山のパーティー

 男四人は居酒屋で飲んでいた。四人は地元の仲間で、中学および高校からのつきあいだった。ワッツと田代は小学校がいっしょで、五味とは中学校から、戸口は田代とおなじ高校だった。


 四人は地元仲間が多く働く居酒屋、モウマンタイで飲んでいた。ワッツと五味はモウマンタイで働いたことはなかったが、戸口は高校時代から働いており、約五年間働いたのちにアルバイトを辞めた。田代は戸口が辞める二年前から働きだして、すでに六年目になっていた。田代はすっかりアルバイトの古株になってしまい、ジャガイモ顔した三十代前半の店長から、社員になるよう誘いをうけるようになっていたが、社員になる気がまったくなかったので、遠慮なく断っていた。


 仲間どうしで飲みに行くとなると、モウマンタイでおちつくことが多かった。とはいえ、それぞれは別々の仕事をしていて、高校、大学時代ほど顔をあわせることはなくなり、たまに会うことがあっても大麻を吸うことが多かった。四人の地元仲間のあいだでは、一般社会のように酒を飲みかわすことはまれであって、通常は大麻を巻いたジョイントと呼ばれるものをまわすのが常識だった。大麻が人間同士のコミュニケーションを深めていたが、また、大麻を吸いすぎて互いに疑心暗鬼になることもしばしばあった。


 四人がモウモンタイに来た理由も、大麻を吸って腹いっぱいに食べるためだけだった。ワッツと田代は楽器屋でサンプラーを見てから地元の駅周辺を歩いていると、たまたま戸口と五味に会い、五味の自家栽培した大麻を(のどを痛めるが十分に効く)吸おうという話になった。だれかしらの家で吸ってもよかったが、わざわざ移動するのが面倒くさかったので、歩いて五分もしない距離にあるモウマンタイへ行くことになった。その日は蒸し暑く、わきの下から流れる汗が肌を伝うほどだった。


 四人は個室部屋の座敷に座り生ビールを注文した。すぐに竹ぼうき色した髪の若い女がきゅうりとわかめの酢の物と一緒に生ビールを運び、耳にひびく無作法な音を立ててテーブルに置いた。女店員の動きを見て、五味は眉間にしわをよせた。


「おつかれ!」田代は人好きのするふっくらした顔に笑いを浮かべ、のんきな声を出してジョッキグラスをうえにあげた。


「おつかれ」他の三人も力のこもっていない適当な返事をして、ジョッキグラスをぶつけあった。


「ぷは、ここのビールはいつ飲んでもまずいね!」五味は右頬をひきつらせ、えらそうな口調で言った。


 モウマンタイの生ビールは発泡酒だったので、五味はこの店の生ビールをひどくバカにしていた。五味の好きなのは黒ビールで、それ以外のビールを飲むたびに批判の言葉を吐いていた。そのくせ、黒ビールをあまり飲んだこともなく、ビールの味もたいしてわかっていなかった。ただ、黒ビールを飲むのが渋いという盲信な考えにとりつかれていた。


「そうか? 冷えていてじゅうぶんうまいと思うけどな」戸口は五味の言葉に反感を覚えた。


 戸口は数年間働いていたせいで、持ちたくもない愛着を無意識に持ってしまい、刺激され、つい反対の意見を述べた。長い間キッチンで料理を作りつづけ、また、アルバイト後に酒をたしなんでいた戸口のほうが、五味よりも味覚は洗練され、モウマンタイの生ビールの味をより深く知っていた。戸口もこの店の生ビールがうまくはないと知っていた。だが、自分の働いていた店を悪く言う気にはならなかった。


「冷えているというよりも、冷やしすぎでしょ? ほら、みてよ、ジョッキグラス全体に霜がはり、冬場の雨の日にみれる、車の窓ガラスよりくもっているじゃん。ジョッキグラスが凍るほど冷やすなんて、適当にもほどがあるね。ただ、冷やせばいいってもんじゃないんだよね、適度に冷やすのがビールの味をそこなわせないんだよ。それにさあ、このビールの味、つんとするくせに、なんか中身がぬけたような、なんとも品のないアルコールの味がするよ。きっと、サーバーの洗浄なんて何年もしていないんだよ」


 五味がそう言うと、だれも反応せず、お通しを食べる田代の口の音がした。


「酒じたいがまずい」ワッツはにこりともせず、テーブルのうえのジョッキグラスをみつめながら言った。


 四人はのどをうるおしてから、辞書のページで巻いたボールペンサイズのジョイントをまわした。辛いジョイントを吸いきり、四人は本能にまかせて料理の注文をした。さきほどビールを運んできた女店員は、同時に料理の名前を言う四人の声にまどわされ、憎たらしい顔のまま注文をうけて、何度も注文を聞き返した。五味は店員が聞き返すたびに、眉間によせられた肉は盛りあがっていった。注文を終えると、田代は働きはじめたばかりの女店員にやさしく礼を言い、ちいさく頭を下げて女店員は個室を出て行った。


「あの店員には耳があるのかね?」五味は待っていたかのように言った。


「耳はあるだろうよ、そのかわり頭がないんだよ」ワッツは言った。


 ワッツと田代は最新の音楽機材について話しはじめ、戸口もその話題に参加した。五味は話を聞いているだけで、運ばれてきたキムチチャーハンを小皿にわけて、呼吸するように食べていた。


 ワッツはローランドのサンプラーを持っていたが、新しいシンセサイザーを欲しがり、それを買うかどうかで迷っていた。田代は、「欲しければ考える前に買ったほうがいい」と言い、戸口もその意見を発展させて理由を説明していたが、ワッツは対抗するように悩む理由をさらに説明した。金銭的な面と、サンプラーを完全に使いこなしていないのに、次の機材を買うのは早いのではないかと考えていた。


 田代と戸口は自分のことではないので、買ってしまえば話は済むと思っていた。五味は生楽器以外には興味を示さないので、買うも買わないも、どちらでも良かった。それよりも、料理を食べて食欲を満足させるほうが大切なことだった。


 ワッツの話はながれ、田代の持っているパソコンと音楽ソフト、その性能の持つ可能性と使う用途の幅ひろさを話していると、二週間前に行われたイベントの話になった。


 ワッツと田代がオーガナイザーになり、七月七日に地元のクラブで小さなイベントをひらいた。イベントはDJタイムとライブが約一時間おきにくりかえされ、選曲はテクノとハウスがおもで、ライブはソロのギター弾きと電子音のまじったジャズバンド、テクノポップのバンド、そして、四人で出演したジャムバンドだった。


 はじめてのイベントにしては、地元の仲間と出演者の知り合いが集まり、フロアはほどよくにぎわい、大きなトラブルもなく順調にことを終えた。ただ、問題があるとすれば、たった二度の練習のみで、アドリブにまかせた四人のライブだけだった。ワッツはサンプラーを使い、戸口はパソコンの音楽ソフトとカオスパッド、戸口はマイク、五味はオーボエとジャンベ。田代がベース音とドラム音を担当し、ワッツはメロディーと装飾音、戸口はラップとあおり、五味はメロディーと打撃音だった。綿密に構成を組めばそれはそれでよい音楽表現を可能としたが、決まりごとはたった一つだけだった。田代の音に合わせて好き勝手にやる。それだけがルールだった。


 おかげでライブは異様な空気を作りだしてしまった。心地よいメロディーにうっとりさせることはなく、陽気なリズムに体を動かすこともなく、ただ石のように、客はフロアでたちすくむだけだった。ライブ開始五分ほどは、友人のライブだということで、無理に盛りあがろとする情のある者もいたが、音楽の魔力には対抗できず、まるで苦行のように感じて、笑い顔を浮かべて腕をふりあげていた体は、ポケットに手をつっこみ、精一杯の誠意として頭をふるだけだった。また、和音の響きがときたま聴こえるていどの、不協和音と外れたリズムの嵐に耐え切れず、気持ち悪さを覚えて外に出て行く者は何人もいた。フロアに残っていた人間といえば、人間としてのつきあいを大切にする者、音楽の勉強に熱心な者、鈍感な者、あとは変わり者だけだった。


 十分ほどでライブが終われば、「ああ、ヘタクソだけど個性的なバンドだったね」ぐらいの賛辞は一つぐらいもらえただろうが、ライブは三十分続いた。それは一種の罰ゲームであり、ステージ上にいる者も、フロアにいる者も同じように、この時間が終わることだけを願っていた。フロアに立つ木のような客は、金をはらって罰をうけ、ステージ上にいる者はそのことに気がつきながらも、どうすることもできず、予定通りの時間を終えることだけに必死だった。それは罪を犯しつつも、見て見ぬふりをする卑劣な人間の行為で、ライブ後に留置所にたたきこまれても文句は言えなかった。力のない者が、力のある者だけが立てる場所に立ち、人々の期待を裏切ることは許されず、影の努力などいっさい考慮されることはなかった。


 ライブ後、四人は別の意味での達成感に満足していたが、仲間どうしで笑うことはなかった。トラウマになりかねない、一種のバッドトリップにおちいっていた。


 だが、時間がたてば苦い経験は味のある思い出に変わる。四人は当時のライブの話を酒と大麻のつまみとして、おおいに笑いあった。


「だから、最低限、ブレイク(音を切る)のポイントと、しめ(曲の終わり)を決めて練習すればよかったんだよ。そこさえしっかりしていれば、曲らしい雰囲気はでるんだから」ワッツは目と顔を赤くして、力をこめていった。汗まみれのジョッキグラスには、ビールが三分の二は残っていた。ワッツは酒を嫌いというよりは、酒に弱い自分が好きではなかった。


「それはわかっていたよ」田代は言った。


「じゃあ、なんで練習の時に言わねんだよ!」ワッツは大きな声を出した。


「だってさ、あの時はアドリブでいくって言っていたから、あえて言わなかったんだよ」田代は言った。


「思ったことは言えよ!」ワッツは言った。


「けどさ、あのときはグルーブ重視でいくって決まっていたんだから、仕方ないっしょ」戸口はかばうように言った。


「ほんと、思い出すだけで気が狂いそうになるよ」五味は顔を震わせて言った。


「たしかに生き地獄だったね」田代は鳥のから揚げをつかんで言った。


「田代とワッツはうしろだからいいよ、おれなんて、ステージの中央だから、客の目にさらされて失禁しそうだったからね。公開処刑されているようで、もう、全員から視姦されている気分だったよ」五味は両手をパタパタさせて言った。


「それは思い込みが激しいでしょ。自信過剰だって」戸口は言った。


「いや、ずるいよ! 戸口だってブースのわきにいたじゃん! あれはいじめだって!」五味は哀れみを求めるような声を出した。


「だから、ちゃんと練習すれば良かったんだって」ワッツは押しつけるように言った。


「練習もなにも、楽器の相性が悪いんだって。オーボエと電子音じゃ味がめちゃくちゃだよ、なにせ、吹いていてこみ上げてくるテンションがなかったしね。生のドラムが必要だったんだよ」五味はわかったような口調で言った。だが、五味のオーボエは指使いと音がはっきりせず、適当に指を動かして音を出すだけであり、和音はおろか、音階も覚えていなかった。そのくせ、指は異常に早く動かすことができた。


「いや、そんなことない、構成の仕方だって」ワッツはきっぱり言った。


「そうだよ、相性はわるくはないよ」田代も言った。


「そうかな? 電子楽器と生楽器じゃ仲良くなれないと思うんだけどな」


「そんなことないって! 組み合わせだよ」ワッツは言った。


「だって音楽は生き物だぜ? サンプラーやバイブ(田代の使う音楽ソフト)の音じゃ、エネルギーを感じないね。聞いている客は別として、演奏している自分としては、いくら整然した音がスピーカーから流れたとしても、生のキックとスネアの音のほうが刺激を受けて音のイメージが生まれてくるよ。はじめから音が組まれた電子楽器じゃ、即興性がないね。まるで過去の音楽と演奏しているようで、ずれを感じるよ」五味はそういって生ビールを飲みきった。


「おれはそう思わないけどな、五味はジャズのイメージが強すぎるんだよ」田代は言った。


 五味はそんな言葉を聞きいれもせず、個室のドアを開けて出てトイレに行った。


「生楽器をさわっているわけじゃないけど、おれはラップだから、五味の言うことがなんとなくわかるな」戸口はテーブルに肘を着いて言った。


「たしかに一理あるけどさ、五味はひとりよがりだと思うよ。バンドは全員の意識が一体となってこそ、良い音楽が生み出せると思うね」ワッツはジョッキグラスを手に持ち、味見するように飲んだ。


「まあ、あの時は一回きりのお遊びだし、楽しかったからいいんじゃない?」田代は言った。


「そうだよ、楽しかったからいいじゃん」戸口も同意するように言った。


 五味がトイレから戻ると、モウマンタイで働く同年代の男、大城が料理の注文を受けていた。大城は戸口と同じ中学校だったが、とうじはあまり仲良くなく、モウマンタイで親しいあいだがらになった。大城は八年間モウマンタイで働き続けていて、店長のかわりにシフト管理や売り上げの管理をしていた。中学校と高校で野球部に入り、どちらも部長をつとめたせいで面倒見の良いところがあり、情に厚かった。そのかわり、やさしすぎてアルバイトを叱りきれないところもあった。


 大城は料理の注文を受けおわると、さきほどの女店員に料理のオーダーを伝えた。そして、持ってきた生ビールのジョッキグラスを口につけて、イベントについての話に参加した。大城もイベントに遊びに来ていた。


「あのイベントはほんと楽しかったよ」大城はイベントを振りかえって、言った。


「会う機会が少なくなった地元の仲間が大勢いたからね、ああいう場じゃないとなかなか顔を会わさないよ」戸口は言った。


「そうそう、もちろん音楽目的のイベントもいいけど、ああいった人づきあいも楽しめるといいね」大城は言った。


「そう言ってくれると、イベントをやったかいがあるよ」田代はうれしそうに言った。


「けど、段取りが甘かった。タイムテーブルをすきまなく組んだせいで、リハーサルの時間はとれなかったし、そのせいで、出演者からクレームがきた。もっと、余裕を持ってタイムテーブルを組むべきだった」ワッツは悔しそうに言った。


「でも、おれから見たらなにも問題はなかったよ」大城ははげますように言った。


「そうか?」ワッツは不満そうに言った。


「ほら、お客さんの一人がそう言うなら問題ないんだよ」田代は二人の顔を見ていった。


「ならいいんだけどさ、もっとよく出来きる部分が多くあったから」ワッツは下を向いて言った。

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