通過電車

 ことでん、全く知らない言葉であり、一切のイメージも沸かない。頭の中に何もない。妻から電車という言葉を与えられて、一斉に車窓の景色は広がる。強い陽の差し込んだ昼下がりの気怠い空気には、いつも白い制服姿の女子学生がおり、紫陽花を求めて乗り込んだ向かいの席には丈の短い真紅のスカートが座り、真鍮の首輪でもつければぴったり似合いそうな細長い首の天辺に、団子に括った髪をして、眼を瞑りじっと時を過ごしているその瞼には、陳腐で馬鹿らしい形容しかしたくない蕚があり、それを観賞して花開くその瞬間を待ち続ければ、電車は小田原へ……、小田原。


 電車は人々の日常を様々な色彩と空気で伝える。ほんの一瞬の夕立でさえ世界は一変する。重々しい低音域を響かせる弦の音がしつこく曇り空を響かせていると、突然牧歌的なフルートが曲調を一変させるのは、たった一つの変哲のない停車駅であり、乗り込んでくる見慣れぬ人であり、突然窓に襲いかかる強い雨粒と濡れた人の纏う湿り気であり、それは一弦でもって酔いしれる前奏曲、乗り手の心象が様々に移り変わる車窓の風景そのものの、ふと何の変わり映えのしない退屈な日常の、いつも嗅がされていた化粧の匂い。たった数年の通勤通学生活でへばりついてしまった離れがたい習慣の瓦解と、遠い存在として離れていく表象風景なのかもしれない。そこには何もなく、感傷にもならない規則的な列車の進行する音や、緩やかに停車するまでの覚えてしまったリズムが、いつまでも存在し続けると錯覚するのか。電車はいつだって進むものだと思ってしまう。


 ことでん、全く知らない言葉だ。嫁が黄色の車両を画像で一瞬見せてくれるが、すぐに目を背ける。分厚いコートを着た人々が互いを避けるように、それぞれの縄張りを必死に守る。白々しくもよそよそしくもある。方法はなんだってよいが、多くは簡単な手段を選択して、すでにつながっている個人の関係の線を太くするのか細くするのかもわからずに、惰性のなかで指を動かす。本を読むのもまったく同じことで、それに優劣をつける意味など一切ない。眼は外に向けるか内に向けるかのどちらかで、耳を開くか開かないかも同様だ。彼らにも何かしらのひっかかりがあるのかもしれないが信用などできない。


 ディーゼル、たしか妻はそう言った。養老渓谷の帰り、クリスマス、各駅にイルミーネションの電飾は光り、駅と駅の間の闇夜は、その停車駅の心遣いの明るさを一層感じさせた。住み慣れた町へ向かうこの電車は軽油で走り、通勤通学で感じる鼓動とはまるで違う。けれど、そこにまったくの違いはなく、家路へ向かう安心感は何一つ変わらない。


 妻の持って帰ってきた一枚の紙を前に思う。ことでんは知らない。ことでんを知る人々はそれぞれのこれを持っている。なら、自分もことでんに会いに行こう。

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