Good luck.
1. 初めまして、死神さん①
「ですからさっきも言いましたけど、私は貴方の望みなんて叶えられませんので。失礼します」
そう言って私は全速力でその場を離れた。傍から見たら、完全にそれは変な光景なのだろうけれど、周りを気にしている余裕はなかった。帰り道にコンビニなんて寄らなければよかった。しかも大学の横にあるコンビニではなく、今日は川沿いにある小さなコンビニに寄ったのが要因だろう。やっぱり夕方に河川の近くは駄目だ。
だいぶ走ってから、自分が人通りの少ない裏路地に入ってしまったことを知った。まだ辺りは明るいが、直ぐに日も暮れるだろう。このままここにいるとよくないことは、長年の経験で分かる。長年と言ってもたった20年のことだけれど、干支が一周と半分まわるくらいの年月だから、長年と言っても許されるだろう。私は急いで裏路地を抜けようとした。けれどもその瞬間、凍り付いたように足が動かなくなった。
「……待って、待って。オネガイ、ツレていって」
後ろを振り返ると、先ほど川沿いに置いてけぼりにしたソレがいた。私は小さな悲鳴を上げた。腐敗が進み始めているソレは、さっき会った時の姿とだいぶ異なっていた。さっきまでは幼気な少年の形をしていたが、今はその腹部から無数の黒い手が伸びている。顔もどろどろに黒く溶けていて、表情も見えない。
「ボクを、ヒトリニしないで。オネガイだよ、ボクをツレていって」
その声は、泣いているようにも聞こえた。怒っているようにも聞こえた。ソレの腹部から生えている無数の手が私の顔を覆いつくすと、目の前が真っ暗になった。
昔から変なものが見えることはよくあった。でも、こうしてしつこく付け回されるようになったのは、つい最近だ。いつかはこうなる運命だったのかもしれないけれど、まさかここで死ぬとは。こんなことなら、新作のスイーツなんて買うんじゃなかった。そんなことを思って目を閉じようとした時だった。
「すまねぇな。そんだけ腐敗しちまうと、連れていけねぇんだ」
男の声だった。どこか冷たく、同情しているかのようなトーンだった。
何かが割れる音が遠くで聞こえた。硝子のような、氷のような、繊細な何かが砕け散ったようだった。瞑っていた目をゆっくり開くと、私の顔を覆っていた黒い手はいつの間にか消えていて、目の前にいた少年の形をしたソレも跡形もなくいなくなっていた。そこに残されていたのは、指先で摘めるほどの小さな種だった。なんの種なのかは分からなかった。私はその種を優しく拾い上げた。
「それが見えるのか。おまえ」
驚いて振り向くと、そこにいたのは黒いスーツを着た青年だった。少しだけ癖のある黒い髪が春風で揺れている。目にかかっている前髪が揺れるたびに見える瞳は、信じられないほど赤かった。目が赤い生き物は、ウサギくらいしか知らない。あとは、時々襲ってくるアレだけだ。さっきの少年の瞳も、飲み込まれそうなほど赤い色をしていた。
私は何も言わず、ゆっくりと後ろに下がった。
「そんなに怯えなくてもいいじゃねぇか。別に捕まえて食ったりなんてしないし。というか、俺のことも見えるんだ」
「食べはしないでしょうが、殺しはしますよね」
「殺しもしねぇよ。生きている人間にはさほど興味はないんでね」
そう言うと青年は私に近づいてきて、手に持っていた種を摘まみ上げた。それから、首から下げていた小さな空き瓶にその種を入れた。カランカランと音を立てて、種はビンの中に入っていった。
こうしてみると、その青年は私より頭一つ分大きかった。年齢は、私と同じくらいにみえる。じっと見ていると、青年は空き瓶のネックレスをしまって、いきなり顔を近づけてきた。
「なんだ。訊きたいことがあんならさっさと言えよ」
「……貴方は何者?」
顔をしかめて訊ねると、青年は口角を片方だけ上げて言った。
「俺か。俺は……そうだな。《死神》だ」
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