第2話 現実

 死者の世界に来てから9時間後。

 俺は、膨大な資料と戦っていた。

「飲む?」

「あぁ、ありがとう」

 歴史家の先輩である伊野星也がコーヒーを淹れてきてくれた。ため口なのは星也が許可してくれたからだ。

 ミクリはほかの死者の案内もあるからと言って、一旦俺から離れるそうだ。

 場所は資料庫と呼ばれる歴史家の職場。最近はあまり仕事に来る人がいないらしい。ここに置いてある死界の資料は一般公開されているらしいが、見に来る人はめったにいないと星也が言っていた。

 俺がなぜ資料と戦っているかって?

 察しはつくだろうけれど、一応説明しておこう。死界の歴史について勉強するためだ。

 死界の歴史は当たり前のことだがとても長く、資料の数もとても多い。

 学校で習う歴史を一気に勉強する感じだ。

「春樹君、ちょっと休憩したら?」

「ありがとう。でももう少し……」

「その集中力はすごいと思うけどさ。別に歴史なんてそんなに知らなくてもいいと思うんだよね」

「え、歴史家だったら知ってた方がいいんじゃ……」

「そうなんだけどね。でも実質今の歴史家の仕事って情報の提示だけなんだよ」

「マジか」

「マジだ。だから休憩してもいいと思うよー」

「じゃあそうするかあ」

 資料を閉じてコーヒーを口に含む。

 死んでも食べたり飲んだりできるということを学び、1つ賢くなった。

「春樹君はさあ、自分が何で死んだのか覚えてないよね」

「え? そういうものじゃないの?」

「うん。普通は覚えてないんだけど。モイチャーは神々の中では一番力が弱くて、ちょっと衝撃的な死に方をした人の記憶は消せないんだ」

「もしかして星也って」

「そう。僕は覚えてたんだよね、死んだ時の事」

 俺は言葉を失った。

 自分が死んだということはかなりインパクトが強いことだ。記憶がない俺だってここに来たときはすごく怖かったんだから、記憶がある人の恐怖はもっとすごいのだろう。

「あ、別に心配はいらないよ? 記憶が残ってる人はカウセリングを受けられて精神状態が回復するから。しかもそのカウンセリングはモイチャーがやってるの」

 にこ、と星也が笑う。そしてすぐその表情を引き締めると、僕にこう言ってきた。

「僕も今はもう大丈夫なんだけど、1つ怖いことがあるんだ」

「怖いこと?」

「そう。春樹君さ、運命的災害フェイトディザスタアの資料ってもう読んだ?」

「いや、まだ。何それ?」

「そう、まだ読んでないんだ。じゃあ僕から説明させてもらうね。フェイトディザスタアっていうのは、まあ災害なんだけど。生者の世界に降りかかる災害なんだ。僕ら死者はそれから生者を守らなきゃいけないんだけど。その時、95パーセントの存在が消える」

「ん?」

「でもそうだと思わない? すごく長く歴史は続いているのに、住人がこんなに少ないのって。100年に一度起きる災害。これで魂を入れ替えるんだ。入れ借るっていうよりは、向こう100年の魂を受け入れる準備って言った方がいいかな?」

「話が読めないんだけど」

「そのままの意味だよ。僕らの死は死の途中経過でしかない。それによって存在が消えると、本当に死んだってことになる」

「……」

「僕が怖いのはさ、自分の存在が消えるってこと。一回死んだのに、またあんな思いをしなくちゃいけないなんて……」

 悲しそうな顔をする星也。俺は一瞬言葉を失うも、なんとか喉から言葉を絞り出す。

「でもそれって、100年に一回なんでしょ? まだまだ先なんじゃない?」

 自分の意志とは関係なく、勝手に口が半笑いの形を作る。

 それを見た星也が、少し困ったように言った。

「……春樹君、落ち着いて聞いてね。それが起きるのは、今から一週間後だよ」

「……!」

 今度こそ、俺は言葉を失った。

「あ、一週間後っていうと短く聞こえるかもしれないけど大丈夫。生者の世界で言う7年だから」

「え、十分短いんですけど……」

「体感で言うと5年かな」

「もっと短いんですけど⁉」

「んー?」

 俺の言っていることがよくわからないという顔をする星也。あれか、一度死ぬと時間の感覚がおかしくなるのか。

「これからの僕らの仕事は、それについての情報の提供が増えるかな」

「えー……」

「春樹君は大変だねえ。多分死んじゃうよ」

「やめてよそういうこと言うの⁉」

 静かな資料庫に俺の悲鳴が響き渡る。

 突然突き付けられた現実に、頭がついていかない。

 ただ、1つだけ、わかることがある。

 俺はどうやら、大変な時期に死んでしまったようだ。

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