事務所であって、恋愛相談事務所などではないのだから。


「それでは相談された意味がないではありませんか。皆さんが知りたがっているのは男性の考え方、傾向のようなものなので、雑談とでも思って気楽に答えてくださいよ」


 小夜に諭すように言われる。

 そう言われればそうなのだが、どうにもこの手の質問は答えずらいものも多く、なんなら回答する方が恥ずかしいものまである。

 異性への趣味趣向を、それも年下の女学生相手に赤裸々に語らされる雨川としては、むず痒さのようなものを感じるのだった。


「よっ。男の代表。恋愛マスター」


 雨川が黙っていると突然小夜がなにか言った。

 口調と言葉の内容とは裏腹に、彼女の表情は無に近い。


「なんだそれ」

「雨川さんのやる気を上げようかと」

「上がらねえよ。むしろ下がったわ」


 男の代表はともかく、恋愛マスタ―はどうなのだ。

 なんとなく誠実さに欠ける響きであり、まずは詐欺師かなにかかと疑われてしまいかねない称号である。

 様々なプロフェッショナルの中でも、呼ばれて嬉しくないものの一つが多分これだろう。

 雨川の少ない恋愛経験も加味すると、不名誉まである。


「とにかく、これも仕事なんですからちゃんと答えてください。雨川さんの意見でいいですから」


 そう思われながら聞かれるのが、実は一番困るのだが。


「私が返信をしておきますから、ね?」

「……わかったよ」


 頭を二度三度と掻き、小夜の方へと向き直る。

 結局いつも雨川は小夜のお願いに負けてしまう。


「やった。ではもう一度最初から……」


 雨川がようやくやる気になったのを見て、小夜は微笑んだ。

 宣伝になっているかも分からないこの依頼。

 過去なんどやめようと思ったか。

 続けているのは、彼女がいつもこのくだらない問答をとても楽しそうにしているからだ。


「んー、こんなものでしょうか」


 小夜の終了宣言。

 今日届いた手紙への返信は書き終えたようだ。

 半分上の空で答えていた雨川は、小夜と目を合わせる。


「ありがとうございました」


 あの時助けた少女。

 その少女と全く同じ声が耳に届き、雨川の体内を侵す。

 声も台詞も全く同じ。しかしその言葉に乗せられた感情は異なっている。

 雨川は小夜のお願いに弱い。

 彼女の理由のない信頼を裏切りたくはないのだ。


「髪は長いより短い方が好き。ズボンよりもスカート派。下着はなんだっていいと思うが、学生のうちから派手なのはどうか……ふんふん、なるほど」


 それは返信内容の再確認だろうか。小夜が精神的な拷問を仕掛けてきた。

 人の好みなんて千差万別。

 毎度思うが、この限定的で全く使い物にならなそうな意見を、本当に手紙の主は求めているのだろうか。

 きっと友人と笑い合う話のネタにでもされているのだろう。


「ある男性の一意見な」


 それでも一応釘は刺しておく。


「へえ。雨川さんって……あ、もうこんな時間。そろそろ学校へいかないと」


 意味深な呟きと共に、小夜が学校へ行く準備をする。

 朝早くにこの事務所へ寄るのが彼女の日課だが、学生は登校の時間だ。


「ごくごくありふれた、一般男性一人の意見だぞ!」


 事務所から出ていく小夜の背に、雨川は念押しした。

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