第26話 記憶

 記憶といっても、色々な記憶があると思う。

 楽しかった思い出の記憶、大変だったことの記憶、ぼんやりして曖昧な記憶。

 記憶喪失、というものがある。

 これが記憶喪失に当てはまるかどうかは分からないが「人は嫌なことを都合よく忘れる」という説がある。

 これはあながち間違いではない。

 癒しの神モイチャーが、俺たちの嫌な記憶を消している。

 死者が自分の死因を覚えていないのもその延長だ。

 だから、自分の死因を思い出してしまった時のショックは大きいのだ。

 そして加恋は今、それの状態に陥っている。

「思い出した……私の、死因……」

「加恋?」

「あ……あ……。嫌! 私から離れて!」

 言うが早いか、加恋が俺たちを突き飛ばして資料庫の奥へ逃げていく。

「加恋、どうした⁉」

「どうせ2人も私を殺す気なんでしょ⁉ やめて、やめてよ!」

 資料庫に加恋の悲鳴に近い声が響き渡った。

「落ち着け加恋。俺たちはそんなことはしない」

 俺は体勢を整え、ゆっくりと歩きだす。

「そんなの嘘! やめてよ、来ないでって言ったでしょ!」

 加恋が言うのと同時に、光が俺のすぐ横を通過していった。

 加恋が力を出したのだ。

「やめて! やめてよ!」

 加恋が力を乱射している。

「春樹君! 場所を変えよう」

「だな」

 俺たちは加恋が気が付くように資料庫の外に出た。

 後ろを振り返ると、加恋がついてきているのが見えた。

 俺たちは加恋と十分な距離をとった。すると加恋は泣き出してしまった。

 結局のところ誰かと一緒にいたいのだろう。

「春樹君」

「ああ。記憶が戻ったみたいだな。どうすりゃいいんだ?」

「……モイチャーにカウンセリングをしてもらおう」

「それだ!」

 星也が加恋をの方を見て、声を張り上げた。

「加恋、ついてきて」

「嫌! 怖い! もういっそ私を殺してよ!」

 しかし加恋はついてくるどころか、その場に座り込んでしまった。

 すると星也は加恋に近づいていき、しゃがんで視線を合わせると、

「……殺してあげるから、ついてきてくれるかな?」

 その言葉に加恋ははっと顔を上げ、ゆっくりと立ち上がった。

「星也、それ、冗談だよな?」

「うん。こうでもしないと多分ついてきてくれないからね。緑花邸に行こう」

 俺たちが歩きだすと、加恋も泣きながらついてきた。

 ほどなくして、たくさんの花に囲まれた緑色の建物に到着した。

「加恋、いってらっしゃい。僕らは中に入れないから、ここからは1人で」

「うん。ありがとう」

 加恋はそういうと、迷いもなく緑花邸の中へ入っていった。

「今の加恋は、ここは自分を殺す場所だと思ってるんだよな」

「そうだね。でもまあ、大丈夫だよ」

「ああ」

「僕らもとりあえずシンジロウさんのところに戻って報告しよう」



 シンジロウさんの部屋にて。

「なるほどな。カウンセラーか。いい判断だ」

 俺たちはシンジロウさんの部屋に向かい、すでに帰ってきていたシンジロウさんにすべて報告した。

「じゃあ、今は加恋が帰ってくるのを待つか」

「うん。というかシンジロウさん、部屋の鍵は閉めておかないとだめだよ?」

「あ? 開いてたか?」

「うん。ちゃんと閉めておかないとまた大変なことになっちゃうよ」

「そうか」

 シンジロウさんはのっそりと立ち上がると、鍵を閉めに行った。

「そうだ春樹君。僕ちょっと気になってることがあるんだけど、いいかな?」

「ん? 何?」

「もしかしてなんだけど、春樹君も記憶戻ってる?」

 何の記憶か、というのは言うまでもないだろう。

 俺は一瞬どきりとしたが、あくまで平然を装って言った。

「戻ってはいない。ただ、もしかしたらそうなのかもって程度」

「そっか。でも、なんかあったら言ってね」

「ああ。ありがとう」

 シンジロウさんも戻ってきて、俺たちはただ静かに、加恋の帰りを待っていた。



 大小様々な泡が浮かんでは消えていく。

 そんなどこか神秘的な部屋の中で、加恋と淡いグリーンの髪を持つ女性が向かい合って座っていた。

「私を殺してくれんじゃないの?」

 奥行きを感じる部屋は、小さな声も反響して聞こえる。

「いいえ。私はそんなことしませんよ」

 おっとりとした口調で女性は言う。

「私はモイチャー。これでも癒しの神なのよ?」

「はあ。神……。神様が私を殺してくれるんですか?」

「殺しなんてしませんよ。私はあなたの傷をいやします」

 加恋は返事をしない。

「死因が分かっちゃって、辛かったね」

 モイチャーの言葉に、加恋は小さく頷いた。

 モイチャーの声は、不思議と聞いた人の精神状態を安定させる。

「それで、2人にあたっちゃって……」

「そうね。それって、加恋ちゃんも2人が殺しなんてしないってわかってるってことでしょ? 一緒にいるだけで安心するってことも」

「……はい」

「あの時お店に入ったのも、仲間が欲しかったから。そうだよね?」

 加恋はまたも小さく頷いた。

 モイチャーの言葉はどれも的を射ていた。

「加恋ちゃん、寂しかったのかな」

「……そうかもしれない……。だって、私、小さい頃からずっと……!」

 昔から兄に暴力を受けていた。親を頼ろうにも、両親は自分の子供に関心を持たない。そんな状況で、心が完全に壊れる前に身体の限界が来た。暴力に耐えかねた加恋の体は、機能を停止したのだ。

「私、帰ります。まだ一緒にいたいから……!」

「そうね。大丈夫。加恋ちゃんなら言いたいこと言えますよ。応援してる。頑張って」

「ありがとうございました。失礼します!」

 加恋はそういうと、勢いよく駆けだした。

 皆に言いたいことがあるから。

 加恋は息を切らしながら、その扉をノックした。

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