同僚

 高品質のスピーカーから「マタイ受難曲」が始まった。どうやら客の立場というより、店主の趣味が拡張した音量と懐古的な西洋の調度品は、まるでバッハの生まれ変わりとして中区に出没してしまい、本人の持つ美意識の袋を具現化するよりも、むしろ旺盛な食欲の胃袋を広げて四方の壁に鋲打ちし、酔った自分を夜更けの森のような魅力で誘い込んだのだ。わかっている。儚い女の現れる泉の輝くペレアスとメリザンドではなく、秩序を壊そうとした者の奇怪な沼によるそれであって、光の反射はとても見えるはずはないのに、色ガラスのランタンはメヴラーナに廻りだし、ティモシー・リアリーの揺らめきで拡大されていくから、深い闇に沈み、膝に腕を回して座り、頬を過ぎる落ち着いた対流の中を、勢いよく川底を蹴り、水面を出て岸に上がれば、ヴィスコンティの陽光で神聖の象徴として十字の光は無数に生まれては消え、岸辺のチヌはふんぞり返ってこちらを笑い、海と山の交流がゆるやかに、複雑に、まるで矛盾する自分の中の愛情を肯定する形で存在することを許すように、羽のセンダンが若々しい葉で水面に飛び込もうとする自分を包むその背後で、大きく見開いて、襞の流れる笑い顔に広がっているのだ。


 宮島の滝小路を監視するギンヤンマよりも力強く、見知らぬ土地へやってきた東からの自分は自転車を走らせて彼女の餌を探し廻る。食べ物だけが唯一の接点だから、欲しがる雛鳥を見守るのではなく、肥え太って飛べなくなることも構わずに餌づけし続ける。網目にひっかかれば何だって捕まえる。サフランライスのカレー屋が起爆となり、ボリウッドダンスを心に踊らせたから、インドを訪れる日本人旅行者の大半がインド人を最初は毛嫌いして苛立つが、賢者の悟りのような拳銃で撃ち抜く唐突さで彼らを好ましくなる稀な例を体験するように、皺の多い微笑みにとらわれるそれはクミンやターメリックの過度な刺激と色彩ではなく、ローズウォーターの一滴で周囲を飲み込むものだ。おかしなものだ。結婚しにここへ来て、相手の名を継ぎ、家庭を築くつもりが、婚姻の二ヶ月前に初恋以上にのぼせあがり、培った技術を駆使して小学校の生徒では行えない手管でもって楽しもうと企むも、どうしてこんなことになったのだろうと、結婚相手への一切揺るがない愛情が(モハヤ新婚ノ愛デハナク、無理ニ引キ抜ケバ内蔵カラ血飛沫ノアガル糸)、踏み絵のイコンとして目の前に差し出され、隠れて手に入れようと両足で踏むのではなく、彼女のイコンをわざわざ自分で用意して、婚約者と彼女を片足ずつ値踏みしながら、感情は止められないけれど、一緒に住んだ四年間と、旅行した二年間の習慣から生まれた家族としての関係は偽りではないと確かな罪悪感を覚えて悩むも、自身を呵責することはなかった。まさか自分が、不倫の話をニュースやドラマ、演歌、トルストイで見聴きして、常に断罪するモラル(たばこノぽい捨テニ苛烈ナ憤怒ヲ覚エル道徳心)に基づいた非難をしていたが、明日は我が身なんてものではなく、今が自分と理解して、この感情では仕方がないと全幅の信頼を失墜させる過去への恩赦を行い、理性などチランジアの重ささえ持たずにこれまでの人生の指針となっていたと高らかに笑う他ない変わり身の早さに、いまだ自分の中にはなんて可能性が埋まっているのだと、都合の良い解釈と不逞な人格の薄ら笑いで二つのイコンに水虫菌でもつけばいいと酔い痴れて踏みつけていた。


 深い瞑想か、想い煩いか、ラファエル前派に揺蕩う夢想の気怠さをオーボエとハープ、低音域の弦楽器のピチカートが奏でて、凡俗極まる職場を退勤して夜に入り、色の見えない視界にナナホシテントウムシを薬指でもって静かに、画布に封じ込めるようそっと押し殺せば、濃縮された顔料の地雷を踏んで破裂した血と膿の根深い腫れ物の噴火によるマグマが残り、平和大通りを西に向かって走る光の流れに擦りガラスがはめ込まれて、動かぬ場所に、赤いアマリリス(赤色ノ服飾ヲ身ニシタ姿ナドカツテ見タコトハナイノニ)が事務所の隅っこの窓際に他よりも小さく、弱弱しい、歪な形のドライフラワーに近い状態で置かれているから、砂漠のバラの花弁に見立てて、薄くもしっかり凝固したチュイルを手に入れて、自分の血液でも垂らして潤いに染めれば、一齧りするだけで盛りの色を取り戻せるのではと、擦りガラスの大半を埋める暗色の増した真紅のレースに、東へ向かう平和大通りの車の流れは幾度も隙間を抜けて、立体のタピスリーの間隙は、自分か、彼女か、車のいずれかが編み上げているのか一向にわからないと口を動かしてつぶやいていると、あなたの、レジカウンターの三番目、店内を頭上から見下ろした北側から数えて二番目、自分は五番目の六番目、小動物の頭部を持った(動キマデソレラシイ愛ラシサ)嗄れたピンクのアマリリス(こいノ赤ニ染マッテイルノダロウカ)が置かれているではないか。不意に死へと飛び込む時間帯、ベランダで洗濯物を干している時によりかかった手すりが支えをなくして地面へ落下する、速度を緩めずに小さな丁字路に進入して申し合わせたように大きな顔のトラックと鉢合わせする、その時間に極限の集中力を発揮して、鉄梃の先端で車のボンネットに塗料の屑をモーセの海割りに盛りあげる強さで心臓に記憶を刻みつけるのを、死ぬことはなく、冷静にその稀有な時間帯を(夢ノ中デ、目ヲ覚マシテイル時ノ意識ニ返リ、背徳感ヲクスグル反社会的行動ヲ存分ニ行ウ)、校正する人の冷徹な眼力で追いかけ、こちらに気づく様子のないレジカウンターで支払い時の愛想笑いを浮かべ、袋詰めの場を探すのに両手に買い物かごを持って首を左右へ振り、出口へ向かう時にふと切り花のストレリチアに目を留め、足を止め、自転車に乗る間際の、あなたの前で、声をかけた時の驚嘆した顔は、息を吹き返した芳しい真っ赤な薔薇になり(人間ハコウイウ瞬間ヲ得ンガ為ニ生キルノダ)、何を話しても全てが受け入れられる一時(コレヲ麺棒デドレダケデモ引キ延バセタラ)、内から突き上げる潤滑油のないモーターが稼働してぎくしゃくした踊りを細胞全体に指揮して、あまりに色の溢れたトンネルから突然暗闇の下に晒された時の盲目のまま、生気を取り戻してもらおうと購入した砂の花弁状結晶はたしかに渡せたが、血の気を取り戻した人に余計な輸血をするように、その身を壊しかねないのではと、頭をふらふらさせて、片手に天へ挑まんばかりの盛り蕎麦を乗せて、がに股で古い自転車をこぐ配達人の呑気さで、一思いに轢き殺してもらっても礼を言いかねない体であった。


 それのお返しがベトナムのドライジャックフルーツだった。小さなメモ用紙のやりとりで、それは誰かに頼んで二つか三つ買ってきてもらった土産らしく、その前後の話にオデュッセイアに匹敵するほどの想像力が漲り、英雄の物語が描かれたステンドグラスの細かな亀裂さえも見逃せない注意力で彼女の一語一句を、黒ひげの潜む樽にぎりぎりまで飛び出させずに弄ぶ刃渡りの長い三日月のナイフでもって、多角的に文言へ突き刺し、吟味し、へまをすればおやじは飛び出して背後に隠れている男の足元へ転がり、軽いプラスチックの響きをコンクリートと黒い革靴というありきたりの映像に捉えた。それはマフラーをやけに長く垂らした(白イ水玉ノ赤イりぼんノついんてぇるノ乳白色ノ大型犬ノヨウニ)芋虫のような葉巻を咥えた黒いダブルのスーツという貧弱な絵を壁にかけるのは、思い描きたくない意識の表れであり、広島へ来たばかりの肉体労働者の乏しい給与ではその山高帽の一つでさえはたき落とせない引け目であって、萎れかけた花に無様に飛んでつかまる頭部のやたら大きい蛾に違いないと盲信するのは、唯一勝る若さを自己から引っぱりだしたいからだ。若さ、その一点があれば、疾走感を纏うことができ、狂ったパッセージを呼吸する間もなく走らせて、焦れったくなる緩慢な中年の鷹揚な調子を吹き飛ばして、熱情の一句で持ち去ることができるのではと、血気を抑えることをせずに、下手くそな字で書いたメールアドレスの紙片を、埃と陽射しにまどろむダンボールに囲まれた職場の入口で、恥以外に何であろう、臆病な仕草で(初メテ万引キスル子犬ノ拙サデ)彼女に渡せば、六足をもがれた団子の蟻を見て大笑い。


 広島に移り住んで一年目に、赤い球団は十数年ぶりに優勝をし、人の良いアメリカ大統領がやって来て、珍しい年になったらしい。運がいいね……、何が……、おまえが機会をもたらしたなんて……、もちろん思いもしない。彼女にとってはどうなのか。輪ゴムにくくられていない年賀状が一枚、ポストの端に置かれてあった。日めくりカレンダーを親指で慎重にずらしていけば、薄紙に溢れだした一日だけのメールの披露宴に、二号線舟入本町の交差点で信号の切り替わるのを百度見過ごして必死に(足ハ凍傷ニナッテシマエ)数字を押したのは、初々しさと、旬を過ぎた初老のアイドルがお姫様のドレスを着て歌う心境で、銀行強盗をうまくこなした首謀者の歓喜の入り混じる、とても楽しく、愛しい達成感と、未来に満ちた返信を受け取った情緒の変化であって、スペクタクルな街の流れにするのは、平凡かつ狡猾な宗教の感染力に滲んだ赤いユニフォームを着飾る女の子達を少しだけ好意を持って見定めるだけで良いのだ。若い女はすべて同じに見える。あんなおばさんのどこがいいのだ。それは誰にもわからない。未知に対して怯える風土はわからない。茶化して無視する輩にわからない。別に都会じゃない。生まれ育った場所が端なのに、なぜいつも名詞は中心を全てと飲み込む。見下げる目はどこにある。引いた顔から目を下げる。メールの文章は自分で氾濫している。


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 そんな間柄だからこそ、意味のない手探りは求める物を見つけ出すことになく、探っている最中の娯楽と、爪の先をかすめた金属の質感から放射する光景の広がりを(スグニ細波ニ画面ハ揺レテシマウケレド)体内の水に波及させるように、沸騰直前のざわめきに抑えて噛み締めていた。とはいえ大鍋も欲しい。夢中な詩人の記憶力で余計に肉付けした過去の散文集をそらで唱えて、建設的な予測と計画を立てた。自らの趣味に喰いついていた頃に、ガス会社主催のクラシックコンサートがあると教えてくれた。その言い振りは毎年このコンサートに足を運び楽しんでいる常連客であり、指揮者や曲目に着眼を置くのではなく、クラシック御コンサートを観賞(観劇デモ違ワナイ)したというテレビだけの芸能人と一緒に写真を撮る実質を持たない(ソレデ満タサレル器ハイカガナモノカ)ブランドへの固執のようで、曲と作曲家についてのうんちくを垂らせば「三番だか四番だか知らないけれど……」と言いながら、皇帝、という皇室を好む人なら瞬時に張り付く単語だけは覚えており(ソノ言葉ヲ口ニスレバ側近ニナレルノダロウ)、好意であろうコンサート紹介は高尚と思われる趣味の誇示と橋渡しで、それを愛らしく思う自分はそれ以上の高慢を蓄えていたので(披瀝スル折ハナカッタガ)、次のコンサートは必ずいるに違いないと、応募のハガキが届いたその夜に返信を出し、嫁が無理なら彼女を誘うつもりが、予定を空けてくれたので一緒に行くことになり、当日に体調不良を責めることから始まった夫婦喧嘩(学習能力ヲ持タナイ確カナ愛情ノるぅてぃぃん)により一人で会場へ行くことになり、銀球を起点に北から回ってホールへ歩くと、見慣れたコニファ色の自転車(職場ノ狭イ駐輪すぺぇすデイツモ添イ寝スルコトヲ夢見ル二台)が留まっており、早くから存在を確証し、さてこの広いホールのどこにいるのだろうと答案を事前に手に入れた学生の実力以上の頭脳を持ったと勘違いした楽楽した心持ちで一階席に荷物を置き、コーヒーでも飲もうと扉に向かってすぐに、受け取った問題用紙の複雑な第一問目にでかでかと錦の太字で答えの書かれている彼女が一人、足を組み顎に手を乗せそっぽを向いたまま座っていた。百試千改の押し問答が一陣の風のまにまに過ぎ去り、見向きもしないのは無視すると決め込んでいるからだと怯み、素知らぬ顔でトイレへ。しかし声をかけなければ(一緒ニ観劇シマセンカ)何の為にここへ来たのか、隣に黒いスーツの中年男性のいないことを確認して、一度、二度……、五度目でようやくこちらの声に驚いて反応すれば、隣はどうやら父親でして、こちらが職場の人……、いつもお世話に……、一人で来ているんですか……、ええ嫁が体調不良で……、おやおや……、それにしても素晴らしいバイオリン協奏曲……、楽しんでください! ぶつ切りに席へ返される。それでいて職場では数ヶ月も業務以外の会話をしていなかったのに、どうでもよい用事をこしらえてわざわざ自分の作業場まで来ては、まわりに聞こえる声で「アンコールのフィナーレでくしゃみしないで欲しいわよねぇ」と、どうしてこんなに惑わすのだ。


 夜に悲鳴するチューバが闇に揺れる木木から酒蔵を紡ぎ出して、熟柿の膜で覆われた町に接近し、一人の男は祭りを歩きだしている。夕刻の鋭い陽光は破顔に並ぶ千体の仏像を照らす。仏は酒の借りものではないかと疑いながら、濡れ手を粟の積もる鉢に埋めて粒のくっつくようにたやすく人々は小さな一団を散らばせているなか、一人、あの酒この酒、ごくりごくりと視界に迫真を与えていくと、日本の歌謡曲を踏襲しきった山崎の精神の働きは口唇ヘルペスの半永久的な仮住まいの作用を唐突に昂進させて、様々な種の咲き誇る万の鶴に香るバラ園で自分だけのドフトボルケを見出す。酒蔵通りの渋滞の中で蠢く頭部と肩を見下ろしていると、強引に前へ進もうと不躾な体当たりを左肩甲骨に受け、細めでそれを見ると、目を疑うという言葉が両目に張りつく。昨日職場で見たイチョウ葉色のフレアスカートに(腰部ガ少シ膨ランダ)、短くなった扇の後ろ髪が雑踏の後景にだまされそうになりながら(何万回ト騙サレテキタ)、確かな的を得て、マンフレッドの流れる一音一音が自分の人生だと訴えながら、急いで進むその背後に、やはり主導権を握った死神の権力を存分に味わいながら追い続けて、革鞄に手をかけて声をかければ、何をそう驚く。視界と心の湯気に酔った頭は、会話を、誰と、自分は一人で、あなたは伴侶と……、すぐに手を振りはにかみながら後ろへ下がる。一人だったら連れ去ったのに。波打つ体で呆然と試飲所の前に突っ立ていると、うしろから彼女が、混乱している時に選ばれる心と身体の結ばれていない言葉をキドニーに伝える。三色のハードチーズを手にして、「おひとついかが……」、はいと答えて爪楊枝をとり、ミモレット色を一つ刺して味わわないと……、なぜ行かない。一つで去らないのか。じっとたたずむ小さい顔を間近に見つめて、意味を成さない同僚を話題にした会話は味気なく、なぜ目を見ない。四ついただき、ようやく西日の射し込む木戸に透ける埃を狂言に引き下がっていく。顔の肌理を見た。小さい背丈を取った。海月のように備前焼を二十分間玄人げに眺めてから、駅へ向かう人の群れに入ると捜し者を見つけた。腕を組んで歩く彼女とトーテムポールの背丈の男を。後ろめたさを感じつつ、嬲りものの喜悦を痛々しく我慢して距離に吸い寄せられ、五秒さえもたずに耐えられなくなった。太い一本の疑問に操られて夜の西条を飲み、地べたに眠るものを友として、寝込み、その週は二十の失敗を仕事で犯した。


 モーブのセンダンの花は風に揺られて元安川に笑っている。スズカケノキの実が頭にこつんと落ちたようだ。ダフニスとクロエの合唱になりたかったのに、なれなくても、下手な感傷で甘ったるいパヴァーヌを選ぶ安易な真似は避けたかった。図書館裏のニセアカシアのこんもりした花房は、追憶のレンズでキョウチクトウのピンクに染まり、雑念のマルハナバチを舞い躍らせる。美術館前のマロニエに燃えた時もあったのだ。今年は輪ゴムの年賀状の端ではなく、遅く一人ポストにいた。ためらい。笑えない昨年という文言に対して、良い事ばかりだといいけれど、何事も経駅ですね。呉の語字にわたしはあなたをみる。仕事上のミスの多い、同僚の変わり花につられて廻った私は、月に頼る六脈を胸から流し、行き違う天満の波紋を赤く、やるせない空鞘のジンチョウゲに香らせて、澄み切った蒼穹のヒマラヤサクラから遠く川面に見守っていくのだろう。

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