トクサ

 緩効性肥料のようにじわりじわり効いてくる。緑の土管に下へ吸い込まれていくのではなく、やけに細長いトクサの中を両手両足を側面にぴったりとあて、内から外への力を弛めることなく保ち、少しずつ暗い中を星のように遠く一点に光る外界へ向かい、途方もない時間と労力を使って登っているようだ。ありがたいことにこれは竹ではない。こんな状態で硬い節をどう打ち破っていくことができるだろうか。


 特に厳しかった今冬の終わり、慣れて心地良さを感じはじめていた寒さが和らぎ、平均気温と予報される空気に春の到来を錯覚して、気持ちに少し余裕と物足りなさを感じていると、季節を描いた寓意画の前で足を止めてしまい、春の若さ、夏の盛り、秋の実り、それから冬の外套に目を動かしても、焦点はどうしても冬に留まる。少年期、青年期、熟年期、老年期の連作も同様に映り、痴呆の白い綿雲を顎に生やしてローブに身を包ませている老人にやはり視線は留まってしまう。


 梅の小さな蕾が話しかけてくるのは、春は来るのだ、たしかに春はやってくるのだと。それは物憂いメヌエットに湿気った香りと黄色い砂と、野良猫の脇腹の気怠さによる陽光の中だと。疑っているのなら頭でっかちな木蓮の蕾に尋ねてみなと。


 服屋と花屋はもう春の終わりかもしれない。微かな兆しは蔦の枝となって自分を抱き込もうと窺っているので、蹴り上げたシマヘビが方形の光の斜めに射す宙へ浮かんで静止している図が張り手と共に顔を打ち、絡まっているのはそんなわかりやすいものではないと必死に抵抗する。冬は五十階建てマンションと同じ高層の立体駐車場の中を運ばれるエレベーターのように循環している。狭いったら仕方がない。こんなものがどうしてあるのかと不満を述べても、その環境がそれを必要としているように、冬は誰にだって大切な穴なのだから、白い紙面に写し出された温もりを持った手の影が動きながらその意味を自分の中から紡いでいくのは、やせ細ったどこでも切れてしまいそうな糸による出来の良い編み物だろう。型紙を要としない速記の危うさは、冬への不信感に似ていると、側を歩く鳩は胸を膨らませて合図するが、そんなのは耳に入れない。ケチャップのついたフレンチポテトを口に咥えてハンマー投げのようにぶん回して飛ばし、観光客のズボンの裾へ着地させるようなダム広場の仲間の言うことはとても聞き入れられない。冬はそんなに浮ついた一過性のようなたまではないと、藍色の花壇のわきに団子になっている野良猫達がじっと目で訴えかけているではないか。


 岸辺の匂いが変わってきたから、やはり来るのだろう。ある風の日はなんとなく風情のありそうな呼び名による瀬戸内の潮の香を持ってきているし、ある瞬間には澄んだ水から濁りはじめたプランクトンの発生に賑わう川底のヘドロを含んだどぶろくの臭いだ。ボートの走った川面に交差して揺れる波のせせらぎでさえ春の魔手が忍び込んでいる。


 父親は毎年春になると自律神経が振動して体調を崩す。花粉症持ちの喧騒は持たないものにはいざしらず。性欲の募り、無闇矢鱈な異性への恋慕は宝くじに買えるのだと自分は知っているが、どうやら今年は勝手が違うと、肉体の一部位を映した菱餅が食品売り場で半額シールの貼られた生タコの触手を手に持つ自分にウィンクしてくる。すべての春への事象は憂愁を吹きあげるために投げ込まれる紙くずだ。薪のように芯のある炎を生やすものではないと知っているのは、手先に触れただけで一瞬に燃えあがり、薄っぺらい灰となって上空へ巻き上げられて消えていくから。日の長くなった夕刻に支配されていた。苔の反照する木木の下を歩きながら、もうすぐ春が来るというのに、ヤマガラと共に冬へと心は向いていく。冬の心象が飛来しているのだ。


 そう思い込んでいた週の後、気まぐれな時候は五月上旬の日取りを用意してくれた。山から潮から行き交う川面、周りには雀しか見えないが、彩り豊かな小鳥たちが語りかけて、クロッカスが噴火する。全身に漲る生命力の目覚め。心の冬はどこへやら。春は社長の快活さで話しかけてくる。おまえの穴は所詮そんなものだ。膝にとまったブルーベリーの営業部長の蠅がこちらを見る。おまえはところてんのように押し出されて、つまるところ春に生きるしかないのだ。

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