第二百十三譚 三度目の正直


「聞いてほしいことがあるんだ」


 皆がこちらに向き直り、驚愕の表情を浮かべる。

 皆の視線が、粒子化する俺の身体に向けられた。


「な、何ですか、その身体は……!」

「リヴァ!? 一体何が起こってるのよ……!」


 予想通り、狼狽え心配してくれる皆の姿を見て、俺は申し訳ない気持ちであふれていた。


「アルヴェリオ、まさか君は……」

「そうか……! アディヌの痕跡が全て消えるというならば、アディヌによって創られた主は……っ!」

「黙っていてごめん。皆にはもっと早く伝えようかと思ったんだけどな」

「なんで、なんで黙ってたの……! アルっちが消えちゃうならアディヌを倒すなんてわたしは……!」


 皆の表情から、笑顔は消えていた。

 まいったな。こんなはずじゃ、なかったのに。


「皆は優しいからさ。俺が消えるって知ったらアディヌを倒すことを諦めるんじゃないかって思ったんだ。案の定、シャッティが言ってくれたけど……だから、黙ってたんだ」

「――ふざけんな! 言ってくれれば、別の方法を探せたかもしれないだろ! なのに、なんで自分一人で抱え込んでんだよ、話してくれねえんだよ! アタシたちはっ、仲間だろ……」


 俺の言葉を聞いたアザレアが、胸倉を掴んできた。

 至近距離まで迫った彼女の瞳に涙が浮かんでいる。それを見て、俺は思わず目を背けた。


「目を背けんな! こっちを見ろよッ! こっちをっ……こっちを向けよ……。こんなの、あんまりじゃんかよぉ……」


 胸が締め付けられるように痛い。

 ああ、畜生。最後の最後で、失敗しちゃったな。


 アザレアの手が力なく項垂れ、解放される。

 こうしている間にも、俺の身体の粒子化は止まる事無く進み続ける。


 皆に言いたいこともあったのに、頭にぽっかりと穴が空いたように言葉を失ってしまった。


「アルヴェリオ」


 呼ばれ、顔を向ける。

 瞬間。強烈な痛みが頬を襲い、俺は吹き飛ばされた。


「何する――」

「君は勇者だろ、勇者なんだろ。それなら、自分も世界も救って見せれば良かったじゃないか! どっちか片方だけなんて君らしくない!」

「……ジオ」

「――なんてね、君は昔からそういう奴だってのはわかってるよ。自分のことなんて二の次で、他の誰かのために戦うお人好しで馬鹿な男さ。だけど、僕はそういう君に憧れたのかもね」


 ジオはそう言って、倒れた俺の側に近寄り、手を差し伸べる。


「殴ったことは謝らない。だから君も、黙っていたことを謝らなくていい。これでお相子だ」

「物理と精神じゃ相子にならないだろ……」

「ええ! 初耳だなぁ!」


 白々しいなと呟きつつ、ジオの手を取る。

 起き上がり、向き合った俺に対し、ジオは微笑んで見せた。


「最後くらい、笑ってさよなら。しようかい」

「……そうだな。今度こそは、笑って別れよう」

「ありがとう、アルヴェリオ。君に出会えて本当によかった。いつまでも君は僕の憧れで――好敵手さ」

「ああ、もうお前の軽口が聞けないと思うと清々するよ。――だけど、感謝してる。ありがとう、親友」

「……ほら、アザレアも。あの時みたいな別れ方していいのかい?」


 ジオの言葉に、アザレアが顔を拭いながら頷く。

 アザレアは俺に近づくと、その身体を俺に預けてきた。


「アザレア……」

「今だけ、こうさせて」

「……まったく、お前はいつまで経っても変わらないな。でも、ありがとな。ジオとお前がいてくれたから、俺はここまで頑張ってこれたんだ」

「何よ、それ。グラジオラスと一緒にされても嬉しくない。……だけど、アンタはそういう奴だから、今回は大目に見てあげる!」


 そう言って、顔を上げたアザレアには笑顔が戻っていた。

 ただの笑顔じゃない。瞳に涙を浮かばせながら必死に取り繕った笑顔。俺を心配させないための、優しさの笑顔。


「……元気でな。あんまり暴れるんじゃないぞ」

「アタシをなんだと思ってんのよ! アンタが居なくたってしっかりやるわ! アンタの分まで、幸せになるから、だからッ、心配しなくていいから!」

「ああ、ありがとう」


 アザレアはそっと俺から離れると、ジオと一緒に後ろへ下がっていった。

 入れ替わるようにやってきたのは、シャッティとメリア。


「アルっち……」

「二人にも随分と世話になっちゃったな、ありがとう。それと、黙っていてごめん。俺、こういうやり方しかわからなくてさ」

「私は相談してほしかった。相談してくれれば、別の道を探せたのかもしれない」

「……ごめん」


 メリアの言葉に、俺はただ謝ることしかできなかった。


「だが、主が決めたことだ。私が口出しすることは何もない。だから、今はありがとう――それだけを伝えたい」

「メリア……。ああ、こちらこそ。俺を助けてくれて、ありがとう。これからはどうか、世界を回って……世界はこんなにも綺麗なものなんだってことを知ってほしい」

「了解。その時は、シャールも共に連れて行こう」

「……うん、わたしも世界を見て回るよ! アルっちが切り拓いてくれた未来……精一杯生きようと思うんだ! だから、ありがとう、アルっち……! わたしと出会ってくれて、わたしと戦ってくれて……とにかく、ありがとう!!」

「その元気を、いつまでも忘れずにな! お前の元気さは誰かを救う力があるってことを忘れるなよ。俺もお前の元気に助けられた一人なんだから」


 満面の笑みを浮かべたシャッティと、微笑みを浮かべたメリアが揃って離れていく。


 そして、俺の目の前に佇む一人の女性。

 彼女は悲しげな表情のまま、俺から目を背けている。


 静寂が、辺りを包んでいた。


「……あの日から、俺はずっとお前に支えられてばっかりだ」

「……」

「憶えてるか? 初めて会った日のこと。あの時は俺が空腹のあまり倒れたもんだから、教会に運ばれたんだったよな」

「……い」

「それからも色々あって、二人でエルフィリムに向かったりさ。ドフタリア大陸でお前と戦ったことだって――」

「やめてください!」


 セレーネの声が、驚くほど鮮明に響いた。

 

「どうして、どうして貴方は笑っていられるのですか。これから貴方は消えてしまうのですよ!? それなのにどうして、どうして……楽しそうに笑うのですか」


 ようやくこちらを見てくれた彼女の瞳からは、涙が零れだしていた。

 その涙は止まる事無く、彼女の頬を伝っていく。


「思い出を語られても、別れが辛くなるだけです。こんなことなら……貴方と出会わなければ良かった!」

「セレーネ……」

「私はっ、私はこのような別れなど望んでいません……! どうして、どうして私の大切な人は皆っ、私から離れていってしまうのですか! 教えてください、アル様っ!」


 俺はゆっくりと彼女に近づいていく。

 粒子化した腕が、足が消えても。この想いだけは伝えなくてはならない。


「セレーネ、お前はもう一人じゃないよ。お前には、仲間がいる……アザレアにグラジオラス。シャッティにメリアも」

「それでも、その中に貴方はいないではありませんかっ……! 貴方がいない世界など、私は……!」


 一歩。また一歩と近づいていく。

 そして遂に、俺の右足が粒子と化し、左足だけでバランスを保てなくなった俺は膝から崩れ落ちる。


 その時、俺をそっと支えてくれたのは――セレーネだった。


「本当に、助けてもらってばかりだな」

「貴方はいつも、無茶ばかり……。いつだってそうです。こんなどうしようもない私を探しに、戦争にまで加わるなど……馬鹿です、貴方は。大馬鹿です……」

「……ずっと、考えてたんだ。この姿になってから、いつも隣で笑ってくれていたのはセレーネだった。自分のことは二の次で、他人ばかり優先して……なんか。俺と似てるなって」


 まだ完全に粒子化していない左腕を伸ばし、セレーネの頬に触れる。


「だから、放っておけなかった。そう、思ってたんだ。だけど、辛い時も嬉しい時も……いつだってお前が側で支えてくれたってことに気づいて……俺は、セレーネと一緒にいたいって、思うようになったんだ」

「このような時に、どうしてそのようなことを話すのですかっ……。私だって、貴方と一緒に……この先もずっと、お側にっ……! 卑怯です……貴方はいつもっ……」

「ありがとう、セレーネ……こんな俺を愛してくれて。俺も……愛してるよ」

「っ……!」


 セレーネの表情が崩れ、大粒の涙が流れだす。

 悲しそうな表情で、涙を流し続ける彼女の頬を拭い、笑って見せた。


「最後くらい、いつもみたいな優しい笑顔を見せてくれよ」

「貴方という人はっ……!」


 その時、セレーネの身体が徐々に透けていくのがわかった。

 それに気づいたのか、セレーネは慌ててキルリアに目を向ける。


 キルリアは悲し気な表情で首を横に振ると、一言。


「時間です」


 周りを見渡してみても、他の皆の身体も透けていってるのが目に映った。


「ほら、頼むよ。笑ってくれないか、セレーネ」


 俺の願いに、セレーネは止まらない涙を拭いながら、精一杯の笑顔を見せてくれた。

 その笑顔は、涙で崩れていながらも、いつもと変わらない――優しい笑顔だった。


「私は、必ず貴方を見つけてみせますっ……! 例えこの記憶が失われようとも、姿が変わろうとも――もう一度、貴方を探します! ですから、ですからその時はっ……どうかもう一度……私の名をっ、呼んでくださいますかっ……!」

「……ああ、勿論。そしたら、きっと世界を――」


 瞬間。

 世界から、人々が消えた。


 まるで、初めからそこにいなかったかのように。


「……伝えられるものは伝えた。これで、思い残すことは何もないさ。ありがとう、キルリア」

「……これであなたともお別れね」

「ああ、でも最後に一つだけ。お願いがあるんだ」


 俺はキルリアを呼び、たった一つの願いを伝える。


「――ダメか?」

「……わかったわ。世界を救った褒美として、その願いは聞き入れましょう。でも、本当にそれで良いの? それだとあなたは……」

「俺は良いんだよ、ただ皆が幸せなら、それで」


 俺は目を瞑り、今までの人生を思い出していた。

 たくさんの悲しいこと、辛いことがあった。

 でも、それと同じぐらい嬉しいこと。幸せなことがあった。


 後悔しない人生を送りたくて、支えてくれる人たちを護りたくて必死だった。

 精一杯に、生きてきたんだ。俺は。

 三度目の人生で、ようやく。


「……誰の記憶にも残らぬ名もなき勇者よ。貴方の名は残らずとも、貴方が成した勇者再誕は必ずや、語り継がれていくことでしょう。――ゆっくりと、おやすみなさい。再誕の勇者」


 俺は息を吸い、そして。


「あぁ、良い人生だった!」


 心の底からの言葉。

 それを発したと同時に、俺の視界は閉ざされた。

 

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