第二百十二譚 在るべき世界へ


 粉々に砕かれた魔石と共に、アディヌの身体が崩壊を始める。

 身体を形成していた魔石が破壊されたため、それを維持できなくなった身体が粒子となって空へと消えていく。

 同時に、聖王軍の骸骨たちの動きも止まり、アディヌの身体と同じように姿を消し始めた。


 地に落ちた神の口からゆっくりと出てきた俺は、しんと静まり返る静寂の中で大きく剣を掲げる。


 勝利の狼煙に、言葉は不要だった。


 魔界は大きな歓声に包まれ、誰もが武器を投げ捨てる。

 この瞬間、俺たちの長きに渡った戦いは幕を閉じた。


 未来を切り拓いた人々はしばらくの間、勝利の喜びを分かち合い続けた。

 全てが、終わったんだ。


「アル様っ!」


 兵士たちの向こうから、俺の名を呼ぶ少女。

 彼女は俺の傍まで駆け寄ると、瞳を潤ませながら微笑んだ。


「ついに、ついにやったのですね。私たちは……。世界を――未来を勝ち取ったのですね……」

「ああ、終わったんだ……ようやく。俺たちは、世界を救ったんだ」


 セレーネの笑みに釣られ、俺も笑みをこぼす。


「さあ、向こうで皆さんが待っています。世界を救った勇者の姿を見せに参りましょう」


 セレーネは子供のようにはしゃいで、俺の前を歩いていく。

 その姿を見て、俺は何とも言えない気持ちになった。


 でも、今だけは。

 今だけは感傷に浸ってもいいだろ。


 今だけは、喜んでもいいだろ……。

 俺の大好きな、皆と――。




□■□■□




 セレーネと二人で兵士たちの間を通り抜けていく。

 兵士たちは俺の顔を見るとすぐさま道を開け、称賛の声を聞かせてくる。


「勇者様! 万歳!」

「最高ですよ勇者様!」


 俺は嬉しさよりも気恥ずかしさが勝ってしまい、兵士たちから目を背ける。


「いや、なんというか。恥ずかしいな、これ……」


 思わず口に出た言葉を聞いたセレーネが、くすりと笑う。


「炎竜を討伐した後の貴方とは随分と違いますね。あの頃は黄色い声援に飛びついていたではないですか」

「あの頃は確かにそうだったけど! でも、今になってこれが嬉しくて気恥ずかしいものだってわかったよ」


 始まりは、そこからだった。


 この世界に転生し、彼女と出会い、俺は変わり始めた。

 その最初の一歩となったのが炎竜討伐。

 

 思えばあれから、随分と長い道のりを歩いてきた気がする。

 

「おっ、来たわよ! 今日の主役が!」

「どれどれ! おっと、なんて眩しさだ! 僕には眩しすぎて直視できない!」

「お前ら張り倒してやろうか……」


 俺たちの姿を見つけ、アザレアとジオがいつもの様子で茶化しに来る。

 

「なんて、冗談よ! アンタは間違いなく主役――『今日の』じゃなくてね。いつだってアタシたちにとっては主役なのよ」

「そういうことだよ。君はいつも僕たちにとっての勇者。それはこれからも変わらないさ」

「な、なんだよ。お前らまでそんなこと言うなんて卑怯だぞ」

「あっははは! アルヴェリオが照れてるよ! あのアルヴェリオが!」


 流石に追加で煽られるのは癪に障るので、脛を蹴りつけた。


「酷い!?」

「自業自得だろ!」


 こいつらとも、随分と長い付き合いだった。

 俺がリヴェリアとして生きた時から、今の今まで。仲間であり、友人でもあった。


 この姿に転生した後も、こいつらは変わらず仲間として、友人として支えてくれた。

 エルフィリムでの騒動も、一年ほど前のことなのに随分と昔のことに思えてしまう。


「アタシたち、とうとうやったのね」


 アザレアがそう呟いた。


「五十年……、随分と時間がかかってしまったけど、僕たちは成し遂げたんだよ」


 ジオの言葉に、俺は天を仰いだ。


 五十年。俺たちが世界を救えなかった日からそれだけの月日が流れた。

 俺にはその年月の記憶がないが、アザレアたちはその五十年という時を生きてきた。後悔の念にかられながら、今日という日を待ち続けたんだ。


「何かを成し遂げるというのは、こんなにも気持ちの良いものなんだね」

「ああ、そうだな。ここまで辿り着くのに随分と遠回りをしてきたような気がする……だけど、俺たちの長い旅路は、終わったんだ」


 俺たちは顔を見合わせ、笑い合う。

 

「なに言ってるのよ! アタシたちの旅がここで終わり? そんなわけないじゃない、ここから始まるのよ!」

「決め顔でそれっぽいこと言って……あんまり決まってないよ、アザレア――って待った待った! 僕が悪かったから詠唱を止めてくれるかい!?」


 二人のいつもと変わらないやり取りを見て、セレーネがくすりと笑う。

 そんな彼女の横で、俺は苦笑いを浮かべながら、誰にも聞こえないような声で呟いた。


「新しい旅、か……」

「……アル様? どうかなさいましたか?」

「いいや、なんでもない。こいつらの馬鹿なやり取りを見るのもこれで最後かと思うと、ちょっとな」

「最後? きっとこれからも見られると思いますが……」

「だって、これから二人には国を勝手に抜け出してきた罰が待ってるんだぞ? きっと城に閉じ込められて一日中座学を……」


 俺の言葉に、アザレアたちの表情が一気に青ざめる。

 あの女王ならやりかねないと、そう思ったらしい。


「逃亡計画を立てるわよ! 今すぐに!」

「アザレア、珍しく意見が一致したね! さあ、新しい旅の始まりと行こうかい!」


 意気揚々とこれからのことを熱弁し始めたアザレアたち。そんな二人の様子を見ながら苦笑いを浮かべる者がまた一人。


「あはは……アザレーたちまた何かしようとしてるの?」

「いつも通り。この二人は見ていて飽きない」


 シャッティの背後からメリアも姿を現す。


「シャッティ、メリア! 良かった、無事だったんだな」


 二人のもとに歩み寄りながら、そう口にする。

 その言葉に、シャッティは自慢げに答えて見せた。


「ふっふっふ、シャールさんにかかればこんなものだよ!」

「嘘を吐け。私が居なければ危なかっただろう」

「メリさん、それ内緒だって言ったのに!」


 危機をばらされたシャッティは、ほんのりと頬を赤く染めながらメリアに抗議している。

 この彼女の元気に、何度励まされたか。

 

「二人とも、ありがとうな」

「……見えてたよ、アルっちの姿。いつか約束してくれた姿、見せてくれたね」


 約束。そう、彼女と交わした約束は憶えている。

 ドフタリア大陸での戦争時、どうしようもなく追い詰められていた俺を鼓舞してくれた彼女に交わした約束。


 もう一度、勇者のかっこいいところを見せるという約束だ。


 彼女の言葉を聞く限りでは、その約束を果たせたようで良かった。


「勇者ってかっこいいだろ?」

「うん。最高に、ね!」


 眩しいほどの笑顔を見せるシャッティに、俺も思わず笑みを浮かべる。


 この笑顔に何度救われたか。

 思えば、ドフタリア大陸での戦争よりも前――武闘大会の頃から、この笑顔に救われていたのかもしれない。


 シャッティは、いつだって笑顔だった。

 俺が追い詰められてどうしようもない時だって、いつもの元気な姿で俺を励ましてくれた。

 あの戦争の時、側にシャッティが居なかったら……きっと俺はここに立っていないだろう。

 

 シャッティのおかげで、俺はもう一度セレーネと向き合うことができた。

 シャッティのおかげで、俺はもう一度前を向くことができたんだ。


「セレちゃんも! 皆を鼓舞したのも、アルっちの援護も流石だったよ!」

「いえ……私はただ、自分にできることをしたまでですから」

「そう謙遜することはない。セレーネがあそこで立ち上がっていなければ、私たちの心は折れていた」


 メリアはうっすらと微笑みながら、セレーネに労いの言葉をかける。

 それを聞いたセレーネは耳を赤くしながら、


「その……ありがとうございます」 

「礼を言うのは私たちのほうだ。ありがとう」


 メリアにも随分と助けられた。

 俺が海に流れ着いていたのを助けてくれたのが彼女。彼女がいなければ、あのまま野垂れ死にしていただろう。

 助けてくれたのは気まぐれだったのかもしれない。それでも、その気まぐれに命を救われた事実は変わらない。

 

 そして、この場にいる皆に、俺は支えられて生きてきたんだ。


「……皆」


 意気揚々と、それぞれの喜びを表す皆に向けて呼びかける。


「ありがとう。本当に。こんな俺にここまで着いてきてくれてありがとう」


 心の底からの言葉だった。

 三度も人生を歩まないと大切なこともわからないような、ろくでもない俺を信じて着いてきてくれた仲間たち。そんな皆に対する、精一杯の感謝の言葉。


 伝えきれないほどの感謝がある。

 伝えきれないほどの想いがある。


 そんな中でも、感謝だけは。皆に伝えたかった。


「皆のおかげで、俺はここまで辿り着けた。皆のおかげで、俺は勇者として立っていられるんだ。この中の誰か一人でも欠けていたら、今の俺はいなかった」


 改まった言葉に、皆は顔を見合わせる。

 そして、揃ってくすりと笑った。


「な、なんで笑うんだよ。真剣に話してるのによ」

「そりゃ、リヴァが真剣にそんなこと話すからでしょ。はーおかしい」


 笑いをこらえながら、アザレアが笑みの理由を話す。

 

「俺はいつだって真剣だろうが!」

「そうだね、君はいつだって真剣さ。その真剣さに、僕たちは救われたんだ」


 ジオは笑みを浮かべながらも、たしかにその瞳で何かを訴えていた。


「俺が、皆を救った?」

「わたしたちはね、皆アルっちに救われたの。アルっちはわたしたちがいたおかげで、なんて言ったけど……それはわたしたちも同じ気持ちなんだよ」


 シャッティがそれぞれの顔を覗き込みながら、穏やかな表情でそう話す。


「……そっか。俺はちゃんと、皆の役に立ててたんだな」

「無論だ。むしろ、感謝したいのは私たちのほうなのだから」


 胸に手を当て、メリアは微笑みを浮かべていた。


「俺は今まで、支えてくれる人たちや護りたいと思う人たちの為に戦ってきた。それが無駄じゃなかったってわかっただけで、俺は……」

「無駄なはずがありません。貴方の行いには、常に誰かへの想いがあったと私は思います。誰かの為に戦う事――その勇気こそが、勇者たらしめる証明だと思うのです」


 つまり、とセレーネが言葉を紡ぐ。


「貴方の想いは、勇気は。皆の心に届いていたはずです。だからこそ、私たちはここにいるのですから」


 そう言って、セレーネは後方に視線を移した。

 その視線の先にいたのは、各国の兵士たち。皆が、希望に満ちた表情で笑い合い、友と肩を組み、勝利の喜びに浸っていた。


「勇者は、最早忌むべき存在などではありません。かつて希望の象徴として人類を救った存在――子供たちはおろか大人たちすら憧れた勇者に、再誕したのです」


 ああ、そうか。

 俺はもう、やるべきことを果たし終えたんだな。


 勇者のいない世界に、再び勇者を蘇らせること。その願いは、とっくに叶えていたんだ。


 それならもう――何も思い残すことはない。


「皆――」

「よくぞ、世界を救って見せました。勇気ある者たちよ」


 俺の言葉を遮った主が、ふわりと、地上へ降り立った。

 神々しい光を纏いながら、慈愛に満ちた表情でこちらを見つめる者。


 女神キルテリアスだ。


「め、女神様!? 何故ここに!」


 真っ先に驚愕の声を上げたのはセレーネだった。

 突然の出来事に、周りの兵士たちですら動揺を見せている。


「女神アディヌが倒れた今、この世界を縛り付けるものは無くなりました。ですから、私もこうして姿を現すことが可能なのです」

「キルリア、お前な。こんな登場の仕方したら皆びっくりするだろうが……。出てくるならもうちょっと控えめに出てきてくれよ」

「やはり神ですから。こういった登場に仕方も必要かと。……驚きました?」

「お茶目を発揮するな……」


 この女神にはほとほと呆れてしまう。

 ただ、こうして現れたという事は、近いのだろう。


 在るべき世界への変化が。

 創られたものの消失が。


「さて……あなた方のおかげで、世界から脅威は去りました。故に、世界はこれから在るべき姿へと形を変えていくことでしょう。アディヌが介入した痕跡が一つも残らない、在るべき世界への」

「……」


 アディヌの言葉に、皆がほっと安堵の息を零した。

 皆それぞれが、思い思いに耽っている。


「世界の復元に伴い、あなた方の身体は在るべき世界へと送還されるでしょう。アディヌが介入する痕跡が一切なくなるわけですから、今とは違った生き方をすることもあるやもしれません。それでも、あなた方の存在が失われるわけではありません。あくまで、生き方の相違ですね」

「難しいこと言われてもわからないけど、要するに大丈夫ってことでしょ?」

「楽観的過ぎるよアザレア……。つまり、僕たちの存在自体は保証される。でも、僕たちが今のままの僕たちでいられる保証はないってことだよね?」


 ジオの言葉に、辺りの皆がざわつく。

 そのざわめきを鎮めるように、キルリアはそれに反論した。


「確かに、言う通りです。ですが、私が女神の名において出来得る限りのことはするつもりです。恐らく、今と全く同じというわけにはいかないでしょうし、時も半年……いや一年ほど、もしかすると何十年と戻ってしまうやもしれませんが、最善を尽くします」


 キルリアの真剣な表情に、最初こそ反論の意を示していたが、一人。また一人と折れていった。

 それも、相手が女神だからなのか、それともその真剣さに折れたのかはわからないが。


 ただ、俺自身もキルリアのことは信用に足る人物だと思っている。

 だからこそ、皆がキルリアに反論の意を示していた中で何も言わなかった。


 キルリアがいなければ、俺はリヴェリアとしてもアルヴェリオとしても人生を歩むことはできなかった。

 キルリアが転生させてくれたおかげで、俺は人生をやり直し、こうして充実した生活を送ることができたんだ。


「キルリアがそう言うなら、俺は信じるよ」

「ありがとう、勇気ある者よ……」


 そして、ほどなくして。

 

「早速、始まったようです」


 アディヌが向く視線の先。魔界の地面からなにやら柔らかな光が漏れ始めた。

 それは蛍のような……淡い光を纏って粒子へと姿を変えていく。


 その現象は地面だけにとどまらず、辺りのあちこちで見られ始めた。


「……なんだか、綺麗ね」

「そうだね……。僕もこんなに優しい光を見たのは初めてだよ」


 各々がその光景に目を奪われている中、唯一人。

 俺は一歩後ろで、粒子化する右手を隠していた。


「――まだ、話していないの?」


 俺の隣に並び立ち、キルリアが問いかけてくる。


「……ああ」

「言いましょうか、私が」

「いや、自分で言うよ。皆と話す、最後の機会なんだ」


 最後の最後で後悔を残したまま消えるなんて、そんなことしたくない。

 どうせなら、最後まで笑顔で。笑って別れたい。


 一歩歩み寄り、粒子を見ている皆に向けて。


「聞いてほしいことがあるんだ」


 皆の視線が、一気に俺へと向けられた。


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