一日で辞めていく

 彼は寒さの募る真冬の空気を纏い、静かな吹雪として店を襲った。自己紹介を淡々と短く済ませ、どこにでもいそうな内気な青年らしく謙虚に仕事を教わりはじめた。気取った西洋の貴族らしく燕尾服を着てきた以外は、外見から特に変わったところは見うけられなかった。コスプレとしか思えない身なりから、いくぶん礼儀正しい若者言葉を使って「はじめまして、今日から働かせてもらう、スニスと言います」ぎこちなく頭を下げる。大学生だから当然といえばそうだが、あまり頭を下げる機会が今までになかったらしく、体を曲げる角度と保つ時間はちぐはくだった。それでもそれなりの誠意は職場の者に伝わった。そのなかに一人、五分刈りの高校生が働いており、若さに任せて「そんなに頭さげなくっていいっす、みっともないっす」正直な同情と反抗と、世間知らずの傲慢による卑下を口にすると、スニスは「すいません、先輩の言うとおりです、不慣れなもので、国会中継に映る議員の見よう見まねでしたのですが、ちょっと不誠実だったかもしれません、先輩、あのぉ、よかったら一度見本をみせてくれませんかぁ、……その、これからもきっとあやまることが多いと思うので、参考として見せて欲しいのですが……」急に多弁になる。すると五分刈りは規律の厳しい上下関係の仲間内に身を置いているせいもあって、顔面を下から思い切り殴りたくなるほど勢いよく頭を下げて、長々とじっとする。真剣さを抜きにすると、挙動は猿の反省芸に通じるところがあり、わびる心に仮託して笑わせようとしているのではないかとも思われるほどだ。職場の者はもちろん笑い声をあげるが、真面目なスニスは同じように頭を下げて、大きい打撃音と共に傍にあったテーブルの卵を潰して、冷蔵庫や調理器具を汚した。それで職場の位置関係は定まり、弱者たる仕打ちを受ける運命に定められた。


 次の日からスニスは仕事に来なくなった。

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