第二百二譚 女神アディヌ
今からおよそ五十年前。勇者と呼ばれた青年は、とある女神と邂逅していた。
見目麗しく、落ち着いた雰囲気を持った女神だ。
青年は魔王との決戦の前に、その女神からとある魔法を授かった。
「この魔法は最後の手段。自らの命と引き換えに、魔王もろとも塵と化す最強の魔法です」
慈悲深き瞳で見つめられた青年はありがたく魔法を授かった。
その魔法こそが、『”
しかし、青年はそのような事知る由もなく、ましてや疑いなど持たずに女神を信じた。
それが禁断の秘術であることも知らずに。
それが魂を滅ぼす魔法であることも知らずに。
この時、青年に魔法を授けた女神の名はアディヌ。
遥か昔に生み出された滅びの神――悪神アディヌである。
□■□■□
身体全体に感じる不気味な魔力。その魔力の強さは恐怖を覚えるほど強大だ。
側にいるだけで体の震えが止まらない。武者震いなのか、恐怖からなのか。
どちらにせよ、目の前に浮かぶ女が危険な相手だと判断するには十分すぎた。
「お前がアディヌ? 俺が出会ったアディヌとは随分と雰囲気が違うな」
自らの弱気を覚られないために、平静を装って言葉を並べる。
「騙す事は妾の得意分野での。――迫真の演技でしたでしょう?」
一瞬にして声音に口調、雰囲気すらも変えてみせるアディヌ。
その姿は、かつて俺が出会ったアディヌそのものだった。
「……なるほどな。あの時からずっと、俺はお前に騙されてたってわけだ」
「最初からじゃ愚か者め」
宙に浮かぶアディヌは聖王を自らの側に下ろすと、俺たちをみてくすくすと笑い始めた。
「お前たちが生まれ出でるよりも遥かに昔から、騙され続けているのじゃ。お前たち愚かな人類は」
「……それは、三神大戦の頃からという事ですね?」
「ほほう、良く知っておる。さてはあの女狐めが何か吹き込んだのじゃな? ならば事の顛末は知っていよう?」
露骨に不機嫌そうに眉間にしわを寄せるアディヌ。女狐、というのはひょっとするとキルリアの事か。
「ああ、お前が生まれた理由、この世界が偽物だってことくらいは聞いてるさ」
「そうか、それならば奇跡とはいえここまで辿り着いたお前たちに享受してやるとしよう。この世界のすべてを」
アディヌは口元を扇のようなもので隠し、俺たちを見つめる。
「遥か昔、人類は三陣営に分かれて戦争を起こしていた。救いを求める者、平和を望む者、滅びを願う者。それらの想いが具現化したのが、妾たち三神じゃ。戦争は遂に人類だけの戦いでなく、神を巻き込んだものとなった。神が参入する戦争などもはや戦争でも何でもなく、一方的な虐殺じゃ」
それはそうだ。人の身である以上、ましてや普通の人類が神を相手にどうこうできる筈がない。
神とはすなわち絶対の存在。
人知を超えた強大な力がぶつかる先は、破滅だ。
「その結果、数多の生命が死に絶え、滅びを願った妾は敗北した。じゃが、募りに募った滅びの声――負の感情はどうなると思う? 膨れ上がったそれは妾の力を増大させ、妾の世界を創り上げた……それがこの世界というわけじゃ」
「貴女を止めるための大戦で亡くなった人々の怨念や後悔の念が、返って貴女の力を増大させてしまうなど……」
「創り上げた世界って言っても、上書きしただけなんだろ? お前の都合の良いように、お前が管理しやすいよう運命さえ決めつける世界に」
「それの何が悪い? どこの世界も所詮は神の玩具。絶対である神に自らの運命を決めてもらえるのじゃ、それ以上に名誉なこともないじゃろうに」
それが当たり前だと、奴の目が語り掛けてくる。
そんなのは間違っている。そう言葉にしようとしても、上手く言葉が出せない。
目の前の女神に逆らってはいけないと、俺の身体が伝えてきているようなそんな気がした。
「この世界に、神は一人で十分。妾の、妾だけの世界じゃ! だから、それ以外の神と――それを信仰する者は全て滅ぼす。その準備が着々と進んでいたというのに、障害が生まれた」
アディヌの目が俺を捉える。
「お前じゃ、お前が現れた」
一気に背筋に悪寒が走る。
一歩でも動けば死ぬ。そう思わされるほどの強烈な殺意を感じた。
「妾の筋書きでは、リヴェリアは一兵士として生涯を終え、魔王は道半ばで息絶えるはずじゃった。しかしじゃ、リヴェリアは兵士になどならず勇者としての使命を受け、出会うはずもない数多の者と出会い、魔王に挑もうとするではないか」
「……」
「最初こそ、小さな芽だと気に止めていなかったが、その芽は次第に大きくなり、周囲の運命さえも変えていった。だからこそ、この芽はここで摘むべきと妾は思念体を創りリヴェリアの魂ごと始末しようと考えた」
「その思念体があの時出会ったアディヌってことか」
「そう、じゃがそれもこれも失敗じゃった。こうして今ここにお前がいるのが何よりの証拠。小さな芽と侮らず初めから摘み取っていればこのような事になぞならなかった」
アディヌは扇を畳むと、ゆっくりと口角を上げて不気味な笑みを見せる。
「安心するがよい。今度ばかりは大きくなり過ぎた芽を見逃すなんてことはせぬ。その芽、摘み取らせてもらうぞ」
目に見えない圧力が押し寄せる。
先程まで感じていた恐怖が、さらに大きなものへと変わる。
身体の震えも、冷や汗も止まらない。あの女神から目を離す事さえも難しい。
目を離してしまえば、殺されてしまうような感覚に陥っている。
確実に、今まで戦ってきた相手とは違うということを思い知らされる。
隣に立つセレーネは、もはや怯えた表情を隠す事さえできずにいる。
「この世界を真に妾のものとするための足掛かりとして、お前を殺した後は外の者どもを蹂躙するとしよう。そうして集めた負の感情を力とし、最後は逃げ延びおった神をも喰らう」
心底嬉しそうに笑みを漏らすアディヌの姿は狂気そのものだった。
「こんな……私たちが戦おうとしていたのはこんなにも強大な……」
目の前に迫る恐怖に耐えきれなかったのか、セレーネが身体を引いて後ずさる。
そんな彼女の背に、俺は優しく手を当てた。
彼女の身体は触れられると同時に驚くような反応を見せ、顔がこちらに向けられる。
今にも泣きだしてしまいそうな酷い表情を見て、怯えを覚られないように小さく微笑んで見せた。
「俺がついてる」
「あ……」
「俺だけじゃない。アザレア、ジオ、シャッティ、メリア、そして……ムルモアも一緒だ」
弱気になるな。恐れるな。
例え相手が神であろうとも、最後の最後まで諦めるな。
そうさ、いつだってそう。
心が挫けそうなこともあった。生きているのが嫌になったことだってあった。
それでも、諦めなかったからここまで来た。みんなに支えられてここまで来れた。
立ち止まったことも、道を外れそうになったことだってあった。
それでも、後悔しない人生を送る。今度こそ精一杯生きるって信念があったから歩いてこれた。
全ては仲間の為、今まで支えてくれた人たちを護るため。少しでも平和に暮らせるような世界にするため。そして、俺自身の為に。
「この世界は、誰のものでもない。自分の道も、運命も自らの意志で切り開く!」
例え相手が神だろうとも、勝って見せる。
人知を超えた存在が何だっていうんだ。魔法が使える世界って時点で人知もクソもあるか。
さあ、見せてやろう。
三度も人生を歩んできた男のしぶとさを。諦めの悪さを。
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