1. 初めまして、死神さん⑥
弟は兄のことを憎んでいたが、兄は弟のことが一番好きだった。
ゲームの順番も、お菓子の数も、全部弟に譲ってあげていた。兄だからではなく、弟のために。弟の喜ぶ顔が、何よりも欲しかった。
小学校も折り返しに入った時期だった。学校から家に帰る途中、雨が降り始めた。春の嵐が吹き荒れ、まるで台風のような天気になった。
傘を忘れた弟に傘を差し出しながら、二人で急いで家に向かう。足速に川沿いを歩いた時、強風が兄の持っていた傘をさらって行った。
放っておけばよかった。また買えばいいだけのことだった。
それなのに、弟はその傘を追いかけた。
「──! 危ない!」
兄の叫ぶ声が聞こえたと同時に、法面の雑草に足を取られ、そのまま増水した川の中へ転がった。手足をばたつかせてもがいても、口の中に次々と泥水が入り込む。必死に引っかかっていた流木に掴まった。濁流に、身体は押し潰されそうだった。
「僕に掴まって! 早く!」
身体を伸ばして兄は精一杯右手を出した。掴める距離だ。
でも、弟は分かっていた。
掴んだら、きっと兄まで川に飲まれてしまうことを。だから掴んではいけない。そう分かっていた。
分かっていたのに、弟は兄の右手を引っ張った。
大きな音を立てて、兄は落ちた。
そのまま双子は濁流に飲み込まれ、翌日下流で発見された。
兄は弟を守るように抱きしめていた。身体のあちこちに流木や岩でぶつけたような痣があり、背中から腹にかけて何かが突き刺さった様な大きな穴が空いていた。それに比べて弟の身体は、右頬に少しだけ擦り傷があったくらいで、兄よりも綺麗な状態であった。
まさか最後に、兄に勝るとは、思いもよらなかっただろう。
*
言葉足らずの少年の記憶に、私は付け加えながら聞いていた。少年は、涙を流すことも、癇癪を起こすこともなく、ただ淡々と話していた。
「だから、僕、兄ちゃんに謝りたい。僕のせいで、兄ちゃんはしんだから」
私と少年は、兄が砕けて消えた路地裏にたどり着いた。あの日のように、私の影は長く伸びていた。隣の少年の影は、どこにも見当たらない。
「兄ちゃん!」
少年は叫んだ。その声はどこにも届かず、空を切る。それでも少年は止めなかった。
「にいちゃん! ぼく、にいちゃんに、あやまりたいんだ。ごめんなさい、にいちゃん。ごめんなさい」
少年は、泣いていた。何度も顔を拭いながら、それでも叫び続けた。そこには何もいないのに。少年は、何に謝っているのだろう。胸が苦しくて破裂しそうだ。なんだろう、この痛みは。
少年の呼吸は乱れ、ついに言葉が無くなった。
横目で少年を見ると、白く透き通った右頬に大きな亀裂が走っていた。まるで、硝子にヒビが入ったような、そんな亀裂。まずい。このままだと、少年は。
「ひとつ、聞いてもいいかな」
私は咄嗟に口を開いた。
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